新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月26日 その2 本日あったこと

2016-08-26 17:50:28 | コラム
諸沢英道氏の一言が印象的だった:

朝9時15分にジムに入った。ストレッチは何時も同じことをやっているつもりだが、日によってかかる時間の長さが微妙に変わってくる。今朝は20分を少し切ったが、昨日は22分ほどだった。これで体が暖まったのでウオーキング。これこそ、その日の体調なのかバイオリズムなるもののせいなのか、自分では一定の速度で歩いているつもりでも毎回かかった時間が変動する。今朝は1マイル歩いて17分20秒で、100 m換算で65秒。昨日は70秒弱だった。

そこで一度手洗いに行ってから、と言うか一呼吸置いてエアロバイクに。13分と少々漕いで30キロカロリーだかを消費した。昨日は何故かほぼ同じ時間をかけて32ほど。ここまでで少し汗が出る程度。そこでまた一息ついてからマッサージチェアに移動。これは1回が15分に決まっているので、所要時間に変動はない。そしてロッカールームに降りてからシャワーと半身浴。体重は到着した時点から450 g減っていたので先ず先ず。

帰宅してテレビをつければ、どのチャンネルでも例の高畑某の事件のことばかり。私はこのことについては余り言うことはない。テレビ局もいろんな人を連れてきては何か言わせている。最も印象的だったのがTBSが「ひるおび」とやらに出演された常盤大学の諸沢英道氏が「犯罪加害者ばかりを採り上げて被害者を等閑にするのは認めがたい。母親の高畑淳子の記者会見などは不要で不愉快である。被害者がこれなどを見たら如何なる思いをされるか考えるべき」と穏やかな口調で厳しく批判されたのが印象的だった。

諸沢氏はあの場で母親が謝罪するよりも、パソコンなどではなく手書きの謝罪の手紙を送るべきだと言われた。それを被害者が開封するとこはないだろうが、何通でも送り続けて誠意を見せる方が加害者側のあるべき姿で、あの母親の記者会見などよりも意義があるだろうとまで言われた。私も我が国のマスコミというかテレビ局は常に加害者側ばかりを取り上げる姿勢には疑問を痛感していた。流石にその道の権威者の諸沢氏ならではの発言と思って聞いた。

その後は何をしていたかは余り覚えていない。テレビをつけたままで一寸横になったのだが、気が付けば3時50分からのニュースに変わっていた。恐らく2日続けて気分良く”workout”を終えた為に眠気を催したのだろうと思っている。もしかすると、昨夜には広島がまさかと思わせた巨人に逆転勝ちをしてくれたので、なお一層気分が良かったのかも知れない。広島は25年だったか優勝から遠ざかっていたし、緒方監督も指導者として勝った経験がないので一寸不安だったが、この分ではこのまま行ってしまうかも知れない。巨人は矢張り高齢者及び外国人も多い寄せ集め集団の弱みが出たとしか思えない。


時代の変化を痛感する

2016-08-26 08:12:27 | コラム
電話に出ないのと、嘘をつくから:

東松山市で16歳の子供を殺した不良連中の動機がこういう事だったと報じられている。この4~5人の者どもは地元では知られた不良だったそうだ。我々のこの年齢の頃にも確かに不良はいた。それ以外にも「与太者」もいた。広辞苑には「与太者」とは「手のつけられない不良の徒。ならず者ややくざもの、よたもん」とある。「不良」は「品行のわるいこと。またそういう人」とあるから、どうやら逮捕された容疑者は前者の分類に入れる方が妥当だと思える。

私の当時の認識では「不良」とは学校に在籍している煙草を吸ったり飲酒したりする程度の悪で、結構それなりに面白い者たちであり、勉強が出来ない訳でもない連中」だった。だが、「与太者」ともなればその程度の可愛らしい次元に止まっておらず、恐喝はするは何はするはで、その連中の姿が見えただけで恐怖を感じさせていたと思う。当時鵠沼から片瀬海岸にかけて猛威を振るっていた連中の中にも確かに一名殺人を犯した者がいた。

だが、現在の不良とされている連中は電話と言ってもスマートフォンだかの「アプリ」とやらの一つの「ライン」と”Line”を妙なアクセントで発音するEmailの如きもので交信しあうのが普通のようだ。「その連絡に答えないから殺す」という彼ら不良の仁義は、私には到底理解可能な領域にはない。最早我が国には人口よりも多くのスマートフォンを含めた携帯電話が普及していると聞いたこともあるが、時代の変化と進歩に伴う新たな通信機器の開発とそのアプリとやらの拡大(拡張)は想像を絶するものがあって、付いて行こうという気にもさせてくれない。

兎に角、外に出てみれば老若男女、皆小さな矩形の物体を見つめて絶え間なく指を動かしている。ステイーブ・ジョブズという人はえらいものを開発したものだと感心すると同時に寒心に堪えない。子供までが電話(と言うか携帯端末)を持ち歩く時代が来るなどとは想像も出来なかった。しかも、その通信手段に答えないことが殺人の理由になるなどとは仮にも夢の中でも想像できなかっただろう。

思い起こせば、私が小学校3年になった昭和16年(1941年)まで住んでいた小石川区の家には当時では珍しかったのかも知れない電話があった。だが、転地療養と兼ねた疎開で移転した藤沢の家にはそんなものはなかった。だが、それで何か不自由した記憶などある訳もない時代。その後昭和37年(1962年)に転勤して住んだ大阪の豊中のアパートでも同様。昭和42年(1967年)に転勤で移住した都下国領のアパートには風呂すらなかった。電話とは一種の高嶺の花でありステータス・シンボルの如きものだったと思っていた。

私自身の電話との関係の回顧の如きだが、昭和43年に藤沢市今田(現・湘南台)に新築した家に引っ越して生涯初の自前の電話が引けた。一頃「家電」(イエデン)などと若者が呼んでいた「固定電話」だ。W社リタイヤー後の平成9年(1997)年に仕事の都合上、携帯電話を持っていないと不便かなと思って購入しようと企てれば「住民票の提示がなければダメ」と言われて、電話屋から区役所に文字通り走っていったものだった。今や大久保通りには外国人専用としか見えない携帯電話販売店が数多く存在する。

去る15日に家内が持っているだけのらくらくホンがどうも耐用年数が尽きたようなので入れ替えざるを得なくなったが、これも私が使っているものも当然所謂「ガラケイ」である。2人ともメールなどは使っていないし、ともに毎月3~4回程度の受信と発信しかないので、何時止めようかと思ってはいる。だが、お互いに入院した時などの連絡手段を失う訳にはいかないと判断して維持している次第だ。私はスマートフォンなどが如何に便利であろうとも、PCに同じような機能が備わっている以上、ガラケイで十分であり、最早緊急性がある事務連絡などある訳がない年齢であり、そういう環境に暮らしていると思っている。

それなのに、LINEに答えないのが殺人の動機となるとは、如何に時代が変化し進歩して便利になったとは言え、子供たちに無定見に携帯できる端末を持たせる現代の親の見識と言うべきか配慮の欠如を心の底から批判したくなってしまう。私は今回もそうだが、以前の川崎の事件とともに「親の責任」を追求したい。一頃は「みんなが持っているから」というのが、親に対するおねだりの殺し文句のようだったと聞いた。私は以前から「携帯電話は20世紀最悪の開発商品」と言って批判してきた。では、スマートフォンを何と言って批判し、非難するのかは未だ見えてきていない。