新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月19日 その2 吉田沙保里が負けたのは非常に残念だった

2016-08-19 07:56:44 | コラム
実は吉田沙保里が最も心配だった:

ここには何の理屈も推論もなかった。私は女子のレスリングが始まるずっと前に、家内に「実は、吉田沙保里が一番心配と閃いた」と告げていた。これまでに何度も述べてきた単なる閃きである。もしも何らかの根拠ありとすれば「それは親愛なるマスコミの四連覇だの人類最強といったような過剰で無駄な持ち上げ方」であろう。過去にも持ち上げすぎ、過剰な持て囃しで勝ちきれなかった者が何人いたかである。

だが、この吉田危機説の閃きは何処も書かず家内に語っただけだった。だが、本当に遺憾ながら当たってしまった。残念至極である。彼女の決勝戦での負けの陰には主将の重責を背負わされたことや、先に伊調他2人が勝ってしまった重圧があっただろう。吉田沙保里と雖も人の子で、負けることだってる。これでここまでの偉大な戦績に傷が付く訳でもあるまい。温かく迎えてやるべきではないk。

怪しからんのはマスコミだ。彼らの怪しからん点は、同じ「四連覇」ならば伊調馨も同じ立場だったが、二義的扱いに始まりいざ勝ってみればあの騒ぎよう。不見識で軽佻浮薄の極みだ。彼らが不明を恥じるべきはこれだけではない。土性が勝つと一度でも大騒ぎしたか。水泳の坂井聖人の扱いと同じ。彼らの姿勢は言うなれば「メダルを取ってくれれば官軍」扱いだ。もう好い加減にしろと言って終わる。

私の英語論の補完

2016-08-19 07:32:42 | コラム
私はここを強調したかった:

私は既に

「発音は正確であればあるほど良いのですが、それはそれとして外国人に「聞き取って貰えた」か「通じた」という段階ではなく、相手を説得するか、納得させられるまでの表現力があるかないかが問題であると考えております。それはTOEICで何点取れたかではなく、”debate”の力が備わっているかいないかだということです。経験上も何度も「自分で言えるから結構」と通訳を断られた(偉い?)方に出会いました。しかし、ご当人が自信をお持ちの会話が終わってから「ところで、あの方は何が言いたかったのか?私は良く解らなくて弱った」とアメリカ人に問いかけられたものでした。」

との私の見解を述べてきた。この考えについて仏文学者のTK博士(フランスの大学院で博士号を取得されている、勿論フランス語で論文を書いて)からは、博士は私の主張に同意した上で以下のような意見を寄せられた。

>引用開始
文法問題がどうの、とか語彙がどうの、という以前に、彼らとどう議論してこちらの主張を伝えるか、が問われているのだと思います。語学学校に行ったレベルでは、お客様です。相手は商売ですから、必死でこちらの言いたいことを汲み取ってくれます。

しかし、フランスの大学で教員として働いたり、博士課程の学生として登録したりすれば、基本的にはこちらが向こうの論理に合わせなければならなくなります。さらに、自分の意見を通そうとすれば、当然向こうは否定から入ってくるわけです。

学生時代、フランス語が苦手だったのですが、それは私が「自分は日本語で論理的な文章が書けるのだから、それを単にフランス語に訳せば通じるはずだ」と
信じきっていたためでした。

実際に、フランス語で論文を書くようになって、単に日本語をフランス語に訳せば良いのではなく、フランス式の論理に自分の主張を乗せなければ、通じさせるのは難しいことに気づきました。
<引用終わる

私はこの太字にしたところが重要だと信じている。即ち、私はここを「相手国の文化と思考体系の我が国との違いを認識してそれに合うような表現をしていかないと、容易には相手を納得させられない」と述べてきていた。その点を博士が専門的な視点から解りやすいように解説して貰えたと思っている。発音も聞き取り能力も表現力とは密接な関係にはあるが、相互の思考体系の違いの認識もまた重要な要素であるのだ。

この辺りを視点を変えてみれば、「万人がこのような次元まで英語力を高めるように学ぶかまたは教える必要はないと思う」ということ。その辺りを数校の大学で国文学を教えておられるKS氏は

「英語ネイティヴが話す英語」と「世界共通語としての英語」は、おなじ「英語」といってもおのずから別ものになる。そのどちらを対象にするのかによって、いろんなことがちがってきます。日本の英語教育がNGなのは、「そもそもどういう英語をめざすのか」が曖昧だという点にあると思います。」

と明快に指摘されたいる。私は勿論同感である。「何だ。それでは他人様の意見の引用ばかりで貴方の意見は何処に?」との疑問を呈されるかも知れない。だが、私は私の主張を支持してくださった学者の意見を引用して補強しようとしていることをご理解願いたいのだ。

纏めてみれば「相手の懐に入って納得させるような主張をしようと思えば、相手との文化と思考体系の違いを認識した上で自分の理論を展開する必要がある」と「そもそも如何なる次元にある英語を目指して教えるか、または学ぶかを明確にしておくこと」である。