全て計算し尽くした上での言動では:
今日はテレビ各局でそれぞれが政治評論家、OBも含めた通信社の論客、弁護士を並べて都議会における都知事の所信表明演説を肴に、ではなかった基にして、舛添都知事の今後がどのようになっていくかを論じていた。私はそもそもが舛添逃げ切り説だったのだが、本日の専門家の方々の論調を聞いて益々当面の辞職などはあり得ず、都議会の会期切れまでは何らの確たる進展はないのではと疑う、いや確信するようになった。
それは如何に有能な辞め検弁護士さんがお二人で精査されようとも、出てくる結果は精々政治資金の公私混同が関の山で、刑事犯となるような性質の事案もなく、その私用だった分の返金で済ませようとする魂胆が見え見えだと思うからだ。だが、私は彼が任期一杯辞職しないだろうとは言っていない。恐らく、彼が既に仄めかして(ほざいていたか?)いたように、リオデジャネイロ(本筋とは離れるが、マスコミは何で「リオ」と略すのかな?!)にオリンピックの旗を次期開催地の知事として貰いに行くのを花道と心得ていると信じているから言うのだ。
彼の名誉欲と吝嗇とでも形容したい金銭に対する執着振りから推察すれば、現在の四面楚歌の声を聞く状態で綺麗さっぱりと自ら都知事を辞職することになれば、それは最早政治家としての生命を絶たれた野垂れ死ににも等しい惨憺たる結末になってしまうくらいは、彼の明晰な頭脳は判断しているだろうと読む。そこで、無事に旗を持ち帰った後で我が事成れりとばかりに「お国の為に」とでも称して辞任する気だと疑っている。
私はそれを許していまいそうなだらしがない連中が集まっているのが、都議会の自民・公明の両党の実態だろうと思えて仕方がない。彼らの所信表明演説後の反応を見ていれば、彼らのお粗末な知恵では到底舛添の優れた悪知恵に勝てるとは思えないのだ。せめて、この一文に奮起して舛添降ろしに奮励努力してくれることを、少しだけ期待して終わる。
今日はテレビ各局でそれぞれが政治評論家、OBも含めた通信社の論客、弁護士を並べて都議会における都知事の所信表明演説を肴に、ではなかった基にして、舛添都知事の今後がどのようになっていくかを論じていた。私はそもそもが舛添逃げ切り説だったのだが、本日の専門家の方々の論調を聞いて益々当面の辞職などはあり得ず、都議会の会期切れまでは何らの確たる進展はないのではと疑う、いや確信するようになった。
それは如何に有能な辞め検弁護士さんがお二人で精査されようとも、出てくる結果は精々政治資金の公私混同が関の山で、刑事犯となるような性質の事案もなく、その私用だった分の返金で済ませようとする魂胆が見え見えだと思うからだ。だが、私は彼が任期一杯辞職しないだろうとは言っていない。恐らく、彼が既に仄めかして(ほざいていたか?)いたように、リオデジャネイロ(本筋とは離れるが、マスコミは何で「リオ」と略すのかな?!)にオリンピックの旗を次期開催地の知事として貰いに行くのを花道と心得ていると信じているから言うのだ。
彼の名誉欲と吝嗇とでも形容したい金銭に対する執着振りから推察すれば、現在の四面楚歌の声を聞く状態で綺麗さっぱりと自ら都知事を辞職することになれば、それは最早政治家としての生命を絶たれた野垂れ死ににも等しい惨憺たる結末になってしまうくらいは、彼の明晰な頭脳は判断しているだろうと読む。そこで、無事に旗を持ち帰った後で我が事成れりとばかりに「お国の為に」とでも称して辞任する気だと疑っている。
私はそれを許していまいそうなだらしがない連中が集まっているのが、都議会の自民・公明の両党の実態だろうと思えて仕方がない。彼らの所信表明演説後の反応を見ていれば、彼らのお粗末な知恵では到底舛添の優れた悪知恵に勝てるとは思えないのだ。せめて、この一文に奮起して舛添降ろしに奮励努力してくれることを、少しだけ期待して終わる。