新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月22日 その2 BNPを考えると

2016-06-22 12:44:53 | コラム
1300でも生存した私:

渡部亮次郎氏主宰のメルマガの「頂門の一針」第4032号で石岡荘十氏が”BNP”を採り上げておられましたが、私は昨年の前半には心不全で入退院を繰り返しており、その際に私のBNPが最悪期には1300にも達していたことを掲載しておりました。BNPは心不全のマーカーと考えていれば良いでしょう。石岡氏は「100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。」と指摘しておられました。私は昨年の前半に心不全で入退院を繰り返していた頃にこれを採り上げていましたが、昨年12月にこのPCが故障して修理に出した際に記録が消えましたので言わば証拠がありません。

しかし、その1300という恐るべき検査値でも国立国際医療研究センター病院では入院中からリハビリを開始して、20分間のストレッチの後に、心電図の端子を装着し血圧計も腕に巻いてエアロバイクを20分間も漕いでいました。結果的にはそれで何ともなく、最初は理学療法士も「そんな患者さんにやらせて良いのか」と懸念していましたが、無事に退院出来て、その後は外来でリハビリを続けていました。

また、2006年に右目の下の皮膚癌を切除した後のフォローアップで定期的に診て頂いている皮膚科の医師は「まさか貴方が歩いて入ってくるとは思わなかった。通常は車椅子で来るべき数値」と言って驚かれました。その後、体調が回復するに伴ってBNPの値はそれなりに下がっては来ましたが、6月13日の検査では268.5、4月19日には669と悪化していました。これは最早慢性心不全と言うべき値で、主治医である循環器科の医長先生もそう言われます。

しかしながら、主治医は今年の1月からジムに通うことを許可されましたし、リハビリでやっていた程度よりも一寸厳しい運動も続けております。私には良く解らないのですが、恐らくこの数値には個体差があって、私の場合はそれでも何となく普通に日常生活が出来ているのだと思っております。主治医は血液検査の数値を見て、寧ろ腎臓が弱り気味である方を懸念しておられます。これは2006年1月の最初の心筋梗塞発症以来恐らく10回以上は受けたであろうカテーテルによる検査とstent留置の処置の際に造影剤を使ってきたので、腎臓に影響が出たという診断(解釈)になっています。

舛添劇場の幕が下りた

2016-06-22 07:25:15 | コラム
少し悪い後味が残った:

舛添前都知事は「自らの不徳の致すところ」との反省の弁は述べていたが、あのマスコミが挙って舛添批判を繰り返していた時には、今にして思えば、舛添擁護の声が一切上がっていなかったし、かく申し私も懸命になって舛添を非難していたものだった。だが、心の中では(「私の中では」ではない、念のため)そこには懸命になって「私流の批判と非難であって、マスコミに迎合したり乗せられていた訳ではない」と何となく自分を正当化していたのは確かだった。

考えてみれば、政治関連では週刊文春が甘利元大臣の件に続いてものにしたスクープであり、週刊誌に先を越された新聞とテレビが懸命になって追随した結果で事は当に「お国の一大事」の如くになっていたのだった。私は既に舛添前都知事が初動の不手際があって、あれほどの少額の政治資金の公私混同があれほどの大事件になってしまったと言える気もする。舛添前都知事は事の発端の時に潔く謝っていれば「水に落ちた犬は撃たない」我が国の謝罪の文化の下では、あそこまでの激しい一斉攻撃は受けなくても済んだのではないかとすら、今になって考えている。

此処でも「今にして思えば」だが、昨日だったか何処かの局で都政の専門家に「舛添氏の都政運営には良いところがあったのか」と尋ねたことを報じていた。その専門家によれば「彼は都の職員から上がってくる提案を比較的良く聞き、必要と判断すれば直ちに行動に移していた点はこれまでのと知事とは違う積極性があった」と解説していたのが印象的だった。ケチではあったが、評価すべき点はあったという意味に解釈して聞いていた。どうも、舛添前都知事は致命的な失政があって辞職に追い込まれたのではなかった。

解釈の仕方でもあるだろうが、彼のお金の使い方の公私混同が、たとえ政治資金規正法上では違法ではなかったにもせよ、彼の行政面で良かっただろう点を無残にも消し去ってしまったのかだろうと言えるのではないか。そう考えてみれば、猪瀬元都知事も何か大きな過ちを犯したとは聞いた記憶がない。

私には舛添氏を擁護する気などサラサラないが、週刊文春によってつけられた火があれほど燃えさかり、そこに参議院選挙が目前に迫っては自民・公明も楽観を許されない情勢になってしまい、不信任案提出に至ってしまったかと言える気がする。私には文藝春秋社が何を意図して政治家を狙い澄ましたようなスクープを連発するのかなどとても解らないが、それが狙いだったのかあるいは単に結果的にそうなったのか、国政と都政混乱と停滞をもたらしたことは重大だと思っている。いや、文藝春秋社には責任があるのではないかとすら感じている。それがジャーナリズムの使命だと言われればそこまでだが。

余談になるかも知れないが、昨夜のPrime Newsで日本大学・危機管理学部の先崎彰容教授が「引きずり下ろし民主主義」と言っておられたのは印象的だったし、興味ある表現だと思う。