新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月2日 その4 あらためて舛添都知事の逃げ切りを信じた

2016-06-02 16:56:24 | コラム
全て計算し尽くした上での言動では:

今日はテレビ各局でそれぞれが政治評論家、OBも含めた通信社の論客、弁護士を並べて都議会における都知事の所信表明演説を肴に、ではなかった基にして、舛添都知事の今後がどのようになっていくかを論じていた。私はそもそもが舛添逃げ切り説だったのだが、本日の専門家の方々の論調を聞いて益々当面の辞職などはあり得ず、都議会の会期切れまでは何らの確たる進展はないのではと疑う、いや確信するようになった。

それは如何に有能な辞め検弁護士さんがお二人で精査されようとも、出てくる結果は精々政治資金の公私混同が関の山で、刑事犯となるような性質の事案もなく、その私用だった分の返金で済ませようとする魂胆が見え見えだと思うからだ。だが、私は彼が任期一杯辞職しないだろうとは言っていない。恐らく、彼が既に仄めかして(ほざいていたか?)いたように、リオデジャネイロ(本筋とは離れるが、マスコミは何で「リオ」と略すのかな?!)にオリンピックの旗を次期開催地の知事として貰いに行くのを花道と心得ていると信じているから言うのだ。

彼の名誉欲と吝嗇とでも形容したい金銭に対する執着振りから推察すれば、現在の四面楚歌の声を聞く状態で綺麗さっぱりと自ら都知事を辞職することになれば、それは最早政治家としての生命を絶たれた野垂れ死ににも等しい惨憺たる結末になってしまうくらいは、彼の明晰な頭脳は判断しているだろうと読む。そこで、無事に旗を持ち帰った後で我が事成れりとばかりに「お国の為に」とでも称して辞任する気だと疑っている。

私はそれを許していまいそうなだらしがない連中が集まっているのが、都議会の自民・公明の両党の実態だろうと思えて仕方がない。彼らの所信表明演説後の反応を見ていれば、彼らのお粗末な知恵では到底舛添の優れた悪知恵に勝てるとは思えないのだ。せめて、この一文に奮起して舛添降ろしに奮励努力してくれることを、少しだけ期待して終わる。

6月2日 その3 kazk様へ

2016-06-02 16:26:45 | コラム
kazk様

早速のコメントに感謝申し上げます。反論も異論もありません。特に


<大学ラグビーの選手を何人も見知っていますが、連中だって馬鹿じゃあない、教育学部の体育学専修やスポーツ科学部などにおり体育の教師などに第二の人生を振れるようにはしているのです。問題は国民全体がスポーツというものをもっと触れる環境、楽しめる環境というものを作り上げられるかどうかという気がします。健全な国民の多くが親しめるスポーツクラブ、というようなものは作れないでしょうかねえ。こういうところのインストラクターや指導者というのが引退プロにとっては一番だからです。>

との指摘は重要だと思いました。私は42歳頃から思いがけずに勧誘された四十雀クラブでリクリエーションとしてのサッカーを楽しみました。そこには嘗ての関東大学一部リーグの花形だった者もいれば、サッカー未経験者もいれば、私のように高校までは命をかけたような練習と試合に明け暮れしていた者もいました。しかし、ただ単に無作為で集まった集団だったので、所謂クラブの組織でもなく、後進の育成などは考えてもいなかったお遊びでした。こういうものではなく、欧米では本当のクラブがあるのは、仰せのように「スポーツ」というものに対する国家的な視野で見ている組織も人もいないのが問題なのでしょう。

話は大きく変わりますが、我々が現役の頃には体が大きいのは結構だが「大男総身に知恵が回りかね」的なものが多く、使えなかったのですが、今では全国的に体位が著しく向上し、欧米の一流どころについて行ける者が増えてきました。現在はそこまでで止まっていて、未だに残る身体的ハンデイキャップを如何に補っていくかを試行錯誤している気がします。松平監督の頃のヴァレーボールの巧みさを、成長した身体とその能力で補う方法を未だに開発し切れていないのかと見ております。

サッカーなどは、往年の全日本代表だった旧制中学・高校の上級生たちは「往年の水準から見れば信じがたいほど向上し、上手くなっている」と認めておられました。と、ここまで書いてきましたが、今言えるのはこの程度です。

最後に一言思い出話をすれば、故人になってしまった野球の衆樹(慶応大学からプロ入り、高校の2期下でした)が新制高校第一期生で入学し、いきなり野球のエースになった練習振りを一目見た我がサッカー部の監督が我々3年生を集めて「お前らは何をやっていたのだ。あれほどの素材を野球部如きにむざむざと取られたのは何だ」と雷を落としました。衆樹は高校1年で慶応の合宿に参加して練習とはいえノーヒットノーランを達成。それでも、慶応に進んで投手には使われず、プロでも外野手。野球には未だに優れた素材が集まるというか偏重している気がします。

6月2日 その2 男子ヴァレーボールの五輪予選に思う

2016-06-02 08:35:58 | コラム
善戦健闘しているとは思うが:

目下我が国で開催されているオリンピック最終予選で男子は大苦戦で、昨夜はイランに負けたために出場権(何でマスコミは「切符」と表現するのだろう。それでも「チケット」と言うよりましか?)を取ることは難しい状況に追い込まれた。女子は既に韓国に負けてはいたが出場権を取っている。余りヴァレーボールに詳しくない私でも何とか勝たせて上げたい気はするが、テレビ観戦は余り気が進まない。その理由の最たるものは、協会なのかテレビ局の悪趣味かどうか知らないが、ジャニーズのBAKAガキどもを応援に繰り出すいやらしさと、とても解説とは言いがたい応援団の如き川合が出てくることが好みではないからだ。

だが、昨夜もプロ野球のセパ交流戦の複数の試合とを、気の向くままにチャンネル変えて一寸だけヴァレーボールも観戦してみた。結論めいたことを先に言えば「W杯とスーパーリーグに参加してあれほど善戦健闘し、あと一息のところまで進歩発展したラグビーに似たところが多々認められる点があるのと同じ程度に、世界の水準に付いて行っていると評価している。即ち、全てが世界水準にもう一息であり、その残された一息の不足が昨夜のような敗戦となる原因だと言いたいのだ。

ラグビーについてはkazkさんのブログへのコメントで大いに啓蒙して頂き感謝している次第で、大分以前よりは見方というか評価の基準を変えてきた。だが、ヴァレーボールの川合の応援団風の解説(サッカーも松木安太郎の似たようなものだが)では「何が問題点で世界の強豪国に負けるのか、何を改善すべきか」が一向に見えてこないのだ。

実は、川合と雖も先刻承知なのだろうが、外国勢と決定的に違うのは身体能力でも体格の良し悪しでもなく「身長」なのである。その点を端的に表していたのが、2 m以上の背高のっぽを集めた中国にあれほどやられてしまったことが示していると思う。そのような違いを経験から言えば、アメリカ人の会社に入ってそれこそ裸のつき合いまでするようになり、彼らの体力と身体能力の下に設定された基準で1年365日動いてみると「ひょっとしてそこには人種的差があるのか」と疑うこともあった体の大きさ、就中身長の差があったのだ。

男子代表を見ていると、石川、柳田、清水、深津、米山等の技術水準の高さが決してイランその他に劣っていないと解る。だが、その技術と技巧も身長の差の前には決定的な時には雲散霧消する結果になって現れて「もう一息、もう一歩だった」との嘆きに変わるのだ。ラグビーはその世界の規定で外国人を入れて補うことが可能になったし、前任のジョーンズ監督の厳しい指導でW杯でも、あれだけの結果となって現れた。

私は外国勢を入れたラグビーに残された課題は、プロ野球が採用している所謂「助っ人」たちの「自己中心」というか、カタカナ語に言う「フォア・ザ・チーム」的ではない勝手気ままなプレー振りを何処まで排除して、日本式な「全体のために」精神を身につけさせるかにあると思っている。ラグビーはそれで相当程度補えるだろうが、如何せん、遺憾ながら、ヴァレーボールには身長の差は一朝一夕では補いきれないのだ。

ヴァレーボールの場合は「上手いことは上手いのだが・・・・」状態を如何にして脱するのかは、これからも課題として残るだろうが、ジョーンズ監督方式の鍛え方を採用するのはどうなのだろうか。それにしても180 cmの身長では小さく見えるものばかりが揃っている辺りは、我が国にも人種的な変化が生じたかと今昔の感に堪えない今日この頃だ。


糖質ダイエット

2016-06-02 07:52:28 | コラム
如何なものかな:

糖質ダイエットなるものが流行しており、レストランだか食堂だかで100人に米飯を残すかどうかの調査をしたところ30人が残すと答えていたと、何処かの局が報じていた。これは米飯には糖質が多いからだと信じている者が増えた証拠だと思う。残された米飯の処理にレストラン側は困っているとも言っていた。また、パンに含まれている糖質は米よりも遙かに多いとも報じられている。

昨年前半に深刻な心不全で入退院を繰り返していた当方は、病院で受けた減塩食の厳密な栄養指導では「米飯が最も塩分の含有量が少ない食品」と聞かされたし、病院食の一食の米飯は150 gm.もあった。これは食べてみれば解るが、体力が衰えていた患者にはかなりの量で、食べきれるものではなかった。と言うことは、糖質は十分に摂っても良いとなるではないか。

さて、昨日は長年通っている理髪店の予約時刻の都合もあって、11時35分に新宿副都心の吉野家で何年ぶりかの牛丼の昼食とすることにした。昼時とあってビル街の真っ只中にある吉野家は満員だった。当方は当然のように「ご飯少なめ」を注文した。すると店員は大声で「丼、軽」と叫んで調理場に発注した。チャンと符牒まで出来ているのかと半ば感心した。

するとどうだろう、後から後から入ってくる勤め人たちの中には「軽派」がかなりいたのだった。彼らは消費税率引き上げを再延期するような不景気の下で懸命に日夜健闘しておられる「企業戦士」のはずである。それにも拘わらず、腹一杯に米を食べないで元気とエネルギーを補充出来るのだろうかと、一寸心配になってきた。しかも、その注文は女性ではなかったのだから、余計に気懸かりだった。

一方で血糖値の心配をしながら、かなり辛めと感じた汁をかけた牛丼を食べる矛盾はどうなるのかなと、余計な気を遣った一時だった。酒も煙草も嗜まない私に言わせて貰えば、そんなに心配ならばよるの「一寸一杯」を控えればどうかとも言いたくなるが、その私が心筋梗塞に何度も襲われたのだから、節制とは如何なるものかとも言える気がする。

そんなことを言う君は減塩食の励行を怠っているのかと尋ねられそうだが、昨年の今頃よりは基準を緩和している。即ち、寿司や刺身に醤油を使うことは控えているし、納豆は減塩醤油で食べてるし、基本的にはラーメンは食べないようにしているが、偶に食べても汁を飲むことはしない。去年は所謂総菜パンなどを買う時には懸命に包装に塩分が含まれているか否か表記されているか否かを確認して買っていた。尤も、こうしていると食べられるパンなどはなくなってしまうのだが。幸いに現在は血液検査の結果は安定しているし、血糖値も常に100以下である。