新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月28日 その3 アメリカ人の服装

2016-08-28 14:52:36 | コラム
アメリカのビジネスマンの服装について:

「頂門の一針」第4102号で馬場伯明氏が大学の同級生でAFSで留学された方がシャツの裾を外に出す颯爽たる服装をしておられたと述べておられたので、私の感想というか経験談を。

その方がアメリカのどのような階層というか家庭に滞在されたか解りませんが、私がアメリカに行くようになった1972年以後でも、勤務先でそういう服装をする人には出会った記憶はありませんでした。そこで、私が最初の2年半を過ごした元はニューヨークに本社があったM社と、リタイヤーまでの19年間在籍した西海岸のW社での経験を思い出してみます。

M社では:
ここには1972年に転身しました。その2年半では副社長なりマネージャーの家庭に入った経験は少なかったのですが、家族とは何度か食事をしました。そこで出会ったお嬢さんたちは何れもアッパーミドル以上の家庭の育ちだったので、同席した副社長に「こういう娘さんたちがアメリカのお嬢さんたちで、日本では動もすると誤認識されている傾向がある不品行な者たちとは違うと認識せよ」と聞かされました。この辺りには東海岸の会社のプライドのようなものを感じさせられました。

W社では:
ここには1975年に移ってから、初めてサンフランシスコの”Financial district”の高級な革製品の店に入ったことがありました。私はアメリカの方が寧ろUKより服装については厳格であると聞かされていました。また、その服装学のようなものは金融・証券界が発祥の地で最も厳しく、色々と細かい決め事があるとも知らされていました。その真っ只中のファイナンシャル・デイストリクトのことで、行き交う人たちの隙のない服装にやや圧倒されている感がありました。

その店に入ってきた隙のない服装の紳士がここも無げに高そうなブリーフケースを物色していたかと思えば、速戦即決で$300という高額な品をサッとカードを出して買っていったのには驚かされました。革製品は当時では邦貨にすると先ず2.5倍にはなりますから、この界隈には豊かな人が多いのかと思わせられました。その服装の基準は既に採り上げたJohn Molloy(ジョン・モロイ)の”A new dress for success”(邦題:出世する服装)に詳しいのです。

W社は東海岸と比べれば遙かにcasual(=キャジュアルでしょう)ですが、マネージャー以上の人たちは出自や学歴が示すように服装についてはかなり厳格でした。例えば、NY州の名家出身で短期間上司だった名門のノースウエスタン大学のMBAには、週末などを過ごす際の服装として薦められたのが「ネイビーブルーのブレザー、薄いブルーのシャツで勿論ボタンダウン、ズボンは彼らが言う”khaki(カーキ色)のチノパンで、靴は茶系統で、スリップオンが望ましい」でした。周囲を見渡せば、なるほどこれが彼らの標準でした。

また、上司の規範(=”norm”)では出張中であっても同じスーツを2日続けて着用して出社することなどは許されませんから、出張する際には最低でも2着のスーツと移動日用にブレザーとパンツを持っていきました。シャツやネクタイもそれに合わせて適当な数を持参します。靴は黒しか許されません。生涯最高の上司と私が形容する副社長に対しては、スーツ以外のブレザー等を着用する日は予め了解を取っていました。彼はもみあげを伸ばすことも髭も許可制にしていました。

上記のMBAは東京に出張してきて、夕刻にホテルに到着するやいなや全てのスーツ(言うまでもなくズボンも)を至急で翌朝までに仕上げるようプレスに出してしました。ということは、普段でもプレスが効いていないズボンの着用などは当然許されませんでした。W社でも部門によって異なりますが、原則としてアメリカ国内移動中はネクタイ着用と定められていたようですが、私はブレザーにシャツだけで過ごしていました。ということは、シャツの裾を出していることはあり得ないと思うのです。

服装の決め事というか所謂服装学は細かく採り上げれば際限がありませんが、大まかに言って上述のような捉え方になるかと思います。だが、これこそは彼らの文化であって、その中で過ごしていた私は従わざるを得なかったということです。ですから、我が国で誰がどうされようとカタカナ語の使用と同じことで、妨げる理由はありません。

8月29日 その2 中国の対日政策に思うこと

2016-08-28 10:06:13 | コラム
中国に対して拱手傍観で良いのか:

私が先日採り上げた産経のトップ記事の「中国、尖閣での法施行規定」について畏メル友尾形美明氏と佐藤隆一氏から寄せられたご意見を紹介しよう。

尾形美明氏の最初の意見は、

<諸外国と関連のある問題を、国内法で決めて、それを一方的に実施するというのです。尖閣を「自国領土」とし、「国家総動員法」?を制定し、有事には海外にいるシナ人も強制的に動員する、などと言います。

つまり、国内の共産党の方針・政策と力が全て、なのです。しかも中国は相手の力が弱いと実際にその通りに遣って来たのです。チベット・ウイグルなどの"解放”。インドやベトナムとの戦争。西沙諸島や南沙諸島で軍事力を行使し、長年他国が実効支配してきた島やサンゴ礁を奪ったのです。後は、人口島を作り、「軍事拠点にはしない」などと言いながら、ご覧の通りです。

この現実を見ても、平和憲法を守れ!、自衛隊解散・日米安保破棄、戦争法案絶対反対!などと叫ぶ反日サヨクがいます。彼らのおつむは一体、どうなっている
んでしょうか?>

となっていた。

佐藤隆一氏は次のように指摘された。

<中国の軍事力は防衛ではなく攻撃の為の軍事力です。あれだけの軍事力を維持するにはそれなりの金もかかります。まぁ、彼らの軍事開発費はスパイ活動費でしょうから、米国やロシアのような膨大な費用はかかりません。その分、安上がりではありますが、いつまで金が続くかが彼らの軍事力の底力と言う訳になります。

中国の嫌っているのは、自国の優位性である核兵器を無効にするようなTHAADの配備です。安いレールガンなども日本の本格的な研究を嫌うでしょう。ハーグの裁定も彼らを動揺させました。我が国はこうした相手の嫌がることを推し進めることでしょうね。>

尤も至極である。

尾形氏からは更に、

<ただ、「何時まで金が続くのか?」は難しい問題ですね。共産党は国民の生活などは余り気にしません。北朝鮮を見ると良く分かります。毛沢東も、「国民がパンツを履けなくとも、核兵器を持つ」としてその通り、実行しました。現在の中国共産党も共産党員と家族、その予備軍には配慮しますが、それ以外の国民
は人間とは見ていません。

ですから、中国がどうであろうと、日本人は「日本の国は自分たちで守る」という常識を取り戻すしかないと思います。それを、村山元首相のように「丸裸の日本を誰が攻撃するか。そんな事は絶対に無い」などとバカを言うのは、もう止めるべきですね。ここは憲法改正を急ぐことしかありません。>

という反応があった。矢張り憲法に行き着くようだった。

私からの纏めとしては、

私は戦争末期に本当に「米軍が上陸してきたら竹槍で戦う」と言って本気で訓練していたのを覚えています。私は訓練を受ける年齢ではありませんでしたが。今や、このまま何も対中国策を講じなければ、またぞろ竹槍になってしまうかと半ば本気で危惧します。

28日の産経で門田隆将が朝日新聞がSEALDsの解散を惜しむ記事を何回か載せたことを厳しく批判していました。私はSEALDsの大学生どもには呆れるだけで、その存在を「学生が良くやった」と歓迎する風潮も政党もあったのが理解出来ませんでした。そういう手合いの代表が朝日であったのは誠に寒心に堪えません。何処かで誰かが書いていましたが、「翁長知事は基地や米軍駐留に反対するが中国船が領海に入ることに一度も抗議したことがない」と。彼のような中国の回し者が未だ未だいたのです。


プロ野球(NPB)の考察

2016-08-28 08:38:31 | コラム
また巨人が負けた:

当方は元々巨人嫌いではあるが、昨27日のような無残な負け方であれば快眠できて結構だが、あの様に負け続けているようだと哀れを催すとまでは言わないが、プロ野球に興味を失わせられてしまう。それは、あの顔ぶれを見せられては来年には奮起して良い野球を見せるだろうななどと思わせてくれることなど先ずあり得ないのだから。一昨日の負け投手が最早薹が立ったとしか評価できない内海で、昨夜が広島から移ってきた同様な明日がない大竹では何の期待も出来ない。

野手の顔ぶれを見ても、巨人だけで育った若手が坂本だけで、後は野村克也が「ビリのテイームの四番打者」と酷評した守備の良さが目立つ村田、ロッテから獲ってきたクルーズに高齢者グループ長の阿部、最早下り坂の長野、ヤンキースから来たというのが売りの2割6分打者のギャレットに松本哲也や橋本至では、魅力を感じろと言うのは無理がありすぎる。西武から来た片岡などは何をしているのだろうか。帰り新参の脇谷などは年を取り過ぎているのだから、後進に道を譲るべきだ。

他の投手だって何時まで経っても上手くなってこないので中継ぎに格下げになった高木勇人と、孤軍奮闘のような広島の新庄高から田口くらいが自分たちで育てた投手というのでは、何ともはやだ。菅野にちっとも触れないのは、彼は以前から「残念ながら良い投手だ」と最大級の評価をしてきたが、今年も防御率だけは良いのだがと言う実績では困ってしまう。投げる様子を見ていると、何処となく何か不満があるのではないかと見えるのは何故だろう。

広島が優勝しそうなことは無名選手を育てた努力と一生懸命さが報われるのだから大変結構だが、残る四球団もここに来て未だ不安定さは残るが、進歩の跡を見せてきたDeNAを少し評価はしたい。だが、勝率が5割に満たない状態でクライマックスシリーズとやらに出られそうなのは興ざめだ。この制度には改善の余地が残っているだろう。この有様では、上位三球団で接戦が続くパシフィック・リーグの方に関心も興味も移ってしまう。

ここに来て今年初めてホームラン競争に注目してみた。残念というか何と言うべきか、セントラル・リーグの筒香と山田哲人を除いては上位にいるのは皆カタカナの名前で、その中で打撃トップ10にいるのはロッテのデスパイネだけだった。その打率も2割8分台で、残る連中は見事に2割5~6分台である。私の持論であるアメリカのMLBでは生き残れなかった落ちこぼればかりだ。もっと解りやすく言えば、中途半端な落ちこぼれを押し戴いたのではないかということ。

しかも、昨日の時点ではそのホームラン数も筒香と山田よりも少ないという程度。球団経営者もスカウトとやらも何も打者だけに限ったことではないが、外国人選手の獲得をもう少し慎重にすべきではないのかな。私は本当に使える者をMLBがむざむざと手放す訳がないと思っている。だが、ラグビー界を見れば、何人ものラグビー強豪国の現役の代表選手が我が国に来ているのと一寸事態が違うようだ。

パシフィック・リーグを見れば、ソフトバンクもニッポンハムも中心選手は、ファイターズのレアードを除けば全て彼らが選択して育ててきた者たちである。しかも、何処かの球団のように名前に釣られて獲ってきたのではなく、ドラフトして自前で育ててきた選手たちだ。巨人に今更姿勢を改めろとか経営方針を再考せよと言っても始まらないのは承知だが、少なくとも球界の盟主面だけでも止めてはどうだろう。いや、マスコミも対巨人の扱いを考え直すのが先かも知れない。