新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ボスニアヘルツエゴビナとの敗戦に思う

2016-06-09 16:52:54 | コラム
実力は出し切ったが監督の器量と采配に問題があると思う:

私は香川と本田を欠き、尚且つ後半には残る主力の欧州組をJリーグ組に置き換えた選手起用をしたハリルホジッチ監督の、日本と欧州乃至は欧米との文化と思考体系の違いを未だ弁えていなかった采配に問題があると指摘したいのだ。私はあの顔ぶれでFIFAランキングで格上の相手に善くぞあそこまで出来たと思いながら見ていた。実力の差はあのフットボールで言う”time of possession”、即ちボールを支配した時間に如実に表れていたと思う。

自分でも高校2年の時だったか、関東大会に出て行ってそれまでは余り知らなかった埼玉県の春日部高校に惨敗した時に全くボールを触らせて貰えないままに試合が終わって負けたて際に「これが実力の差か」と思い知らされた経験があった。相手は強いはずで、そのまま立教大学に進んで全日本のメンバーにまで選ばれた者が2名もいたのだから仕方がなかったと知った。屡々「実力が出せずに」などという戯言をマスコミは言うが、それは間違いであり「最初からない力が出る訳がない」のだ。あの格下で主力抜きの日本代表は強敵相手に良くぞ至らない力を出して先取点までしたのだから褒めてやって良いと思う。

私は彼らなりに良く当たりに行っていたし、競り合いも何とか負けずにボールを取ったこともあったのを認めようと思う。格下が主力抜きで競り合いにも負けず、所謂「セカンドボール」も拾い続けていることはあり得ないだろう。前半までは近来希に見るほど良くやっていたと認めたかった。その力が尽きて僅かな隙に決勝点を取られたのは仕方がなかったのだ。それが実力の差なのだから。

その隙を無くすようにする為には何をすべきかを考えて指導するのが監督の役目だ。それを何を勘違いしたのか「馬鹿正直」などと言うのはお粗末の極みだ。前回も指摘したことで、我が国の清く正しく美しくフェアープレーの精神を尊び、他人を疑わぬ性善説を信奉する民族性も弁えずに「反則を貰いに行くプレーが出来ないとは馬鹿正直」とほざいたのは、我が国と欧米諸国間の文化と思考体系の違いを学ぼうともしなかった監督の不行き届きだ。尤も、かく申し私は鈍感で「日米企業社会における文化の違い」に目覚めるのに10年を要したので、ハリルホジッチ君を責めるのは気の毒かも知れないと少しだけ譲歩しても良い準備はあるが。

何もスポーツの世界だけに限られたことではないのは、近頃の中国の習近平政権のやりたい放題振りと、国際仲裁裁判所が如何なる判決を下そうと無視すると豪語する姿勢を見ても明らかだ。海外の諸国にはフェアープレーの精神などは極めて希薄であり、自分たちの都合だけで物事を勝手に判断するし、歴史を捏造しても我が国を貶めようと図ってくる国が近所にあるのだ。UNなどはそういう連中の巣窟であり、決して我が国の為などを考慮する存在ではないと知るべきだ。

そう考えてくれば、サッカー協会が外国人を監督に招聘して精々4年ほど仕方指導の期間を与えないのでは、技術や戦法もそう簡単には進歩発展しないだろう。また、我が国と欧米諸国間の文化と民族性の違いまでを十分に理解した指導など出来るはずがないと思う。彼らとても、Jリーグは欧州や南米のそれと比較すれば言わば2部リーグみたいなもので、そこにいる外国人選手たちも本国のリーグからの落ちこぼればかりだと承知しているはずだ。

体格、体幹、身体能力にも違いがあることを知らずに我が国まで来る訳がないだろう。そうだったならば、そういう欧米人に劣る身体的劣勢というか諸条件に相応しい指導法も戦術だったあるはずだ。ラグビーは残念ながらそこまでを十分に弁えた監督を招聘して、先頃のW杯であれだけの実績を残したではないか。私は自分が率いるテイームを「馬鹿正直」などと罵る監督にはお引き取り願いたいと思う。また彼を招聘した協会の幹部も大きな声で非難したい。


舛添都知事にはウンザリだ

2016-06-09 08:35:55 | コラム
舛添要一という人は偉いと思う:

相変わらずテレビ各局も新聞も舛添都知事のことばかり報じている。私は舛添現象は政治ではなく社会問題だと思っている。彼の異常な性格と品性がもたらした社会現象だ。

昨日の都議会での15名だったかの都議会議員の追求の場面も見たくなくても、ニュースがそこから入っていくので否応なしに見てしまった。見終わって思い浮かんだ言葉が「三百代言」であり[鉄仮面]であり「恥知らず」であり「蛙の面に水」であり「馬耳東風」等々だった。彼は議員たちが懸命になって追求するので動揺しているにも拘わらず、同じような無意味な答えになっていない答えを繰り返していた。しかも、彼は給与の減額案を提出して都民のご機嫌を伺うような極めて姑息なことをしれっとして言い出す始末だ。凄い神経の持ち主だ。

私は彼を「偉いと思う」と言うのはこの鉄面皮を保っている図々しさを指しているので、決して褒めている訳ではないのは当然だ。幸か不幸か、彼の日焼けした顔色では内心の動揺が色には出ないので、どれほどの強心臓で逃げ切りをはかったいるかが不明だ。だが、あの場乃至は次に来るだろう総務委員会もあの調子でその場を糊塗すれば、その先に彼を待っているのが野垂れ死にだと承知しているのかと疑いたくなる。

自民党も公明党も参議院の選挙が控えている以上、思い切った手が打てずに苦慮しているとか、リオデジャネイロ・オリンピックに大会旗を受け取りに行く行事があるとか、もしも彼に今辞職されれば次の知事の適当な候補者がいないとか、その次期都知事の後の選挙が東京オリンピックの会期にかかるとか、事の本筋を離れたことばかりを気にしていると報じられている。このような報道をされては舛添都知事の思う壺だとまでは言わないが、逃げ切れるかもと思わせはしないのか。

私は都議会議員が色々と追求の材料を見出すか持ち出すことに腐心しているようだが、それでは「弁護士さんの厳しい精査を経ている」か「答えを控えさせて頂く」で逃げるだろうと見込めるのだ。テレビ局の中には木更津のホテルで会談した出版社社長の該当者がないと報じたところがあったが、ネット上でもその人物を特定する記事がないことは、あれは虚偽ではなかったのかと疑わせるものがある。

私は今更彼の不正乃至は不適切な出費を取り上げて攻めるよりも、全質問者が一斉に辞職を迫る方が効果的ではないのかとすら考えている。彼の為に都政が停滞していることは明らかだし、彼は「一所懸命に仕事をして都民の信頼を得ることに努める」と言うが、彼をあらためて信頼する都民がどれほどいると思っているのかと問うべきではないのか。少なくとも我が家には信頼していない者が約2名はいる。何れにせよ、もうこれ以上舛添劇場に付き合うのはウンザリだ。