新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月12日 その2 簡単な言葉で難しいことを言おう

2016-08-12 17:13:16 | コラム
矢張りホームグラウンドで:

このところオリンピック中毒になりかけていたので、また好みの英語の話題に戻ろうと考えた次第。我が国では英語を商売とする傾向があり、会話が出来るようになるとか、英語を聞いていたら自然に話せるようになったといった類いの宣伝広告が多いような気がする。正直なところ、そういう専門家がどのような英語を採り上げておられるのか具体的に知らないが、何時だったか老婦人が車内で熱心に読んでおられたテキストに、”You want some?”という文章があったので、少し危険かなか、余り適切ではないなと感じたことがあった。これなどはかなり進んだ応用編の表現で、初歩の段階で教えるべきではないと思うのだ。

そこで、これまでにも繰り返し採り上げてきたことで、現実にアメリカ人の中に入って英語でしか意思の疎通を図る手段がない時にどのような表現が「会話」の中にで来るかを、昔を思い出して書き出していこうと思った次第だ。ここにはアルファベット順も何もなく思い付いたままに並べていこう。因みに、「思い付くままに」を英語にして見ろと思うと”As it comes to me”と出てきた。”come”の代わりに”occur”でも良いだろう。話し言葉とはこういうものを指し、会話ではこういう表現ばかりが出てくると思っていれば間違いないだろう。

“My guess is only as good as yours.”
解説)こういう文章を訳そうとするから解らなくなってくるもの。そのまま覚えておかれることを推薦する。「あんたの考えも余り大したものじゃないだろう」というか「私も良く解っていないが、貴方も同じような程度では」と言いたいような場合に使えると思う。これは相手が何か推理を述べた時に、自分と同程度に解ってないなと判断して言い返す時に使える。「実は、俺もよく知らないんだ」だろう。

“Let’s have a bite (to eat).”
解説)これを初めて聞いた時には「アレッ」と思った。しかし、時刻から推理して「(昼)飯食いに行こう」との誘いと判断して正解だった。親しい人に対してか仲間内でしか使わない表現で、お客様をお誘いする時などに使ってはならない。これを覚えたからといって無闇に使わない方が良いのだが。

“I’ll buy you a lunch.”
解説)簡単明瞭で「昼飯奢るぜ」である。これと同じような表現を初めて聞いたのが生まれて初めてアメリカに到着した日で、機内で隣の席にいた男性に乗り継ぎ便を待つ間に再会し”I’ll buy you a drink.”と言われた。一瞬「何のこと?」と思ったが「一杯奢るぜ」だと推理して後を付いて行ったらバーに入ったので「大正解」だと判明した次第。”lunch”を他の言葉に入れ替えれば用途が膨らむ。

“Be my guest.”
解説)これも「奢るぜ」の別な言い方。前に”Please”を付ければ丁寧になるのは当然。”I’ll be the host.”と言えば、誰が払うのかが明らかになる。ここでは”guest”と”host”の対比を覚えておくと後々便利であると思っておくこと。

“Make two checks, please.”
解説)これはウエイターかウエイトレスに向かって「割り勘だ」と明らかにしておく時に言うこと。「伝票を別々にして」である。彼らは複数のお客には”One check or separate checks?”と、先ず尋ねてくる。そこで負担すると立候補した者が”One check, please.”と告げれば良いのだ。日本式英語では「ダッチアカウント」というのがあるが、私はこういう言い方に出会ったことはほとんどなかった。だが、”Let’s go Dutch.”は聞いた記憶がある。

“Make it two (please).”
解説)これは順番に注文を聞いてきたウエイターに、前の人と同じものを注文したい時にこう言えば良いのだということ。従って3人目はただ一言”Three.”で済むかも。だが、正確を期せば”I’d like to order the same.”辺りになるか。言いたくはないが、日本からの客様はメニューを読むのを得手とされないことが多く、全員が同じ料理になってしまうことが多かった。

“Where were we?”
解説)少し食べることを離れよう。これは、話をしていた相手が電話だったかで呼び出されて”Excuse me a minute?”と言って中座し、戻ってきた時に言ったこと。意味は「何処まで話が進んでいましたか」ということ。「我々は何処にいましたか」ではないから”In this meeting room.”などと言わないこと。”Where was I?”でも通じるかと思う。本を「何処まで読んでいたのだったか」と自問自答して、”Where was I?”などと独り言を言えば格好良いか。

結論:
英会話などというものは所詮はこんなもので、言いたいことを先ず日本語で思い浮かべて英訳しようとしないで、懸命にに覚えておいた「こういう場合はこのように言うらしい」を極力早く思い出して使ってみれば、相手が理解するものだという経験を積み重ねておくことが肝腎。要するに難しく考えないことだ。ここまで掲げた例文をこれはと思う単語を集めて英語にしようと思えば、かなり難渋すると思う。だからこそ、声に出して読んで覚えておこうと主張するのだ。

そして、その覚えた表現の中の単語を入れ替えれば応用編の言い方が出来るものだ。この手の表現は無数にあるから、また思い出した時に採り上げようと思う次第。


水難事故の季節の到来

2016-08-12 08:18:23 | コラム
何を好きこのんで海水浴に行くのかな:

オリンピック関連の過剰報道で(「嫌なら見なけりゃ良いじゃないか」と言われそうだが)やや思考能力が低下気味で、この話題を採り上げようと思っている間に4~5日も経ってしまった。昭和16年(1941年)から21年も相模湾沿岸の鵠沼に住んでいたので、海の怖さは十二分に経験させられていた。先ほど、テレ朝で「離岸流」の恐ろしさを指摘していたが、我々子供たちが現実に感じていたのは「潮というか水面下での引きの強さ」で、うっかり流れに乗せられると岸に戻ろうと足掻いても抵抗しても無駄なほど強く沖に引っ張って行かれたものだった。これが溺れる最大の原因だった。

これは海の怖さのほんの一例だが、鵠沼海岸ではいい気になって岸から離れたところまで泳いでいくと、気が付けば出発点よりも遙かに西の方角(辻堂か茅ヶ崎方向)に流されてしまっているのだった。そこからその流れに逆らって戻ろうとすると一向に進まず、慌てふためく為に体力を消耗して溺れてしまうことになりかねないのだった。流されたかどうかの目安は、砂浜に立てた自分の家のパラソルの位置を確かめておくと解るのだが、兎に角「海とは危ないところ」というのが常識だった。戦前には溺死した人が筵をかけられて砂浜に安置されているのを何度見たか解らなかったものだった。

だが、我々鵠沼の住民は余程のことがなければ、テレビ報道でお馴染みに片瀬海岸(厳密には江ノ島側の東浜)にまで行くことはなかった。それはあれほど沢山の人が集まれば泳ぐことなど不可能だし、何となくあの海岸の水が汚れているように見えて敬遠していたからだった。しかも、戦前の鵠沼海岸では波打ち際に立って足を動かせばハマグリなどがいくらでも獲れる時代があったのだから。江ノ島に面した片瀬川の河口でも、潜ればアサリ獲り放題だったものだった。

思い出話はこれくらいにして、水の危険性の話に戻そう。私は勿論少しは泳げたが、この「少し」が動もすると自己過信になって沖に向かう流れに乗っただけのことを「泳ぎが上手いのだ」と過信して、ついつい岸から離れて行ってしまうものだ。しかも、海岸というものは遠浅かと思っていると突如として身長よりも深くなっていて立っていられなくなり、藻掻けばもがくほどというのが良くある溺れる原因となる。私はその浅瀬の一歩手前で戻りきれずに苦しんでいる時に、偶々居合わせた同級生に「お前何を遊んでいるのだ」と訊かれ「今溺れるところだ。助けてくれ」と叫んだことがあった。

1974年と1976年と二度フロリダの海岸で「折角ここまで来たのだから」と海水浴と洒落込んでみた。大西洋の白い砂浜は美しく多くの美女が砂浜で甲羅干しをしていた。彼女らは海には入らないもののようだった。さて、海に入ってみるとその海面下の引きは鵠沼の海以上に強く、うっかりするとそれだけ引き倒されるかと思ったほどで早々に引き上げた。大西洋岸の砂浜は見る為で泳ぐ為の海ではなかったと知った。

といったような次第で、鵠沼海岸では余り海の中には入らず、海岸にあった藤沢市営だったかのプールで専ら水遊びをするようにしていた。折角海がありながらといわれるだろうが、それこそが安全策で潮水で体がベタベタになることも回避できるのだから、プールの方が良かったのだった。因みに、我が湘南中学(後に高校)の蹴球部では当時は何故か筋肉が固くなると水泳厳禁で、うっかり日焼けてして水着の跡でもついているのが見付かると、グラウンド一周のランニング等の罰を科せられるので、なるべく泳ぎには行かないようにしていたものだった。練習終了後には校内のプールに入るのは許されたが泳がないように監視された記憶がある。

現代ではレジャー施設なるものの普及し、報道によれば混雑する大きなプールでは時々人身事故が出るようだから、子供連れの方などは十分な注意が必要だろう。子供たちに水の危険性を教え水遊びを回避するのは容易ではないだろうが、ここが肝腎だと思っている。

兎に角、海だろうと川だろうとプールだろうと「水は一寸でも油断するか、甘く見ると、命の危険に曝されるもの」と心得て出かけるか、いっそのこと冷房を効かせて家に閉じこもっているのが安全だということになってしまうものだ。海岸でバーベキューや飲酒などは論外だろう。自殺行為に等しいと思う。