市場の賑やかな道を一歩入ったら、静かな公園がありました。
この公園は「中山公園」と言い、日本統治時代、大正元年(1912年)開園だそうです。
当時は「南投公園」と言う名前でした。

公園の中は、多くの人が散歩していました。車椅子のご老人も多く見られ、太極拳をしている人もいました。

ピンクの美人樹の花も咲いていました。

敷地内には、かっての物産陳列館だった建物も残っています。

淀みでは、睡蓮の花が咲いていました。

ガジュマルの大木では、たくさんのリスが駆け回っていました。


これは、焼き物の釜のようでした。

また、昔、製糖工場でサトウキビの運搬のために用いられていた、日本製のディーゼル機関車も展示保存されていました。
この機関車の軌道は、トロッコ列車の軌道のように細くて驚きました。
この公園は「中山公園」と言い、日本統治時代、大正元年(1912年)開園だそうです。
当時は「南投公園」と言う名前でした。

公園の中は、多くの人が散歩していました。車椅子のご老人も多く見られ、太極拳をしている人もいました。

ピンクの美人樹の花も咲いていました。

敷地内には、かっての物産陳列館だった建物も残っています。

淀みでは、睡蓮の花が咲いていました。

ガジュマルの大木では、たくさんのリスが駆け回っていました。


これは、焼き物の釜のようでした。

また、昔、製糖工場でサトウキビの運搬のために用いられていた、日本製のディーゼル機関車も展示保存されていました。
この機関車の軌道は、トロッコ列車の軌道のように細くて驚きました。