矢張りサッカーが心配になった:
昨10日の夜は途中から気が付いて対スエーデンの「負けたら予選敗退が決定」の試合を見た。画面一杯に溢れていた空気は「直向きさの欠乏」というか「切迫感に乏しい」試合運びだった。大体からして、この私に「どうしても見なければ」と思わせないほどの情けない試合が続いていた過去2試合の成績だったのだ。
確かに良くパスは回っていたが、例によって例の如く「華麗にして見事なバックパス」多用で相手と比較しても多過ぎた。そこには、どうしても危険を冒してでも攻め込んで何点でも取ってやろうという気迫が手に取りたくても一向に滲み出てこないサッカーで、貪欲さが見えず危険を冒さず、綺麗事に終始したのには失望させられた。相手には余り大した技術もなく、何としてでも勝ち上がって見せようという意欲も見えなかったので、その意味では良い勝負かと思って観戦した。
全くの余談だが、北欧の国のはずのスエーデンに何故か「~ヴィッチ」という語尾になる東欧系の名字の者が多いのが不思議だった。確かにスエーデン人の世界的な名手に「イブラヒモヴィッチ」(”Ibrahimovic”で、ボスニア人であり、スエーデン人ではないとWikipediaにある)がいるが、それにしても「何とかヴィッチ」さんが数多くいたのは不思議だった。黒人までいたのは、恰もクラブテイームの如きだった。
結局は後半に1点だけ取って勝つには勝ったのは結構だったが、コロンビアがナイジェリアに勝ってしまったので予選落ちになってしまったのは余りにも無残だった。遺憾千万である。兎に角FWであろうと何処だろうと「俺が一点取って見せよう」という類いの野望を見せた者が不在で、何時まで経っても責任逃れと私が酷評する、解説者までが「あそこで打っても良かったのに」と遠慮がちに批判する責任逃れの、アナウンサー語の「ラストパス」の連発だった。
この消極性が手倉森監督の指導方針なのか、彼らを育てか下部組織のコーチたちの間抜けさなのかは知る由もないが、ウンザリだった。それかあらぬか、OA枠で呼ばれた彼らに範を示すべき興梠などは途中で引っ込められた始末。あれじゃ、予選リーグ勝ち抜きなんて高望み過ぎた。私には、既に指摘したが、サッカーには(野球かラグビー並みの?)良い素材が来ていないと痛感させてくれる個性に乏しい中途半端な選手ばかりだった。あれでは、今後とも益々人材は他に流れると懸念するものだ。
ところで、「一方のラグビーを見よ」と声が裏返るほど大きな声で言いたいラグビーの健闘振りである。ニュージーランドに勝って予選リーグを突破して見せただけに飽き足らず、今度はトーナメントに入ってもフランスに勝って見せてくれた。立派なものだ。あの精神力と体力とは一体どうやって鍛え上げたのかを、サッカーの指導者連中はラグビー協会に行って教えを請うたら如何かと言ってやりたい。しかも、あの顔ぶれには何故か私も評価する山田章仁がいなくても勝っているではないか。
と、ここまでラグビーを褒めてきたが、矢張り留保条項がある。それは純粋の日本人ではないものが何名か混ざっていることだ。それが国際的に認められていることは百も承知で言っている。言いたいことは「純粋に日本人だけで代表テイームを、15人制でも、一度くらいは結成して世界的な大会に出せば何処まで行けるのが是非とも知りたいから言うのだ。
法改正が必要だというのだったならば、その昔(もう、こんなことを記憶している人がどれほど生き残っているか)選抜で優勝した早実の王貞治投手が国体には台湾国籍では出場不可と聞いてグラブを叩き付けたという話があった。それと同様に、世界的な大会のどれかを純粋にその国生まれというか、長年滞在したか乃至は帰化人を除くテイーム編成に限定するという制度を導入してくれると良いなということ。7人制では身体能力頼みのが黒人たちの力は大きいが、我らには我が同胞のような敏捷性もなければ「俺が、俺が」とでも形容したい精神構造がやや変わっている点が、私には好ましくないのである。
それはそれとして、ラグビーの健闘振りは絶賛したいし、見事だと思っ見ている。また、スイスのテイームに選手派遣を断られてしまった不手際というか、交渉力の至らなさというか、準備不足は協会の首脳部が責任を負うべきことではないのか。外国人との交渉術により長けていなければならないのが、グローバル化だか国際化か知らないが時代の要求であると、マスコミが何かと言えば喚いているではないか。サッカー協会よ、奮起せよ。
昨10日の夜は途中から気が付いて対スエーデンの「負けたら予選敗退が決定」の試合を見た。画面一杯に溢れていた空気は「直向きさの欠乏」というか「切迫感に乏しい」試合運びだった。大体からして、この私に「どうしても見なければ」と思わせないほどの情けない試合が続いていた過去2試合の成績だったのだ。
確かに良くパスは回っていたが、例によって例の如く「華麗にして見事なバックパス」多用で相手と比較しても多過ぎた。そこには、どうしても危険を冒してでも攻め込んで何点でも取ってやろうという気迫が手に取りたくても一向に滲み出てこないサッカーで、貪欲さが見えず危険を冒さず、綺麗事に終始したのには失望させられた。相手には余り大した技術もなく、何としてでも勝ち上がって見せようという意欲も見えなかったので、その意味では良い勝負かと思って観戦した。
全くの余談だが、北欧の国のはずのスエーデンに何故か「~ヴィッチ」という語尾になる東欧系の名字の者が多いのが不思議だった。確かにスエーデン人の世界的な名手に「イブラヒモヴィッチ」(”Ibrahimovic”で、ボスニア人であり、スエーデン人ではないとWikipediaにある)がいるが、それにしても「何とかヴィッチ」さんが数多くいたのは不思議だった。黒人までいたのは、恰もクラブテイームの如きだった。
結局は後半に1点だけ取って勝つには勝ったのは結構だったが、コロンビアがナイジェリアに勝ってしまったので予選落ちになってしまったのは余りにも無残だった。遺憾千万である。兎に角FWであろうと何処だろうと「俺が一点取って見せよう」という類いの野望を見せた者が不在で、何時まで経っても責任逃れと私が酷評する、解説者までが「あそこで打っても良かったのに」と遠慮がちに批判する責任逃れの、アナウンサー語の「ラストパス」の連発だった。
この消極性が手倉森監督の指導方針なのか、彼らを育てか下部組織のコーチたちの間抜けさなのかは知る由もないが、ウンザリだった。それかあらぬか、OA枠で呼ばれた彼らに範を示すべき興梠などは途中で引っ込められた始末。あれじゃ、予選リーグ勝ち抜きなんて高望み過ぎた。私には、既に指摘したが、サッカーには(野球かラグビー並みの?)良い素材が来ていないと痛感させてくれる個性に乏しい中途半端な選手ばかりだった。あれでは、今後とも益々人材は他に流れると懸念するものだ。
ところで、「一方のラグビーを見よ」と声が裏返るほど大きな声で言いたいラグビーの健闘振りである。ニュージーランドに勝って予選リーグを突破して見せただけに飽き足らず、今度はトーナメントに入ってもフランスに勝って見せてくれた。立派なものだ。あの精神力と体力とは一体どうやって鍛え上げたのかを、サッカーの指導者連中はラグビー協会に行って教えを請うたら如何かと言ってやりたい。しかも、あの顔ぶれには何故か私も評価する山田章仁がいなくても勝っているではないか。
と、ここまでラグビーを褒めてきたが、矢張り留保条項がある。それは純粋の日本人ではないものが何名か混ざっていることだ。それが国際的に認められていることは百も承知で言っている。言いたいことは「純粋に日本人だけで代表テイームを、15人制でも、一度くらいは結成して世界的な大会に出せば何処まで行けるのが是非とも知りたいから言うのだ。
法改正が必要だというのだったならば、その昔(もう、こんなことを記憶している人がどれほど生き残っているか)選抜で優勝した早実の王貞治投手が国体には台湾国籍では出場不可と聞いてグラブを叩き付けたという話があった。それと同様に、世界的な大会のどれかを純粋にその国生まれというか、長年滞在したか乃至は帰化人を除くテイーム編成に限定するという制度を導入してくれると良いなということ。7人制では身体能力頼みのが黒人たちの力は大きいが、我らには我が同胞のような敏捷性もなければ「俺が、俺が」とでも形容したい精神構造がやや変わっている点が、私には好ましくないのである。
それはそれとして、ラグビーの健闘振りは絶賛したいし、見事だと思っ見ている。また、スイスのテイームに選手派遣を断られてしまった不手際というか、交渉力の至らなさというか、準備不足は協会の首脳部が責任を負うべきことではないのか。外国人との交渉術により長けていなければならないのが、グローバル化だか国際化か知らないが時代の要求であると、マスコミが何かと言えば喚いているではないか。サッカー協会よ、奮起せよ。