新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月8日 その3 Unknownさんへ

2016-08-08 19:03:10 | コラム
Unknown様

昭和の先帝陛下のように、「死ぬ間際まで働く」のは嫌だというのが、今上天皇陛下のわがままにしか聞こえなかったし、法整備が必要な事であれば、それを天皇が支持する事は出来ない(憲法違反)であるから、あくまでも「選挙を通じて行為する主権者の国民」に、お気持ちを伝えてお願いするしか手はなかったのだろうね。改めて、昭和天皇の素晴らしさを思い出させる今日の「お言葉」でした。

と言われるのは理解致しました。コメントを有り難う御座いました。人はそれぞれで考え方が違うものだとあらためて認識した次第です。私は自分自身が何時死んでも不思議ではない大病というか危険な病を繰り返し経験しましたので、陛下がもし何かあった場合に家族(という言葉だったと記憶しますが)に生じるであろう混乱と国に与える影響をお考えだというところに重きを置いて考えました。


一度心臓マッサージなどを受けてみればものの見方というか、人生観も変わります。そういうところから私の考えた出ていたとご認識を。

8月8日 その2 陛下のお言葉を拝聴して

2016-08-08 16:37:30 | コラム
明解にご意向を示されたのに:

一度に全テレビ局の意見や所謂有識者のご意見を承ることは物理的に不可能だったが、陛下があれほど明快にご意向を語られ、国民の理解をお求めになったにも拘わらず、「時間をかけよう」とか「法律や皇室典範の改正」の必要性を持ち出す議論が先行するのを、驚きを以て聞いていた。あれでは、何か陛下が法と国民に審議をお願いなさっていたかの如くではないのか。それでは余りにも礼儀を欠いているのではないかと感じた。安倍総理の記者会見が数秒で終わったのが何を意味するのか、意味を取りきれなかった。

私は陛下よりも一学年上であり、医学的にはどちらが重症か知らないが、心筋梗塞に三度も襲われ、昨年前半には心不全で二度も入院した際には枕元にはあの心電図と血圧の動きが表示される機器が置かれて、テレビドラマのように何時「ピー」鳴りはしないかと、自分にも見える恐ろしさも経験した。だから言えるのだが「いつ何時あの様な症状が再び襲ってきて生命の危機に瀕するのか」は予測不可能なのだ。陛下はそれ以上かも知れない状態を経験されたからこそ、あのお言葉があったのではないのか。

そこに法律論を先行させるとは何事なのかなとどうしても思ってしまう。今健康だとは言われたが、それが何時まで続くのかなどは解らないものだ。それでもお待たせするのが正しいことなのかと思っている。日テレだったかの世論調査では90%が生前退位に賛成だったと出ていたが、法治国家である以上、法律を優先するのは止むを得ないのだろう。だが、可及的速やかに審議を進行させることを安倍内閣には考えて貰いたいと思わせられた。私だって、何時終わってしまうかなどは全く予測でないほど、心筋梗塞などはある日突然襲ってきたのだから心配なのだ。

余談かも知れないが、新宿と銀座だったかの街頭インタビューでは高齢者が明らかに敬語を使ってお言葉に対する意見を述べ、戦後教育と言うべきか朝日とNHKの影響下にあっただろう世代は仲間内の考えに対する意見を仲間と語り合う言葉で率直に語ったのが印象的だった。戦後の教育の成果があからさまに見えたことには、何と言って反応すべきか直ぐには頭が回転しなかった。「俺も老化したものだなー」だったが。

実は、偶然にほんの一寸前に畏友尾形氏に敬語の使い方について、「私はマスコミの皇室に対すること敬語に関する態度の酷さに呆れるだけです。皇室であろうとなかろうと、常識として年長者や責任ある地位におられる人(会社の上司や得意先等)に対しては敬語を使うべきだと思いますが、朝日系などは意図的に皇室に対して敬語を排除しているとしか思えません。左寄りであるとかないとかの問題ではなく、人として礼儀作法に悖る所業でしょう。私は新卒で旧三井物産系の会社に雇われて「目上の人に対して僕と言ってはならない。『ワタクシ』と言え」と厳しく指導され、それが未だに身に染み付いています。

そういう最低限の礼儀作法すら教育されていない連中が我が国を支配する時がやがてやってくるのかも知れません。恐ろしいことですね。しかし、アメリカのように年齢が物事の基準ではない文化の国があり、そういう国の会社に20年以上もいたので、頭の中の切り替えは容易ではありませんでした。」

とのメールを送ったばかりだった。


先週末の出来事

2016-08-08 07:15:06 | コラム
気懸かりな事柄:

中国と尖閣諸島:

何と言っても、最も気になったのが中国の官民両方の船が尖閣諸島のEEZに侵入してきたことだ。中国が国際法何も眼中にないことは今更ながらのことだが、今回の大規模な侵入は度が過ぎている。我が国は外務事務次官が中国大使に厳重抗議した程度で彼らの方針が変わることなどあり得ないだろうから、我が国は最早抗議する程度の次元に止まらず、本気で本格的な対抗策というか自衛策を採らない限り、習近平の尖閣奪取に向けての暴走を阻止することは不可能だろう。と言うことは、究極的には憲法改正問題に行く着く気がしてならない。オリンピックで我が国のマスコミ以下と以上が浮かれているべき時ではないような気がする。

この週末はテレビの天気予報とニュースで猛暑を言っていたので、高齢者としてはこの点では自衛策を採って家の中に閉じこもり、土・日と一度ずつ道路を隔てたイオンの食品スーパーに買い物に出ただけの外出に止めた。なるほど、昨日午後3時過ぎの暑さと日照りは「これぞ本格的な夏だ」と実感させてくれる強烈なもので、2~3分のこととは言え、サングラスをかけて出てくるべきだったと反省させられた。

オリンピック関連:
では在宅で何をしていたかと言えば、結局は散発的にオリンピック関連の速報、中継、ニュースを見ていたことになった。残念だったことは、マスコミ報道で前評判が高かった種目ほど期待通りの優勝とはならなかった点でった。彼らは何かと言えば「オリンピックには魔物が住む」などと言って慰めるというか、不振の理由にするが、これなどは後難を恐れて言えば「弱かったら勝てなかった」というだけの簡単なことなのだ。だが、敗者に優しいのが我が国の文化だから仕方がないと思っている。

それにしても、上手く行かないもので、絶対王者の如くに見えた体操の内村航平が鉄棒で落下したかと思えば、床運動の白井までが失敗していた。また、団体競技では女子のヴァレーボールを皮切りに敗戦が続き、予選リーグで勝って見せたのは女子のバスケットボールだけに止まったのが、強い弱いもさることながら世界は広いとあらためて認識せよと、オリンピックの魔物が教えてくれている気がするのだが。

私は日本人でありながら、未だに柔道の練習も試合も見たことがないので、全く何か語るべき材料の持ち合わせがない。だが、マスコミも関係者もあれほど強気な予想というか期待観を見せたにも拘わらず、この原稿を書いている時点では3位が3名だったか出た程度だ。これを不振、乃至は期待外れと決めつけるべきか「いや、立派な成績」と称えるべきかの判断の基準を知らない。だが、3位だったといって悔し涙を流し、申し訳ないと謝っている姿を見ると、気の毒な気がしてならない。

8年前だったかに石井慧が優勝した後で「優勝へのプレッシャーがあったか」と尋ねられ「斉藤先生からかけられたプレッシャーに比べればないようなもの」と言ったのが今でも印象に残っている。もしかすると、石井は本当に強かったのかも知れない。

私はマスコミ、説明者としか見えない解説者、その道の専門家等には、誰にでも解りやすいように「3位以内に入った者たちや、それ以前に敗退してしまった者たちが世界的な水準から見て善戦健闘であったのか、強かったのか弱かったのか、その分野では未だ未だ向上への努力と研鑽が必要なのか等々」を解説して貰いたいと思っている。希望的観測を打ち上げねばならない事情は分かるが、あれでは誇大宣伝ではないのかという気分になる。

例えば、7人制ラグビーに登場した女子はその意気込みとは異なって、初めの3戦が言わば惨敗だった。関係者はその原因が体格(身体能力?)の差にあったようなことを言っていたが、もしそうだったならば、そんなことは初めから解っていたのではないのか。私はなどは素直にあの女性たちは世界的に良い線を行っているものだとばかり信じ込んでいたので、最初の無残な敗戦には驚かされただけだった。

言葉を換えれば、私はそういう点から考えると、我が国の代表選手たちは素晴らしい結果を残してくれていると評価してみている。これから先でも真の意味で「持てる力を全て出し切って(ない力などは出る訳がないという意味だ)最善の成績を残してくれれば十分だ」と期待している。残る不安感は矢張りサッカーにある。言いたくはないが「気持ちを切り替えた程度で持てる力が全て出てくる訳はない」のであり、残された課題は「あそこまで曝してしまった欠陥をどうやって修正出来るのか」であろう。