新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月10日 その2 続・我が国の英語教育の問題点

2016-06-10 17:06:29 | コラム
以下は去る7日に掲載した昨年の6月の掲題の論文について国文学者のKS氏が寄せて下さったご意見である。同氏は英語についても造詣が深く謹聴すべきご意見だと思うので、ここに紹介する。

中学3年に英語の全国テストを:


私が既に展開したこの件に対する批判について外国語教育にも詳しい国文学者のKS氏から支持する旨のご意見を賜ったので、敢えて紹介しする次第だ。冒頭の「文科省の英語政策については、もはや何を言っても仕方ないという感じがします。」との件が結論ではないだろうか。仏文学者のTK博士もこの意見に同調されたのは言うまでもないこと。

これ以上、英語というか"English"が何であるかを弁えていない連中に任せておけば、何処まで落ちていくかの見当もつかないのが残念であり、かつ危険極まりないと思うが、如何か。


>引用開始

文科省の英語政策については、もはや何を言っても仕方ないという感じがします。

貴方のおっしゃるとおり「書く・話す・聞く」をわけて考えるのは、そもそもナンセンスです。語学は、スポーツと同様、あるレベルに達すればおのずと、書けるし、話せるし、聞きとれるという塩梅になります。「書く・話す・読む」を別々にとらえて訓練するのは、相撲で、「出足・投げ・残す」をひとつひとつ訓練するのと変わりません(語学オンチの私でも、さすがにその程度はわかります)。

おそらく文科省の官僚たちは、「学校英語」を本物の英語と思っているか、真実をわかっていても利権が絡んでTOEIC式のテストで高得点をとることを目標にせざるをえないのか、どちらかでしょう。

金や知識のある人間は、文科省の言っていることなど無視して、小学校のときから子どもを海外に送るなど、独自のプログラムで教育を行う傾向が出てきているようです。日本の強みは中間層が厚いことだったのですが、このままでは「一部のトップエリート」と「本物のスキルはいっさいない下層民」の二極化がすすむ気がします。ある意味、アメリカ化するわけですが、「一部のトップがその他大勢を引っ張る」というシステムは、アメリカや中国にはなじんでも、日本には向きません。このままでは、一部のトップは海外に流出して、どこへのいけない人間の吹きだまりが日本になる、という最悪のシナリオすらあり得る状況です。

まあ、少子化が進み、日本の人口が減って、国内市場だけで完結することが、あらゆる業種で不可能になったとき、改めて「本当に必要な外国語」が見なおされるのかもしれません。ブラジルやアメリカに出ていった移民は、語学教育なんてロクに受けないで現地に行ったのに、大半がそこに適応したわけですから、今の語学教育の迷走は、「今の段階ではまだ、本当に外国語を必要としている人間が日本にはあまりいない」ことと関連しているのかもしれません。

>引用終わる

ご覧の通り、テストの為の英語教育は疑問であると指摘されている。

内憂外患

2016-06-10 07:42:36 | コラム
自公政権の危機の材料か?:

言葉の順序に従って内憂を先に採り上げる。

内憂
その最たるものと言いたいことに舛添問題があるだろうが、私は本当はこれは英語にすれば”minor league issue”であると見ている。最も大きな問題だと憂慮していることは、自公政権にとっての失態の如くにマスコミと野党が論う「アベノミクスの失敗論」があると思っている。即ち、決して未だ失敗してはいないにも拘わらず、野党は「円安をもたらし、雇用を増大させ、デフレ傾向を何と食い止めた等々」の実績を無視しただけではなく、民主党政権時点での大失政を忘れて、アベノミクスを批判し続けているのだ。その逆宣伝をマスコミが報じ続ければ、はそう思い込むだろう罪なき一般大衆民度にも問題があると憂いているのだ。ここでの問題点は参議院議員に与える悪影響である。

舛添問題は決して小さいとは思っていないが、上記と比較すればまさしくminorであると思う。そこで私が困ったことだと思っている点は、自民党と公明党の舛添に対する中途半端な批判・非難の攻撃の姿勢である。彼を降ろした後の問題点を考慮しているのも解らないではないが、それこそが”minor league”だ。曲がりなりにも選挙の時点で彼を推したことから積極的な態勢を取れないのでは、禍根を残すと危惧している。あの弱腰では舛添を自公で擁護していると理解されても仕方がない。それでは虎視眈々と安倍政権降ろしを狙っている民進党以下の野党を利するだけだ。

思うに、連日連夜の如くにテレビが舛添の揚げ足取り報道を続け、新聞・雑誌もこの問題を採り上げて報じていれば、さぞかし諸外国でも採り上げられているだろうとは思う。だが、アメリカの新聞などはほとんどが州単位の地方紙と言って良い状態である以上、東京都知事の失態が一般大衆の関心か興味を惹くニュースになるとは(希望的にも)思えない。私は寡聞にして、マスコミが有り難がるNYタイムスやワシントン・ポストが舛添問題を大きく採り上げたとは聞かされていないが。何れにせよ、舛添問題はmajorの中では二番手に置きたい。

外患
ここには問題が多いと危惧する。先ずは我が国を属国化を究極の狙いとすると一部に言われている中国問題がある。その最たる証拠が昨日我が国の領海の接続海域に軍艦を航行させた件がある。私は以前にも採り上げたが、某漫画家が「中国に文句を言われたら兎に角謝り続け、何れは属国にして貰えば良い」と本気か冗談か知らぬがテレビで言ったことは強ち見当違いではなく、中国の真意を代弁したと理解していた。

中国は思い付くままに自国内で自分たちにとって都合が良い法律を作っては、その国内だけの如くに見える法律を外国に対しても適用してくる中華思想の権化の国であると思っていなければなるまいと思っている。だから、我が国の領海か接続海域への侵入を抗議された駐日大使が平然と「尖閣は自国の領土であるからその海域を航行するのには何の問題もない」などと言うのだ。中国関連は取り敢えずこれだけで十分だろう。

私が”major”になっていくと最も懸念するのが、確か同盟国だったはずのアメリカの政治問題だ。今朝の産経の正論で西尾幹二氏が論じていた「米国への依頼心が最大の敵」に私の懸念を具体的に述べておられた。未だトランプ大統領が出現した訳ではないが、ここまで来ればその「万が一」の時に備えておかねばならないのは明らかだろう。いや、最早万に一つではなく「二つに一つ」の事態なのだ。相変わらずヒラリー・クリントンの政策、就中民主党政権の対日姿勢については諸説あるが、過去の民主党政権の冷たさに思いを致せば、どちらが勝っても”bad news”であることは変わるまいと懸念している。

ここで最大の問題と言うべきか我が国の弱点とすべきか知らないが、外務省も安倍内閣も未だにトランプ氏と胸襟を開いて語り合える筋がないと報じられていることが気懸かりだ。私は経験上もアメリカ人に「話せば解る」ことが期待出来ないと認識しているので、何もトランプ氏だけとは限らないが、話し合えることのみを目的とするのではなく、「腹蔵なき意見交換をして、最後には相手を説得する」準備をしてその場に臨むべきだと思っている。

特にトランプ氏の場合はその主張のほとんどが無知か勉強不足か、調査不足が原因と思える見当違いが多いので、それらを論破するのは容易ではあるまいと危惧する。余程十分に準備してかからないと、子供の頃から”debate”を学習している彼らの論破は至難の業となる危険性が高い。言いたくはないが、かかる議論を通訳を介していては論破はなお難しくなる。即ち、英語力の問題でもあるし、慣れと度胸も重要な要素となるだろう。外務省の方々に出来るのだろうか。

以上を内憂外患として採り上げてみたが、要約すれば中国が相手の時は本当に性根を据えて交渉せねばならないし、アメリカが相手の時は西尾氏も指摘したように依頼心というか「これだけは解ってくれるだろう」といったような甘えは禁物だと思うのだ。彼らの思考体系は二進法で「イエスかノーか」乃至は「白か黒か」しかなく、妥協とか中間で折り合おうなどとは先ず考えないのだから。