あの試合の結果に「馬鹿正直」とは何事かと:
昨7日夜のキリンカップサッカーの対ボスニアヘルツエゴビナの決勝戦を、私はそれなりに近年希に見る「良くやった」と評して良い試合だと思って見ていた。結果的にはFIFAのランキングとやらの違いがここぞという時に表れるものだと、痛感させられてしまったのだった。
先ずは良かったと思っていたことから採り上げてみたい。それは後半に2点目を取られた辺りまでは全員が良く動いて、際どい場面でも何とか競り負けていなかったし、当たられ負けも少なく、当たりに行って反則を取られたほどやる気になって動き回っていた激しさがあった点を言う。更に言えば、香川と本田を欠いていたので、それだから駄目だったと言われないようにして見せるという気迫も感じ取れたのが良かった。
右利きばかりが集まったサッカーでは、どうしても攻めるのが左サイドに偏ってしまうものだが、昨夜はその左側に宇佐美と長友を置いた為に何度かチャンスが出来て先取点に繋がったのだった。左側にいると決定的なシュートをする場合に右足で蹴れるのが有り難いのだが、右側にいる者は左から来たパスを左足で蹴るのが最も合理的なのだが、左が利き足でない者はその点で苦しむのだ。昨夜は決めた清武はそれ故にかなり苦しい形で左足で引っかけていたではないか。それでも宇佐美の強引とも言える見事なキープを無駄にせずに先取点にしたのは良かった。
後半の20分過ぎだったかに2点目を取られるまでは、柏木(松木が「何処にいるのか?」という意味のことを言っていた)と浅野を除いては全員が持てる力を発揮して格上の相手に良くやっていたと思う。監督が柏木を後半早々に替えたのは、それ故に意味があったと思う。浅野は未熟で何度もオフサイドをとられた飛び出しがあって積極的があったのは良かったが、広島で交代要員である者を90分間使い続けた監督の意図は理解出来なかった。決勝戦は彼の為の養成期間ではないはずだ。結果として浅野が未熟だった為に後半の絶好のフリーのチャンスを逃したのも監督の失態である。浅野が試合終了後に涙を流す場面をテレビ中継で何度も見せたが、あれは何の目的があったのか。未だ未だ国際試合で残念がってみせるまでの選手ではない。
もうここまでで悪い点を指摘し始めていた。私は最も良くなかったのが監督采配であり、試合後の談話で選手たちを「馬鹿正直」と罵ったことが悪いのだと決めつけたい。采配の方では、折角良くやっていた中心選手である長友、長谷部、宇佐美、岡崎を引っ込めていった意図が解らないのだと言いたい。それでなくとも香川が不在で清武が何とかチョコマカとやっていたのに、そのパスを受け手だった宇佐美を引っ込め、得点感覚に優れた岡崎を抜いては試合放棄みたいなものではないのか。長谷部も「何時ものように中盤で地味に繋いでいたのに」だ。宇佐美を除けば皆欧州組で外国人相手に競り負けないサッカーがある程度出来ているのに、その連中をJリーグで何とか出来ている程度の者に替えた意図は理解出来ない。苟も決勝戦である。その場で経験を積ませようとしたのならば不見識だ。
呆れ返ったのが「馬鹿正直」発言である。彼は日本に来てから何年経ったか知らないが、少しは我が国の文化(言語・風俗・習慣を指す)と思考体系が欧米の諸国と違うことを学ぼうとしたのだろうかと真剣に疑ってしまう。ここは性善説を無邪気に信奉する世界にも珍しい国だ。恐らく何ら理解していないのだろう。それだけではない、我が国で如何なるサッカーを子供の頃から教えているかを、少年サッカーや中学や高校を回って視察したことがあるのかと疑う。いや、知らないのだろう。
我が国の代表たちが過去大きな世界大会で何度もフェアープレー賞を取ってきたかご存じかと問いかけたい。そういう清く正しく美しいサッカーを子供の頃から教え込まれているのだと知るべきではないか。不肖私は高校の頃に国体の決勝戦まで行ったサッカー部にいたが、実にフェアーなサッカーを教えられてきた。彼は「我が国のある大学のフットボール部がアメリカの一流コーチを招聘して教えを請うた際に、先ず教えられたことが「何処までやれば反則に取られるかだったので、驚愕した」という話を知っているのだろうか。また、我が国の審判団が細かい反則を、それこそ馬鹿正直に取るので、選手たちは危ないプレーをするまでには至らないのだと承知しているのだろうか。
私は昨夜の試合は香川と本田が不在であっても、格下が善くぞあそこまでやったと評価していた。残念ながら監督がその良くやっていた者をたちを格下の選手に替えて、負けなくても良かったかも知れない試合を落とした責任は重大だと思う。松木でさえ、後半になってから動きが鈍ってきたと指摘したが、それはあの交代要員ではそこまでの者たちだったということで、監督は自らの不明を恥じるべきだ。実力に差があったとは言え、残念な1点差の負けだった。
昨7日夜のキリンカップサッカーの対ボスニアヘルツエゴビナの決勝戦を、私はそれなりに近年希に見る「良くやった」と評して良い試合だと思って見ていた。結果的にはFIFAのランキングとやらの違いがここぞという時に表れるものだと、痛感させられてしまったのだった。
先ずは良かったと思っていたことから採り上げてみたい。それは後半に2点目を取られた辺りまでは全員が良く動いて、際どい場面でも何とか競り負けていなかったし、当たられ負けも少なく、当たりに行って反則を取られたほどやる気になって動き回っていた激しさがあった点を言う。更に言えば、香川と本田を欠いていたので、それだから駄目だったと言われないようにして見せるという気迫も感じ取れたのが良かった。
右利きばかりが集まったサッカーでは、どうしても攻めるのが左サイドに偏ってしまうものだが、昨夜はその左側に宇佐美と長友を置いた為に何度かチャンスが出来て先取点に繋がったのだった。左側にいると決定的なシュートをする場合に右足で蹴れるのが有り難いのだが、右側にいる者は左から来たパスを左足で蹴るのが最も合理的なのだが、左が利き足でない者はその点で苦しむのだ。昨夜は決めた清武はそれ故にかなり苦しい形で左足で引っかけていたではないか。それでも宇佐美の強引とも言える見事なキープを無駄にせずに先取点にしたのは良かった。
後半の20分過ぎだったかに2点目を取られるまでは、柏木(松木が「何処にいるのか?」という意味のことを言っていた)と浅野を除いては全員が持てる力を発揮して格上の相手に良くやっていたと思う。監督が柏木を後半早々に替えたのは、それ故に意味があったと思う。浅野は未熟で何度もオフサイドをとられた飛び出しがあって積極的があったのは良かったが、広島で交代要員である者を90分間使い続けた監督の意図は理解出来なかった。決勝戦は彼の為の養成期間ではないはずだ。結果として浅野が未熟だった為に後半の絶好のフリーのチャンスを逃したのも監督の失態である。浅野が試合終了後に涙を流す場面をテレビ中継で何度も見せたが、あれは何の目的があったのか。未だ未だ国際試合で残念がってみせるまでの選手ではない。
もうここまでで悪い点を指摘し始めていた。私は最も良くなかったのが監督采配であり、試合後の談話で選手たちを「馬鹿正直」と罵ったことが悪いのだと決めつけたい。采配の方では、折角良くやっていた中心選手である長友、長谷部、宇佐美、岡崎を引っ込めていった意図が解らないのだと言いたい。それでなくとも香川が不在で清武が何とかチョコマカとやっていたのに、そのパスを受け手だった宇佐美を引っ込め、得点感覚に優れた岡崎を抜いては試合放棄みたいなものではないのか。長谷部も「何時ものように中盤で地味に繋いでいたのに」だ。宇佐美を除けば皆欧州組で外国人相手に競り負けないサッカーがある程度出来ているのに、その連中をJリーグで何とか出来ている程度の者に替えた意図は理解出来ない。苟も決勝戦である。その場で経験を積ませようとしたのならば不見識だ。
呆れ返ったのが「馬鹿正直」発言である。彼は日本に来てから何年経ったか知らないが、少しは我が国の文化(言語・風俗・習慣を指す)と思考体系が欧米の諸国と違うことを学ぼうとしたのだろうかと真剣に疑ってしまう。ここは性善説を無邪気に信奉する世界にも珍しい国だ。恐らく何ら理解していないのだろう。それだけではない、我が国で如何なるサッカーを子供の頃から教えているかを、少年サッカーや中学や高校を回って視察したことがあるのかと疑う。いや、知らないのだろう。
我が国の代表たちが過去大きな世界大会で何度もフェアープレー賞を取ってきたかご存じかと問いかけたい。そういう清く正しく美しいサッカーを子供の頃から教え込まれているのだと知るべきではないか。不肖私は高校の頃に国体の決勝戦まで行ったサッカー部にいたが、実にフェアーなサッカーを教えられてきた。彼は「我が国のある大学のフットボール部がアメリカの一流コーチを招聘して教えを請うた際に、先ず教えられたことが「何処までやれば反則に取られるかだったので、驚愕した」という話を知っているのだろうか。また、我が国の審判団が細かい反則を、それこそ馬鹿正直に取るので、選手たちは危ないプレーをするまでには至らないのだと承知しているのだろうか。
私は昨夜の試合は香川と本田が不在であっても、格下が善くぞあそこまでやったと評価していた。残念ながら監督がその良くやっていた者をたちを格下の選手に替えて、負けなくても良かったかも知れない試合を落とした責任は重大だと思う。松木でさえ、後半になってから動きが鈍ってきたと指摘したが、それはあの交代要員ではそこまでの者たちだったということで、監督は自らの不明を恥じるべきだ。実力に差があったとは言え、残念な1点差の負けだった。