新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月9日 その3 余談ですが

2016-08-09 19:38:55 | コラム
私の方が重症でした:

本日は国立国際医療研究センター病院の循環器内科で定期検診の日。主治医で医長先生にものは試しと「同じ心臓関係の患者として畏れ多くも天皇陛下と私ではどちらが重いのでしょうか」と伺ってみました。流石に温厚な先生も笑われて「バイパス手術をされた陛下と心筋梗塞を何度も患ってstentを数多く動脈に入れている貴方とは質に違いがありますが、重いという点では貴方でしょう」と言われました。

確かに陛下は一度の手術で切り抜けられて「健康である」とお言葉の中にもありました。私は心筋梗塞は切り抜けましたが、昨年の前半には二度の心不全の発症で入退院を繰り返しました。しかし、先生の適切な処置と投薬で今日がある訳で、心から御礼を申し上げてから処方箋を頂戴して退出した次第です。その私が週に3回はジム通いが出来ているのですから、我ながら善くぞここまで来たものだと近代医学に感謝です。陛下のご長命をお祈りして終わります。

8月9日 その2 国歌対する尊敬の意を表す

2016-08-09 16:12:00 | コラム
内村航平は言った「皆で大声で君が代を歌おう」と:

体操の男子団体で優勝した後のインタビューで内村航平は「皆に表彰台上で思い切り大きな声で君が代を歌おうと言って置いたが云々」と語っていました。実際には音声は流れませんでしたが、台上では全員が大きく口を開けて歌っている画面が出てきました。非常に良かったと思います。他の団体競技ではオリンピック以外での試合前の国歌斉唱や音だけの際でも、思い切りも何も歌っていない者が余りにも多いのです。

内村航平のこの度の優勝で示したリーダーシップは誠に立派なものでしたが、国歌にも敬意を表することを全員に伝えた姿勢は当然のことではありながら、そうしない者が多い時、矢張り「良くやってくれた」と褒めておくべきだと思い採り上げました。オリンピックで優勝するような者は心がけが違うものだと認識させられた次第です。彼らは国歌と国旗を敬わない教育を受けた世代だと思うのですが、外国と外国人と戦うようになって「自分の国」を痛烈に意識するようになったと思うのです。

かく申す私も、アメリカでMLBやNFLやNBAの試合開始前に全員が起立して声高らかに"Oh say can you see ~."と歌うのを聞かされる度に「何で我が国ではこうならないのか」と痛感していました。それを内村が実行してくれたのです。本当に良かったという思いでした。

オリンピックその他

2016-08-09 13:50:46 | コラム
kazk様

お久しぶりです。コメントに感謝申し上げます。


私は柔道は全く知らないと申し上げましたが、現在のように一旦白人の手に委ねると(取り上げられると?)、あの様な我が国における本来の姿から甚だしく逸脱した形になってしまうということを悲しいまでに表している最悪の例かと思います。ポイント制であるとか、場外であるとか、時間制であるとか、格闘技の延長線上に持って行かれてしまいました。私はこの最大の原因の一つに、我が国の白人世界の悪弊である「これを言うことで失うものはない」という討論乃至は議論の進め方に真っ向から論戦を挑めない妥協をしてしまい、相手の立場を尊重し過ぎる等々の世界には通用しない善意(性善説信奉)があると信じています。それに加えるに「英語乃至は他の言語に弱く、反論できない」という弱点もあると思います。

私は長年の白人社会暮らしで「余程彼らの文化と思考体系と生活習慣に慣れていない限り、対等に渡り合えるものではない」とイヤと言うほど思い知らされています。更にオリンピックにせよ、多くの競技の世界を統括する協会等はしかるべく白人の中でも支配階層にある極めて裕福且つ名家の出身者が支配するものだと知らずに、極東からノコノコと入っていって「ようこそお出でになりました」と優遇される世界ではないと知っておくべきだったと言いたいのです。彼らは不平等と格差の中で長年我が世の春を謳歌してきた連中です。新参者の勝利を喜ぶ訳がないと思っていれば、ルールの改悪や「中近東の笛」などがあるのは当たり前と解ると思っております。

水泳にせよ、ヴァレーボールにせよ、何度ルールの改悪というか我が国の優れた競技者にとって不利に改正?されたかを考えれば自明かと思います。一昨日だったかの対コロンビアのサッカーでも、疑問に感じる判定があったと思います。これへの対策は「絶対的に強くなること」でしょうが、そこまでにどうやって到達するかは私には解りません。私は3000本を達成したイチロー君の涙は「感激・感動」だけではないと思うのですが。あの世界で16年も暮らせば見えてきていたはずです。私は1972年から1993年まででした。英語を彼ら並に操っていれば早く全体像が見えますが、見えたと思った像はほんの一部かも知れないのです。

話が脱線しました。サッカーは良く修正できたという見方もあるでしょうが、未だ中心選手というかその役を担うべき者が不在で「良くやったのだが引き分けだった」という中途半端な結果に終わったのが残念でした。私は手倉森監督は精神論を中心にあの程度の素材で良くあそこまで持っていったと感心しますが、仰せの通り作戦面はもう一つでしょうか。この辺りは野球の横浜高校の大監督・渡辺元智(だったか?)を思い浮かべれば解るでしょう。彼は全国津々浦々から優れた素材を集め育てましたが、作戦が上手ではなく、優勝にまで持って行けたことが比較的少なかった名勝でした。

OAの3名は中途半端だったし、GKの起用法には疑問符がつくと思います。いっそ呼ぶのだったならば「長谷部、香川、岡崎」を加えればより良い形が出来たかと思うのですが、欧州勢は久保程度でも出さないのですから所詮は画に描いた餅でしょうか。浅野は補欠扱いにしないで使えば何とかなったのでしょうが、私は昔から「足が速いことを売りにしたサッカー選手で大成したものはいない」を信じています。彼は未だ下手の部類でしょうか。

男子体操が優勝してくれたのは素晴らしいと賞賛します。だが、全く知らない世界なので感心するだけです。水泳も良い結果が出ているのは素材も揃ったが、指導者も立派な方が多いからだと感心するほど、理論的にも緻密なことを解説者が言っていたのが印象的でした。

私は「我が国は余りにも多くの種目に参加し過ぎで、その分だけ優れた素材が悪い意味で分散しているのが残念だと思っております。矢張り最も人気があるが世界的には弱小競技である野球に最高の素材を持って行かれ、ラグビー、サッカー等に二番煎じが集まっている感が否めません。バスケットボールとヴァレーボールには身長の差と身体能力の優劣を技術では補い切れていない恨みが残っていると思っております。だが、中国のバスケットボール代表は2 m以上を揃えてもアフリカ系アメリカ人ばかりのアメリカにダブル・スコアで一蹴されました。これは身長が全てではないという意味でしょうか。