新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月20日 その2 東大の宮台投手

2016-06-20 15:56:53 | コラム
全日本大学代表に選ばれた:

東大の宮台康平投手(湘南高出身)が来たるべき日米大学野球の日本代表に選ばれたそうだ。結構なことである。球速は最高記録で148 kmだそうだ。彼の投球振りは1~2度テレビのニュースで見たことがある。話は此処では終わらない。マスコミはしきりにこの投手が今年のプロ野球のドラフトにかかると囃し立てる。一言にすれば「とんでもないこと」だ。ドラフトするのは勝手だし、東大から何十年ぶりとのことで話題性はあるだろうが、絶対に行くべきではない。

自分の母校のことだから(卒業後65年も経ってしまったが)そこから出てくる運動部の選手たちがどのようなものかは大凡の察しがつくから言うのだ。そもそもガチガチの進学校だし、泡沫だと思っていた野球部は昭和24年にたった一度初めて出た夏の甲子園で優勝はしたが、およそプロなどに向くような人材が出る学校ではない。確かに優勝メンバーからは佐々木信也君が慶応を経てプロ入りし、選抜には出て直ぐ負けた時の投手だった衆樹資宏も慶応からプロ入りしたが花が咲かなかった。念のため申し上げておけば、我が蹴球部は1946年の第一回国体で優勝し、1948年の第三回国体で準優勝だった。

宮台君も確か法学部と聞いた記憶があるが、強くもない野球部で懸命に練習しながら東大に入った陰には寝食を惜しんで勉強したのだろうと勝手に察する。我が同級生で佐々木と同じ優勝メンバーだった後の高野連会長の脇村春夫君は、昼休みも勉強をしながら野球を続けていた努力家だった。彼は東大から東洋紡に入社して専務で引退した後で、阪大大学院で博士号を取ったほどの本当の勉強家だ。

佐々木信也君(当方の一期下である)に直接確かめた訳ではないが、彼が未だやれると思わせた時点でプロ野球から引退した理由の一つに「周囲と波長が合わなかった」という説がある。彼も勉強家で見事慶応大学の経済学部に進学したほどの言わば知性派である。その彼と運動部出身の典型的な者たちの集合体であるプロ野球は肌が合わなかったとも聞いた。

嘗て、国鉄スワローズの三塁手だった進学校の松本深志から来た土屋も早く身を引いたのも、東大志望だった彼には体育会系のプロ野球は合わなかったという俗説を聞いたことがあった。私は宮台君程度の投手はプロに行けばざらにいると見たので将来性に疑問があるし、プロ野球には東大の野球からは向かないと思っている。故に、マスコミには「ドラフト有力候補」だの何のと騒いで欲しくないのだ。我が母校には不向きな世界だと思うのだ。宮台君は先ず佐々木信也君の意見を聞いたら如何か。


敬意低減の法則

2016-06-20 07:41:45 | コラム
丁寧すぎて滑稽な敬語:

昨19日の産経の「日曜に書く」のコラムに論説委員・山上直子氏が”「お訴え」はいらない?”と題して載せていた敬語の批判を興味深く読んだ。この「お訴え」は選挙運動が始まると「かようなわけで、有権者の皆様に、お訴えさせていただきたいのであります」のように連呼されると不快指数が上がってしまうのだと山上氏は言うのだ。私もこの「~させていただきます」には違和感があるし、余り好ましくない表現であると書いた事もあったし、記憶が正しければ「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏も「イヤな物言いである」と指摘された。

山上氏は東京外国語大学名誉教授で言語学者の井上史雄さんの意見を引用して「私も気になっていましたが、〈お~させていただきます〉という言い方は増えています。今後もっと増えると思います」と指摘している。更に続けて”確かに、テレビでも日常でも「ご提案させていただきます」「お送りさせていただきます」などと枚挙に暇がなく、オフィスでは定着した気がする。一方で多用されると丁寧すぎて滑稽だ。たとえば、「体験談をお尋ねさせていただきたいと思い、お宅にお伺いさせていただいたところ、たいへんご親切にご対応いただき・・・」といった具合。慇懃無礼とさえ感じるが、どうだろう。”と言っている。同感だ。

続けて”井上さんによれば、普及の背景には「敬意低減の法則」があるそうだ。つまり、敬意の程度、言葉の丁寧さというのは、使われているうちにその度合いが下がって、しだいにさほど丁寧に聞こえなくなってくる。典型的な例が「貴様」で、かつては目上に使う言葉だったが、対等になり、現在では相手をののしる言葉に変化した。「させていただく」は授受表現で、元は江戸時代以降に発達した「~てもらう」だ。ところが「~してもらいます」では物足りなくなり、より丁寧な、美化語的な用法として「~ていただく」が登場した。しかも、東京の話し言葉として急速に広がったが、方言分布を見ると近畿出自の言葉らしい”とある。

引用はこのくらいにして、私はこの「~させていただく」を苦々しい思いで聞いていたし、自分では使わないように努めてきた。だが、持論である「耳から入る言葉の影響の恐ろしさ」で時々自分自身がそう言ってしまってゾッとしていたものだった。そういう思いがある時に、この山上氏のコラムに接して快哉を叫びたい思いなのである。このような過剰というか丁寧すぎる敬語には他に「お会いする」がある。いや「お会いさせていただく」もある。

この言葉については既に国文学者KS氏の意見を聞いておかしいと確認したし、Atokではそう入力すると「お目にかかる」への変更を提案されると書いてきた。KS氏は「お会いする」では自分に敬語の「お」を使うのはおかしいと指摘されていた。何れにせよ、こういう過剰な敬語はテレビの登場するタレントやら等の連中が使うことで普及し、知性と教養が不足しがちな国会議員なども使うので、今日此処まで普及したと思っている。また、私は学校教育における「国語」の教え方にも疑問を感じている。何としても「要改善」ではないのかと「ご提案させていただきたいのだ。