新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月6日 その3 舛添都知事は都民の信頼回復に努めるのだそうだ

2016-06-06 18:51:46 | コラム
第三者の弁護士の調査報告の記者会見を見て:

舛添都知事はこの一連の問題が発生した当初から自信ありげに「全く問題ありません」と断言していた。私はその自信の根拠は政治資金の使途には違法性がないと確信していたからに他ならないと思っていた。但し、今回元検事だった二人の弁護士さんは「違法性はないが適切ではないか、不適切な使い方だった」と、舛添流の解釈では「問題なかったこと」を裏付ける結果を発表をされた。舛添氏は「厳しい結果が出た」と神妙に言ったが、想定内だったのではなかったか。

彼はその結果を踏まえて、記者たちが繰り出すほとんど意味がない質問を怖い顔をしながら慎重に受け流した。曰く「今後は粉骨砕身都民の為に働き、少しでも失われた信頼を回復していきたい。(進退は)ここで論ずるのは適切ではない。都議会の席上云々」と例によって聞かれたことには答えず、切り抜けたつもりだったのだろう。神妙な顔をすれば良いものじゃない。

結論を言えば、東京都民が今日を含めて彼が説明し、弁護士さんが解明して下さったことを基にして、「宜しい。解った。これからは舛添さんをご信頼申し上げて都政を引き続きお任せしよう」と言うかどうかである。先ずあり得ないだろう。既に、調査に答えた過半数が彼の辞任を望んでいるのだが、彼は今回の調査の結果で違法性無しだったのだから、留任(続投ではないよ)しても良しとなったと勝手に決めたのだろう。また、弁護士さん方の精査の結果でもそう出てくると踏んでいたのだろう。

何れにせよ、もうこれ以上都民の税金と時間を浪費しない方向に持って行って貰いたいのだ。だが、私は彼が自発的に辞職することは、リオデジャネイロのオリンピックが政治・経済の情勢が誠に不安定なブラジルで無事開催され、舛添都知事が大会旗を貰ってくるまでは先ず無いと踏んでいる。その為に適切ではない手段で蓄えた私費を投じて弁護士さんに精査を依頼したのだろうから。

6月6日 その2 中国の国家総動員法を考えよう

2016-06-06 15:26:27 | コラム
国家総動員法とは:

河添恵子氏が「2020年までに中国がこの法律を発動するのでは」と言われた意味をもう一度良く噛みしめて貰いたいのだ。そこには中国に進出している外国資本の会社も取り上げると書かれているのだ。中国を如何なる連中が支配しているかを知らなければ「そんな無法があるはずがない」と考えるのが普通だろう。だが、とてもそういう我が国の常識でははかりきれない国なのだ。

そうであれば、目下フィリピン等と揉めている南沙諸島の海域で「我が領土なり」という法律を作って、それを根拠にして堂々と埋め立てて軍事基地を設けて「如何なる国際法廷の判決にも服さない」としれっとして言うのだ。2010年に彼らが制定した法律だ。

好ましくなかった出来事だった

2016-06-06 07:53:39 | コラム
田野岡大和君一家と躾と言葉遣い:

私が「躾」ではなく「お仕置き」だろうと指摘した北海道での大捜索劇は意外な結果で終わった。捜索に投じられた多くの警察、消防団、自衛隊の経費は「仕事か任務である」事で田野岡一家の負担は無しとなったのも意外というか、何となく腑に落ちなかった。

この件では「親の子供に対する躾」があらためてマスコミの話題となって登場し、あれは虐待ではなかったかと児童相談所送りになったとも報じられた。昭和一桁生まれで時代感覚が違う私からは、この点について何か言うことはないが、後味は良くなかった。

但し、たった一つあの父親というか一家について好感が持てたし救いがあった事があったと言っておきたい。それはあの父親が自分を「お父さん」と称したことと、大和君も「お父さん」と呼んだことだ。何が言いたいのかと言えば「パパ」ではなかったこと。

それは、今や我が国ではマスコミ、就中テレビでは「お父さん」も「お父様」も死語と化していて、「誰々がパパになる」とか「~がママになる」という具合に何処の国の言葉を語源にしたのか私は寡聞にして解らないカタカナ語を嬉々として使っているのだ。その軽佻浮薄な言葉が流行っている現代に「お父さん」を使っていたのは大変結構だと言いたい。その言葉遣いの功績でこの度の「置き去り」の罪一等を減じて良いかとすら考えている。