以下は去る7日に掲載した昨年の6月の掲題の論文について国文学者のKS氏が寄せて下さったご意見である。同氏は英語についても造詣が深く謹聴すべきご意見だと思うので、ここに紹介する。
中学3年に英語の全国テストを:
私が既に展開したこの件に対する批判について外国語教育にも詳しい国文学者のKS氏から支持する旨のご意見を賜ったので、敢えて紹介しする次第だ。冒頭の「文科省の英語政策については、もはや何を言っても仕方ないという感じがします。」との件が結論ではないだろうか。仏文学者のTK博士もこの意見に同調されたのは言うまでもないこと。
これ以上、英語というか"English"が何であるかを弁えていない連中に任せておけば、何処まで落ちていくかの見当もつかないのが残念であり、かつ危険極まりないと思うが、如何か。
>引用開始
文科省の英語政策については、もはや何を言っても仕方ないという感じがします。
貴方のおっしゃるとおり「書く・話す・聞く」をわけて考えるのは、そもそもナンセンスです。語学は、スポーツと同様、あるレベルに達すればおのずと、書けるし、話せるし、聞きとれるという塩梅になります。「書く・話す・読む」を別々にとらえて訓練するのは、相撲で、「出足・投げ・残す」をひとつひとつ訓練するのと変わりません(語学オンチの私でも、さすがにその程度はわかります)。
おそらく文科省の官僚たちは、「学校英語」を本物の英語と思っているか、真実をわかっていても利権が絡んでTOEIC式のテストで高得点をとることを目標にせざるをえないのか、どちらかでしょう。
金や知識のある人間は、文科省の言っていることなど無視して、小学校のときから子どもを海外に送るなど、独自のプログラムで教育を行う傾向が出てきているようです。日本の強みは中間層が厚いことだったのですが、このままでは「一部のトップエリート」と「本物のスキルはいっさいない下層民」の二極化がすすむ気がします。ある意味、アメリカ化するわけですが、「一部のトップがその他大勢を引っ張る」というシステムは、アメリカや中国にはなじんでも、日本には向きません。このままでは、一部のトップは海外に流出して、どこへのいけない人間の吹きだまりが日本になる、という最悪のシナリオすらあり得る状況です。
まあ、少子化が進み、日本の人口が減って、国内市場だけで完結することが、あらゆる業種で不可能になったとき、改めて「本当に必要な外国語」が見なおされるのかもしれません。ブラジルやアメリカに出ていった移民は、語学教育なんてロクに受けないで現地に行ったのに、大半がそこに適応したわけですから、今の語学教育の迷走は、「今の段階ではまだ、本当に外国語を必要としている人間が日本にはあまりいない」ことと関連しているのかもしれません。
>引用終わる
ご覧の通り、テストの為の英語教育は疑問であると指摘されている。
中学3年に英語の全国テストを:
私が既に展開したこの件に対する批判について外国語教育にも詳しい国文学者のKS氏から支持する旨のご意見を賜ったので、敢えて紹介しする次第だ。冒頭の「文科省の英語政策については、もはや何を言っても仕方ないという感じがします。」との件が結論ではないだろうか。仏文学者のTK博士もこの意見に同調されたのは言うまでもないこと。
これ以上、英語というか"English"が何であるかを弁えていない連中に任せておけば、何処まで落ちていくかの見当もつかないのが残念であり、かつ危険極まりないと思うが、如何か。
>引用開始
文科省の英語政策については、もはや何を言っても仕方ないという感じがします。
貴方のおっしゃるとおり「書く・話す・聞く」をわけて考えるのは、そもそもナンセンスです。語学は、スポーツと同様、あるレベルに達すればおのずと、書けるし、話せるし、聞きとれるという塩梅になります。「書く・話す・読む」を別々にとらえて訓練するのは、相撲で、「出足・投げ・残す」をひとつひとつ訓練するのと変わりません(語学オンチの私でも、さすがにその程度はわかります)。
おそらく文科省の官僚たちは、「学校英語」を本物の英語と思っているか、真実をわかっていても利権が絡んでTOEIC式のテストで高得点をとることを目標にせざるをえないのか、どちらかでしょう。
金や知識のある人間は、文科省の言っていることなど無視して、小学校のときから子どもを海外に送るなど、独自のプログラムで教育を行う傾向が出てきているようです。日本の強みは中間層が厚いことだったのですが、このままでは「一部のトップエリート」と「本物のスキルはいっさいない下層民」の二極化がすすむ気がします。ある意味、アメリカ化するわけですが、「一部のトップがその他大勢を引っ張る」というシステムは、アメリカや中国にはなじんでも、日本には向きません。このままでは、一部のトップは海外に流出して、どこへのいけない人間の吹きだまりが日本になる、という最悪のシナリオすらあり得る状況です。
まあ、少子化が進み、日本の人口が減って、国内市場だけで完結することが、あらゆる業種で不可能になったとき、改めて「本当に必要な外国語」が見なおされるのかもしれません。ブラジルやアメリカに出ていった移民は、語学教育なんてロクに受けないで現地に行ったのに、大半がそこに適応したわけですから、今の語学教育の迷走は、「今の段階ではまだ、本当に外国語を必要としている人間が日本にはあまりいない」ことと関連しているのかもしれません。
>引用終わる
ご覧の通り、テストの為の英語教育は疑問であると指摘されている。