新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月18日 その2 本日の出来事

2016-08-18 17:02:05 | コラム
矢張り精神力が強い者が勝つようだ:

例によって早朝4時には目が覚めて取り敢えずテレビをつける。本日は外出の予定があるので天気予報が気になっている。どうやら大気が不安定で何時降るか解らない模様で、折りたたみ傘を以てお出かけになるようにと助言(最近はこの熟語は死語と化して「アドバイス」一本になった。困ったことだ。「警告」も何も皆これで括る)があった。台風一過の翌日でもこういう事かと妙に納得。

女性レスラーは凄い:
出かけるのは9時半で十分なので、朝食後は専ら各チャンネルを見ていたが、何処に行ってもオリンピックの女子レスリングの3人連続で優勝(金メダル獲得という意味であるが)というお目出度い話で持ちきり。伊調馨の四連覇も凄いが、登坂、土性とあと何秒も残っていないところで捨て身と形容しても良いだろう技をかけて逆転して見せた精神力は「お見事」と言うしかない。私の持論が「技術が同じ水準であれば精神力に優れた者が勝つのが勝負の原則」からすれば、この女性レスラー3人の精神力が如何に凄い練習で鍛え上げられていたかが解る。恐れ入った。

実は、私は密かに伊調馨と吉田沙保里を、マスコミが例によって例の如くに四連覇がどうのと騒ぎすぎなのが気懸かりだった。だが、伊調に関する限り全くの杞憂に終わったのは本当に結構なことだった。こう来れば、吉田の心配はしなくて済むだろうとやや楽観している。恐らく彼女の相手となる連中は研究し尽くしてくるだろうからが、吉田の技術と経験と精神力が上回ることに期待している。それにしても、女子レスリングの栄監督という方の指導力には敬意を表するしかない。


1年前を回顧すれば:
新大久保駅前から9時49分のバスで柳町駅前まで行くのだが、本日の蒸し暑さはこの夏一番だと思わせられた。思い起こせば、昨年の今頃は国際医療研究センター病院で処方された胃腸薬の副作用で、半年間も原因不明と思い込んでいた下痢に苛まれ、体重が40 kg台後半にまで落ち込み、20日に胃と大腸の内視鏡検査で入院する予定になっていた。検査の結果、医学関係者のどの方に言わせても「極めて例外のまた例外」という胃腸薬の副作用と判明し、薬を止めた途端に何とか収まったものだった。

あれから1年経った今では体重も50 kg台の半ばまで回復し、主治医からは「これ以上増やさないように注意を」とアドバイス(カタカナ語だが、熟語なら何となるだろう)をされている。一応陳腐な手法で炭水化物を減らすようにしてはいるが、なかなか効果が出てこないのも昨年とは正反対(流行り物の「真逆」などは使いたくない)の悩みだ。

専門商社の知人との昼食会:
11時30分から勝鬨橋南詰めのファミレスで専門商社マンと懇談に入った。川を上下する水上バスの眺めを楽しみつつ13時15分まで。紙の売れ行きは相変わらず芳しくない模様だが、敢えて突っ込みたい話題でもない。今や安定して動いているのは精々「コピー用紙」くらいのものだそうだ。だが、この品物は何処の誰に聞いても昔からこれほど利益が上がらない紙は少ないが、需要がある以上追わざるを得ないということ。あれほどペーパーレスだのデイジタル化だのが騒がれてきたにも拘わらず、コピー用紙は各方面で使われ続けているようだ。有り難いのか結構なことなのか、今やその世界を離れた私には判断できない。

懇談会が終わりに近くなった頃に北西の方角を怪しい雲が覆ってきたので、本格的に降る前にと来月の再会を約して再び大江戸線で今度は新宿に向かった。しかし、六本木から青山一丁目と進むにつれて濡れた傘を畳んだ人が乗ってくるようになってきた。新宿駅西口で外を眺めれば本降りで到底そこからJRで新大久保から我が家まで歩いて帰れそうな状態ではなかった。そこで所謂デパ地下で少し時間潰す間に小降りとなってきたので、山手線のプラットフォームに上がった

新宿駅西口には百人町大久保界隈とは少し異なって私が言う「ホワイト外人」もかなり彷徨っているし、相変わらずガラガラとトローリーケースを引っ張った中国語の一団を数多く見かける。先日、小田急ハルク2階のスポーツ用品・PUMAの売り場で見かけた裕福そうな老夫婦は奥方が試着をして大声で叫んでいたのが異様だったが、北京語だった。このように最早爆買いなどを見かけることはなく、自分が狙ったブランドを色々と注文を付けて買う中国人が増えたようだ。こういう傾向は先月にも軽井沢のプリンスショッピング・プラザでも見かけたものだった。

14時30分に新大久保駅に降り立つと、蒸し暑さは変わっていなかったが、万一にと持ち歩いていた折り畳み傘の助けを借りるまでもない小雨になっていた。専門商社の知人は海外駐在の経験も豊富で、英語の造詣も深く、ジャズの愛好者なので、一旦語り始めると時の経つのを忘れてしまう。何時か「紙が売れて売れて仕方がない。何処か海外に供給に余力があるサプライヤーはいないだろうか」ということを話題にしたいものだ。本日は為替が99円台に入ったそうだが、それで輸入が増えるとはとても考えられず、紙業界から見る我が国の景気の先行きは未だ暗いとのことだった。


私の英語論の反省点

2016-08-18 09:06:13 | コラム
英語とその発音に悩む方々に対して所謂「上から目線」だったか:

私はこれまでに多くの方から「あれほど学校で勉強した(させられた?)にも拘わらず一向に英語が話せない」という嘆きを聞く度に「それは貴方の能力の問題ではありません。話せるように教えない学校教育のせいだと割りきってください」と言ってきた。そして、ずっと以前には実際にお教えしたこともあった。

また、こと発音の問題になると、我が国独特の学校教育独特のカタカナ的というかローマ字風の教え方も手厳しく非難してきた。そして、「発音は綺麗で正確でなくてはならず、その為には日本人にとって親しみやすくアメリカ国内でも正調とされる西海岸の発音を目指されると良い」などと言ってきた。言うなれば、これまでは英語が思うままにならない方に向かって、学校での教え方の批判ばかりしてきただけだった。

だが、今回ブログに頂戴したコメントへの反論というか、私の意見と考えを纏めて初めて気付いたが、私はこれまで「通じなかった」か「何とか通じたので嬉しかった」という範疇に入る方々に対して無情だったようだと思うに至った。そういう立場に立って考える必要もあったと、あらためて反省したのだった。そのような悩みをお持ちの方にお教えしないまでも、一緒に悩み、改善の手法を考えて上げるか、もっと優しい助言をすべきだったと思うのだ。

とは言って見たものの、我が国の学校教育の英語で育ってきた方々の英語力を高めるお手伝いをするのは容易ではない。それは何回か講座の如きものを開く経験をしたし、商社の若手の個人指導も手がけてみて、痛切に解ったことだった。だが、そう言ってばかりいてもことは始まらない。大きなことを言えば、機会があれば何処かで何らかの手段で我が国の英語教育が少しでも良くなるようなことをやってみたいという野望は捨てられないし、捨てたくはない。それこそ、”better late than never.”の精神だ。