新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの紙パルプ産業界の栄枯盛衰

2016-06-17 07:31:23 | コラム
時の流れは早く激しかった:

昨16日に日経が「日本製紙、米社から紙容器事業買収を発表 」と題した記事で、米社、即ち我がW社がかねてから売却の意向を表明していた液体容器原紙(ミルクやジュースの容器用の紙)事業を買収したことを報じた。

この買収が完了する時点で、私が1955年4月から1994年1月末までお世話になった日米の紙パルプ林産物メーカーが全て元の社名が残らないことになってしまうのだ。如何に時の流れがもたらした現象であっても、この産業界が此処まで凋落し変化してしまったのは本当に残念なことである。これでアメリカには大手の製紙を本業とするか、その大きな柱としていたメーカーが、世界最大の座を維持するInternational Paperを除いて全滅した形になってしまうという凄まじさだ。

即ち、アメリカにおけるICT化の進捗が如何に印刷(紙)媒体に大きな負の影響を与えたかが解ろうというもの。具体的な社名は省くが、私が在職中に新聞用紙、印刷用紙、段ボール原紙(箱)で最大手だったメーカーは、21世紀の今日全てアメリカの民事再生法である”Chapter 11”の適用を請願して整理し、再生してしまっている。何度も述べてきたが、新聞用紙の需要などは過去10年間で60%も減少したのだ。私はこの産業界どころか事業再編成の波が何時我が国の押し寄せてくるかと危惧し続けている。

余り回顧したくはないが、ご参考までに私がお世話になった日米の会社がどのように変わってきたかを手短に纏めてみよう。1955年に最初に入社試験を受けて採用された国策パルプ工業では直ちに直系の販売部門の子会社に配属されたのだったが、その国策パルプは山陽パルプとの合併を経て日本製紙(旧十條製紙)と合併してその社名も自社ビルも消滅した。子会社も三洋パルプの子会社と合併の後に日本製紙のグループ入りして元の社名は消えてしまった。

私は1972年8月にアメリカの大手製紙会社のMead Corp.に転身したのだったが、Meadもアメリカの板紙の大手メーカーだったWestvacoと合併して社名がMeadWestvaco(MWV)に変わってしまったが、そのMWVも昨年にRockTenと合併してWest Rockとなって、歴史と伝統あるMeadの社名も消えてしまった。私はこの時点で、まさかWeyerhaeuserの社名が消え去ることはないと思ってはいたが、今回社名はそもそもの出発点だった木材事業会社として残っても、自分が19年も所属した事業部が消え去ることになってしまったのだ。

会社や事業の栄枯盛衰や有為転変の激しさと早さはアメリカの社会では別に珍しいことではないし、経営者たちの重大な事案の判断は我が国とは比較しようもないほど敏速だ。感傷的になっている暇など許さない。それが良いか悪いかなどは「文化の著しい違い」で簡単には論じられないが、自分がお世話になった会社や事業部が社名とともに消えていくのは、最早引退した身ではあっても、何と言って表現して良いかに悩む寂しさがある。