どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

運命に従う

2009-11-16 07:02:06 | なっとくる

週の初めにいきなり、大げさなタイトルになってしまうが・・・

運命としか考えられないことって結構ある。

昨日は、ラグビーのワールドカップの候補地にもあがっている仙台で、カナダVS全日本の試合があった。午前中は息子の練習試合。訳あって、息子の試合の追っかけをしているので、午前も午後もラグビーの一日となってしまった。

しまった つまり 自分で選んだことではあるが実は本意ではない。こんなことしてる場合じゃないというのが本音だ。あと一週間でフルマラソン走るのに、まだLSD(long slow distance)が十分ではない。靴にも慣れていない。走っておかなくては・・・と、焦る気持ちがある。

夕方帰ってから家事を済ませ、30分でも走ってこようと、ドアを出たところで、突風にあう。雨も混じっている。迷わずあきらめた。仕方ない。

気持ちを切り替えて夕飯を作っていると、次男がUSからスカイプで呼んでいる。

めずらしいなあ・・日曜のこの時間は・・・あちらでは土曜の未明にあたる。何気ない会話を交わす。ビデオの画像で見る限り、彼はまたやせていくみたいだ。サッカーのシーズン中はどうしてもやせてしまう。加えて手首を骨折してしまったので、ピアノも弾けない本人にとっては、辛い日々を過ごしているのだが・・・。

何か少し様子が違う。母親の勘。何か違う用件があるのではないか・・・。

そうだったのか・・違う用件があったのね。それにしても、走りにいかなくてよかった。もし、走りに行っていたら、次男とこんな時間はもてなかったかもしれない。息子が母親を必要としていた時間だった。

運命に従ってよかった。きっとあの突風がメッセンジャーだったのだろう。ぎりぎりのところで無理をすることなく運命に従えばいいんだ・・・。あっけらかんと楽天的だが、まっそれもいいでしょう。

 

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秋に・・・。

2009-11-14 05:26:22 | 徒然に

一片のフレーズだけが浮かんできて・・・でも、曲名が思い出せない。

何日も考えても思い出せないことがある。実はこの曲もその一つだった。どうにか探し出した・・・よかった。[枯葉舞い散る頃は・・・・・]

http://www.youtube.com/watch?v=J-244uQny8k&feature=PlayList&p=73FF047BDA7345A3

オフコースは大学時代によく聞いた。兄の親友が大好きだった。その人は私が受験の時あちこちと大学見学に連れて行ってくれた。そして、一年後に事故でなくなってしまった。優秀な大阪大学の学生だった。

私にとってオフコースは年上の憧れのような存在かな。阪大の人のイメージでもある。鈴木康博さんの方が好きで、メンバーが増えたあたりから全く興味をなくした。初期のころの歌がいいなあと思う。

昨日は遠足で学生たちを引率して、山形まで行ってきた。もう少し色鮮やかな紅葉が見たいなあ・・・と、曇り空の下どんよりと霞がかかったような、山を車窓から眺めていた。

きれい!!!と、ベトナム人の女子学生が興奮してはしゃいでいる。何が?と聞くと、まさにその、どんよりとした紅葉の山々を指差している。韓国の学生も、中国の学生もはしゃいではいない。そうか・・・ベトナムとは風景がちがうのね。

すると、ベトナムの生徒たちは感性が豊かなのよ・・と、先生たちの弁。そうか、民族性があるのかな?

りんご狩が目的の遠足。あかいりんごがたわわに木にぶら下がっている。私もりんごをもぎ取ってたべる。ジューシーで美味しい。果物が体に合わない私にとって、りんごは唯一食べられる果物だ。好物でもあるし・・・でも、大きすぎて、一個たべるのがやっとだった。すると、韓国人の学生と、中国人の学生、それも男子生徒がそれぞれ先生にと、りんごの皮を丁寧に剥いて持ってきてくれた。なんだか自分だけ食べて・・私は反省することしきり。ほんま民族性なのか、えらいなあ。日本人の学生はそんなことしないよなあ・・・・・・・私が今まで食べたりんごの中でいちばん美味しいりんごだった。

枯葉の季節。たとえばなんでもないこと、日常的に起こる同じことでさえも、少し感傷的になる。不思議な季節だ。

 

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なんだか泣けてくる・・・

2009-11-13 05:07:50 | 徒然に

息子が口ずさんでいた歌の歌詞にぐっときた。

こんな歌。http://www.youtube.com/watch?v=cGKuPg0UnDA&feature=related

昨日のあった出来事にその歌詞が浮かんだ。

メールが届いた。同じ学校の先生から。

今期私に与えられたミッション?のひとつが、教科書に沿った教材作り。この業界では作った教材はその会社に帰属するのではなく、あくまで個人の知的財産となる。これは、映画 クレイマークレイマー で ダスティンホフマンが演じた デザイナーの職探しを思い出させる。さすが、この業界は国際基準が適用になるのだなと、ちょっと今までの経験とは違う感じがする。

使う教科書にあわせて副教材を作っていく。初めての取り組みに、色々な先生からアドバイスを頂いた。本当にうれしかった。正直目が回るほどたくさんのアドバイスだった。

その中の一人の先生から、出来上がった第一回目の教材(資料は毎回作るからシリーズものになる)を、記念にくださいといわれた。それも、日付と、あなたのサインつきでね・・・と。私は、ちょっと不思議な気持ちになりながら、リクエスト通りに できた~と万歳した 第一回目のもののコピーを 日付と私のサインをいれ、その先生の引き出しに入れておいた。

そして今日、メールを頂いた。がんばれ~と励ますようなメールではない。ただ、私を見ていたという内容かな。

自分をそっと見ていてくれた人がいる・・・なんだか泣けてくる と歌詞が浮かんできた。

昼間はちょっとした茶話会を我が家で開いた。知らない友達同士を招き、楽しくおしゃべりした。(こういう茶話会はUS時代にはよく開いた)

その中で、最近ちょっと会っていなかった友達が、体調不良で苦しんでいたことを知った。ちょっと調子がよくなったので、おしゃべりにでて来てくれた。知らないでごめんね。そして、今日の企画があって、彼女の体調不良を知ってよかったと思った。辛かったろうに・・・・と、ここでも、なんだか泣きそうになった。

夜遅く、若い友人からメールがあった。コートいつもって行きましょうか?毎日持ち歩いています。だって。

以前に、トレンチコート長くて着られないから、背の高い○○さん、着てくれませんか? と言われていた。私は喜んで着させてもらうよ、と返事をした。彼女といつも一緒にいるようで嬉しかったから。冬になる前に来てね と約束がしてあった。

来週の火曜にホカッチャを焼いて、彼女をランチに招待することになった。

メールのタイトルがね 愛しの○○さん となっていて、そこでまた、泣きそうになった。

そうそう、茶話会での会話で、友達から、腎臓が悪い人は 涙もろいって聞いたよ。○○さんのことだとすぐ思った と。そうそう、私はほんとにそんな感じだ。そして、そんな一日だった。

 

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恋心・・・・か。

2009-11-12 05:04:11 | 徒然に

晩秋の一日。

昨日はちょっとご無沙汰をしている、ご夫婦を訪ねた。少しの用事だったので、午前中で終えるつもりで出かけていったのだが、結果4時までお宅にお邪魔することになってしまった。

何をしていたかというと、すこし買い物のお手伝いをし、お昼をご馳走になり、お茶をご馳走になり・・・そして、ずっと喋っていたかな。

奥様の方は、筆まめで、加えて達筆、書道の師範でもあられる。最近はシニアクラブの機関紙?(定期的に発行されているらしい)に投稿を求められるらしく、それに準備されていた文章を読んで聞かせてくださった。

内容は、彼女が抱いた恋心の話。クリスマスのシーズンになると、少しのお金を持ってでかける小さなお店。オーナメントやお人形に心を癒されるそのお店で、彼女が心惹かれたお人形と同じお人形を手にしている、紳士に目がとまる。その男性は上下ジーンズでスニーカー姿のダンディな男性であり、彼女はそのあまりに素敵な様子に、胸がドキドキと高鳴る。

いきいきと、まるで映画のワンシーンをみているように、彼女の文章は見事に彼女の恋心を表していた。

彼女はその紳士に声をかけ、その紳士が亡き奥様を偲んで、故人がお好きだったその店に出かけて来られていることを知る。彼女はその人が忘れられず、また会いたいと思いその店に出かけていく。そこで、まもなくその紳士が亡くなられたことを知る。70代の恋心の行き場のない空虚な気持ち と、しめくくられる。

私はなんともいえない気持ちになった。淡い恋心というわくわくするような明るい気持ちと、別れが死別(つまり、もう二度と会えることはない・・・)という形で訪れるかもしれない、シニアという年齢が直面する不安な気持ち。

恋心いいでしょう、とどこまでもやわらかい彼女の微笑と、少しいたずらっぽい様子に、ただ私も微笑み返した。

母がよく言っていた、その年齢にならないとわからない気持ち ということを思った。

そんな話、あんな話と話題の尽きない一日を過ごした。

また、訪ねてみようと思う。

余談 心惹かれる の ヒカレル は漢字にすると 若い心なのね。改めて知った。驚いた。これだから漢字はおもしろい。

私も心惹かれる人に会えるだろうか・・・・。はははは。まずは逆だ。

心惹かれる と思ってもらえるような人にならないとね。惹かれる 若い心 私も持っていたいと思う。ドキドキドキ・・・・・。

 

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ワケアッテ 突っ走る

2009-11-11 04:45:00 | 発っする(ハッスル)

夏のお盆休み、冬の新春に開かれることの多い同窓会。

同窓会は恩師を囲む会であると同時に、旧友たちと再会を楽しむ場でもある。

私にとって大学のゼミの恩師は、恩師というだけではない。厳密にいうなら、私は先生を慕ってゼミを決めたというほうが正しい。三者自治とかいうものがあって、学生の権利が認められていた母校において、先生は教授会の代表として、学生の前に現れることが多かった。当時経済学部長だったと思う。幅広い話題と、絶妙な話術、加えてダンディーなスタイルに私はとにかく、先生が好きで好きでしょうがなかった。ゼミに入ってみると、もっともっと先生を好きになった。先生に認めてほしくて、がんばって勉強した覚えがある。後に学長になられた。

今でも、電話でご機嫌伺いをするくらい・・・・・いまだに先生が大好きでしょうがない。

10年くらい前に、私が代表となって、同窓会を開いたことがある。先生と同年代の方から私たちまで、とにかくゼミ生は300人くらいになる。連絡をとる以前、安否確認?住所確認の作業がたいへんだった。

同窓会は大盛況で、海外からそのために帰国してくださった、M電気の重鎮もいらした。

去年帰国のごあいさつに、お宅に伺った際、今なお旺盛な先生の読書量におどろかされた。しかし、言葉はだんだんと気弱になられ、リタイアーしてしまうと人間つまらんね という、発言か私の耳に残った。

同窓会を開きたい と思うものの、またあの労力はでない。というか、あまり意味のある労力のような気がしない。もっと小さな同窓会でいいのではないかと思う。一回一回単発でぷっつんと切れてしまう同窓会ではなく、なにか繋がっていけないものかと思う。

そこで、仙台支部を立ち上げようと思い立った。昨日、思い立った。

長い間考え抜いたことが力になることもあるが、瞬間的ナ思い付きが力になることもある。

新春に先生を囲む会を開く。不定期ではなく、たとえば新春と決める。もちろん情報を聞きつけて集まってくださる、ゼミ生に関しては、well come。毎年、開くからゼミ生のスケジュールにインプットされている。

他の目的もある。人生は出会いだ・・・なんて、最近考える。せっかく同じ先生の下で勉強したのだから、一年に一回くらい会う、素敵なつながりをつくろうとしてもいいのではないか。日頃からつながりを持っていれば、同窓会を開くことも簡単だし、プッつんと切れた関係ではなくなる。

早速何人かの先輩に電話をかけてみると・・・いい感触。

他方、そうね いいんだけどね・・・・・と、いう意見もある。

つまり私の足を引っ張るのね。でも、もう私は突っ走ると決めたよ。

 

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初めての出来事 

2009-11-10 04:54:36 | るんるん

何のことはないのだが・・・・初めてのこと。

実は、最近少しだけ距離を伸ばして走っている。22日にフルマラソンを走るためなのだが・・・ちょっと遅いくらいだ。そこで、初めて気付いたことがあった。20キロくらい走ると、足が痛くなる。足のつめと、足の前の部分の裏が痛くなる。

私のランニングシューズはUSでネットで買った、ニューバランスのものだ。気に入って、同じスタイルの靴の色違いを持っている。空色のものと、オレンジ色のもの。空色の靴を何故かなくしてしまった。車に入ってたはずなのに・・・・。きっと誰が私のファンが持って行ったのだろうと考えて、思い切って新しい靴を買うことにした。

仙台のダウンタウンの真ん中にでっかいアディダスのお店を先日見つけていた。昨日仕事帰りにそこに行ってみた。

店員さんに声をかけて一緒に靴を探してもらった。足の指が痛くなるのは、足がむくんでくるためで、1cmくらい大きいサイズを買うことを勧められた。試着してみると、驚くほど足が前に出る。軽いし、ちょっと今まで体感したことがないような、ランニングシューズだ。それも、あれもこれも出してきてくれる。結局中で一番高いものを選んだ。

ネットで、靴を買ってはいけないと初めて気付いた。そして、やはりマンパワー、人に説明してもらいながら・・・とっても、よかった。こんなことに今頃気付いているのは、私くらいだろうな・・・。

今や、私は本はネットですべて買っているし、一部洋服も探しに歩くのが好きではないので、ネットで買ってしまう。要は、買い物でぶらぶらと歩くのが好きではない。非常なストレスになる。これからは靴だけは、出かけていって買おうと思った。

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終の棲家

2009-11-08 11:09:19 | るんるん

いつか書きたいと思っていた。

私は今のうちを終の棲家だと思っている。海外に赴任するときも、日本に帰ってくるイコール、今のうちに帰ってくることだと思っていた。理由はいろいろある。その中のひとつが 終の隣人 にある。

新しい新興住宅地に引っ越すということは、新しい人間関係、地域をつくりあげていくことでもある。何もかもが新しく手探りだった。不安でもあった。

住み始めた翌年、隣人が引っ越していった。家は売りに出されていた。

正直驚いた。スーパーで野菜を買うのとは訳が違う。家を買って、翌年に売却する?

輪をかけたように、近い人から、 ○○さんが引っ越したのは あなたのせいよ と言われた。小さい子がいるし、それにもっとあなたがうるさいのよ。心に突き刺さるような言葉だった。

新しい隣人が現れた。ちょっと変わり者の、おしゃれな紳士。奥さんの姿をあまりみかけない。静かなご家族だ。ただ日曜の朝は、大きな音でクラシックの音楽を聴かれている。あいさつ程度のおつきあい。

翌年、また隣家が売りに出された。私は驚いた。またあの言葉が甦ってきた。 あたながうるさいから・・・。

私は迷わず隣家のブザーを押した。出てこられた紳士に、なぜ家を売るのですか?と聞いた。紳士は、なぜそんなことを聞かれるのか、なぜそんな質問に答えなくてはならないのか・・・と、とても怪訝な顔をされた。私は、私がうるさいせいで家を売られるのですか?と聞いた。必死だった。そして、それまでのいきさつを話した。紳士は静かに私の話を聞いてくれた。

そして、売りにだすのは、あなたのせいではない。妻が両親の介護をしているので、今はひとりでいることが多いので、この家を売って妻のところへ行こうかと思っていると、個人的ナ事情を話してくださった。

その後で、あたたの家は子供たちの元気な声が聞こえ、そして元気のいいお母さんの声も聞こえて、僕はとても好きですよ と付け加えてくださった。

私は思わず 引っ越さないでください。隣人は自分で選べません。そんな理解のある人がこの先現れるとは思えません。どうか、ずっと隣人でいてください。と、頼んだ。紳士は、すこし考えてから、 わかりました。引っ越しません と、約束してくださった。

私たちが海外に赴任する時には、隣人の約束をしましたね。待っていますから、必ず帰ってきてください と、我が家のブザーを押して、私におっしゃった。今度は私が、はい 必ず帰ってきます と約束した。

こうして、私は、我が家は終の隣人をみつけた。

今朝は町内会のお掃除だった。終の隣人は 軽く手を上げて、私にあいさつをする。私も軽く手を振ってあいさつする。

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再び海外へ・・・・行きたい。

2009-11-07 11:20:12 | シュワッチ

夢は・・・・再び海外で生活すること。

近未来の夢ではない。5ケ年計画の二期目くらいには是非実現させたい。

私は2002年から2008年までUSで暮らした。USに行くと決めた後、様々な反対があった。親戚、そして大切な息子たち。大賛成したのが、私の父と兄。

父は仙台までやってきて、親戚を説得してくれた。出発前、岡山の実家の母の墓前にあいさつに行った。父は息子たち三人と私を焼肉屋に連れて行った。そこで、三人の息子たちに、日本は島国で海外は遠いと思っている。そう思わせる高い壁がある。でも、そこを一度通って海外で暮らした人は、その壁が案外高くないことに気付く。そして海外に出ることがとても簡単になる。そこが大事だから、きっといい経験になるから、行ってきなさいと、話した。中学3年、中学1年、小学校5年生だった息子たちは、黙って話を聞いていた。

息子たちを守らなくてはならない母親の私には、たいへんだろうけど、一家で留学するようなものだから、教育にお金をケチってはいけない、よもや貯金をしようなどとは絶対に考えるなと、諭した。

海外で生活しながら、父の言葉をよく思い出していた。特に後者のことば。あまり観光旅行もできなかったが、地域に根ざした生活を楽しんだような気がしている。私もコミュニティーカレッジを卒業したし、息子たちはUSの大学に進学した。ただ途中で連れ帰った三男だけには申し訳ない。しかし、今度は彼も自力で海外へ出る道を探すのではないかと思う。

私はというと、父が言っていた壁を全く感じなくなっている自分に気付いている。

昨日職場で、先輩の先生がベトナムへ日本語教師として派遣される話をされていた。期間は半年。まだ話は具体的には決まっていないようだが、そういうチャンスがあるということ、彼女がそれを求めているということに、私はとても興奮していた。

なぜベトナム? と問う私に、アメリカに負けなかったベトナム人、そして勤勉なベトナムの生徒たちをみていて、その国に行ってみたくなった と、話して下さった。

彼女は新米の私にもとても優しい経験豊かな先生で、メールで励ましてもらったことも多々ある。たいていの場合は、よかったよ~と褒めて下さる内容。

身近に、それも同じ職場に尊敬できる素敵な女性が複数いることのすばらしさ。これも、私が海外での生活を経験しなければ得られなかった境遇でもある。

私も夢をはっきり持ちながら、海外へ赴任するチャンスをつかみたい。

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右脳セミナー 1回目

2009-11-06 21:58:25 | ぼっとん

右脳セミナー報告 

このセミナーは4回シリーズらしい。(次回は忘年会で出られない・・・・)

今日は1回目とあって、導入があり、ちょっと興味を惹く内容のはしりを見せてもらったという感じ・・自分が授業を持ち始めてからというもの、この導入が結構大切だということ日々体感しているので、興味をもって聞いていた。

右脳の大切さと同じくらいに講師が力を込めていたのが、右脳の能力を疎外する、破壊するもの。なんとその筆頭にあげられたのが、メールだった。

右脳の世界はイメージの世界。関連するイメージを膨らませ広げていく。いうならば想像力の世界だ。左脳が知識の脈絡のない羅列であることと対するらしい。

ふと、最近あった、メールでのすれ違いのことを思い出していた。

私は、今日のセミナーを聞いて思ったのだが、どちらかというと右脳の世界に近い発想をするようだ。様々の出来事が風景として浮かび、その中での人々の感情の動きなどに非常に敏感である。考えすぎるきらいもあるのだが・・・・・。

右脳が発達している人、風景を文章で描ける人は、実は自分の持つイメージが強すぎて、言葉を自分の描く風景の中に、当てはめてしまうのではないだろうか。

同じような人間が二人でメールのやりとりをすると、違った風景の中での思い込みで、相手が何を聞いているのか、求めているのかが理解できないのではないかと思った。誠実に一生懸命考えているのだが・・・・。

結果、微妙にずれていくやりとりに、メールの回数は増える。まさか、そうじゃなくて・・・とは、言えないから婉曲に方向を変えようとするのだが・・・婉曲では風景を変えることはできない。

セミナーの講師曰く、会って話すことが大事。人間同士、目の動き、雰囲気、そして言葉、五感を使って会話しているのだからメールでのやりとりは不毛だと・・・。確かに一理ある。いったん誤解が発生すると、食い違いを分かって欲しくて何回もメールを返信することになり、結果 すごいエネルギーで知りたいのね~とか言われてしまう。いいえ、ただ、私のメールをわかってよ~と言いたいだけなのに・・・。

でも、私にも分かることがある。私は生徒と接するとき、必ず目を見る。言葉には表さない感情を人は目であらわす。大丈夫です と口では言いながら、不安そうな目をしている生徒もいる。言葉で表わすこと事体が簡単ではないことを、私は一番感じているはずだった。

一生の間で、同じ時と、場所と、価値観を共有できるチャンスをもてる人が何人いるだろう。どんな出会いであっても、お互いが選ばれる運命のようなものを感じてもいる。

そうね。会って、目をみて話してこそだよね。 本当に右脳セミナーに出てよかった。メールはアポイントのみに使いましょうと、講師の方が勧めてておられました。

今度いつ会えますか?と、メールを書いた方が、よさそうだ。

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右脳開発にトライする

2009-11-06 04:06:29 | シュワッチ

人間の脳の97%は右脳らしい。

脳の話に興味をもったのはUSにいた頃。異文化の中で、カルチャーショックに気付かず、自己否定が続いた頃だ。何気なく友達が貸してくれたCDは脳のメカニズムについて語られたセミナーのものだった。

聞いても聞いても???。何回聞いただろう、理解できるまで聞いた。そのCDの中で語られていることが理解できたとき、実は非常に気持ちが楽になった。脳というか、感情が意識してコントロールできるのだと確信できたからだった。

次のキーワードは 夢がかなう 。夢をかなえる脳に変える という意識をもって、苫米地英人シリーズを読み漁った。彼の話は潜在脳に自分の成功をイメージさせるというものだが、なんとも魅力的でポジティブな生き方を自然に選択するwayがそこにはある。

次に右脳。左脳の狭いエリアの中で思考が繰り返されると、新しい記憶が入る毎に、選択された古い記憶が左脳から追い出されるという。もし、右脳を使えば97%もの広いエリアで、記憶は深くキープされる。

右脳を意識的に使うという感覚を理解したくて、月一回のセミナーに今日から参加する。未知との出会いにわくわくしている。

記憶・・・。人間は、忘却の動物だが、忘却するからこそ長く生きていかれるという話を聞いたことがある。確かに、失敗したこと、しでかした悪事?(はは・・・これはどういう意味だ・・)、いつも記憶の中にあっては、毎日が懺悔の中にあることになる。生きていくのも苦行になる。

心の中に深く刻まれる記憶が、人生にとっての大きなトピックばかりかというとそうでもない。何気ない日常の、何気ない細やかな気持ちが、幼い日の記憶であることも多い。いえ、そちらの方が多いのかもしれない。

自身の体の中でおこっていること。忘却の選択基準って何なのだろう。逆に何が脳に深く刻まれるのだろう・・・。自分のことなのに、自分で理解できない世界であることは間違いない。

わくわく脳セミナーのご報告はまたいずれ・・・。仙台圏の方はご一緒しませんか?人生に違う局面が訪れるかもしれませんよ。^^

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