柿の実

旅のこと、大好きな猫のこと、おいしい食べ物のこと、
日々の諸々をつづりたいと思います。

フイアカー

2008-04-30 | ウィーン・プラハ旅行
この馬車は、シュテファン寺院の前にたくさん止まっています。

観光用の馬車で、フイアカーと言うそうです。

石畳の道を、ポクポク音をさせながら歩く様子は

まるで、中世の町にタイムスリップしたかと思ってしまいます。

でも、やっぱり御者さんが携帯電話など使っていて

現代であることを、再認識させてくれます。
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石畳の横断歩道

2008-04-30 | ウィーン・プラハ旅行
ヨーロッパは、石畳の道路が多いと言いますが、
まさにウィーンも、石畳の多い町です。

急いで歩く時には特に、足首を捻挫しないように気をつけないといけません。

日本では、道路は舗装して直すのですが、
ヨーロッパでは、石のタイルを張り直します。

道路を車が走る音も、ちょっとチェーンを巻いて走っているような
音がします。

もちろん、横断歩道も石でデザインされています。
風情があって素敵ですよね。

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モーツアルトハウス 2

2008-04-28 | ウィーン・プラハ旅行
モーツアルトが、ある婦人に出した手紙により
その婦人から送られた、フロックコートです。

モーツアルトは、その手紙の中で、
あるボタンに合うフロックコートは、どこで手に入れられるかと
尋ねています。

そして、このフロックコートを手に入れたのです。

映画「アマデウス」の世界がここにありました。

モーツアルトハウスは、携帯のガイドする機械があり、
もちろん日本語のガイドもあるので、
楽しかったです。
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モーツアルトハウス

2008-04-28 | ウィーン・プラハ旅行
モーツアルトが、3年間住んだ家からの眺めです。

この家で、彼の代表作オペラ「フィガロの結婚」が作曲されたそうで、
改装前は「フィガロハウス」と言われていましたが、
今は、「モーツアルトハウス ヴィエンナ(ウィーン)」といいます。

彼も、窓からこの景色を眺めたのでしょうか。

いかにもヨーロッパに来た感じがして、シャッターを押した一枚です。
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シューベルト記念館 4

2008-04-28 | ウィーン・プラハ旅行
シューベルト記念館に展示されている、
彼の愛用した眼鏡です。

確かに、音楽の教科書や、音楽室で見た、
彼の肖像画は、こんな眼鏡をかけていました。

今でも、おしゃれな眼鏡に見えます。
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シューベルト記念館 3

2008-04-28 | ウィーン・プラハ旅行
シューベルト記念館の内部には、
彼の愛用した楽器が、展示されていました。

シューベルトは、今で言うシンガーソングライターの様な
人でもあったそうで、600以上の歌曲を作曲し
自ら、ギターなども演奏したそうです。

31歳という若さで亡くなりましたが、
ベートーベンは、死の直前に彼と出会い
「なぜもっと早く知り合うことが出来なかったか」と、
嘆いたほど、天才だったそうです。

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シューベルト記念館 2

2008-04-28 | ウィーン・プラハ旅行
シューベルト記念館の入り口を入ると、

中庭と、奥に庭が開けます。
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シューベルト記念館

2008-04-28 | ウィーン・プラハ旅行
田園散策から、ウィーンの町に行き、

シューベルト記念館を見学しました。

ここは、入り口です。
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ハイリゲンシュタット遺書の家

2008-04-28 | ウィーン・プラハ旅行
ベートーベンは、ドイツのボンで生まれ、
ウィーンへ居を構えたのは22歳の時です。

夏の間は、ハイリゲンシュタットなど
ウィーンの森で過ごすことを好んだそうです。

しかし、聴覚に異常をきたした時
この家で遺書を書くほど絶望したそうです。
と言うことで、遺書の家と呼ばれています。

ベートーベンは、この後、英雄や運命などを生み出しました。
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郵便受け

2008-04-27 | ウィーン・プラハ旅行
ハイリゲンシュタットの住宅の郵便受けには、

よく、この、「足の生えたホルン」の絵が描いてありました。

これは、何のマークなのでしょうか?

昔の郵便配達さんは、ホルンを吹いて歩いたのでしょうか?

いわれは、さっぱりわかりませんが、

これも、かわいらしいデザインだったので、カメラに収めておきました。
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