新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月15日 その4 昭和20年8月15日

2016-08-15 20:47:47 | コラム
71年目のあの日がやってきた:

あれから71年も経ってしまったが、あの日の記憶は未だに鮮明に残っている。毎年繰り返して同じ事を書いてきたのだが、今年も昨年と同じことを書き記しておく。今になって思い出しても不思議な事は、2~3日前に「天皇陛下がラジオにお出になって戦争に負けたと言われるそうだ」と、中学1年生のこの私が何処からともなく聞かされており、それを信じていた点だった。記憶が正しければ、当日は学校は休みとなって朝から家にいてラジオの放送が始まるのを待っていた。

あの日は空には雲一つなく何処までも抜けるほど青く澄み切っていた。そこに正午からだったのか陛下はキーを間違えておられたのではないのかしらと一瞬疑ってしまった高い声で玉音放送が始まった。13歳の子供には良く意味がとれなかったような難解な文章だった。だが、兎に角「戦争が終わったのだ」と言う事は十分に理解出来た。「アー、良かったなー」というのが偽らざる感想だった。そこで張り詰めていた緊張の糸は明らかに切れていた。

今頃になって当時の事情というか国民の意識を知らない連中が「本気で竹槍の訓練をして本土決戦に備えていたのか」と半ば揶揄するかの如きことを言うが、あれは失礼千万であると思う。不愉快である。当時は本気でアメリカ軍が上陸してきたら最後の一兵まで戦うのは当然だと教え込まれていたし、それが内地における戦争の雰囲気だったのだから。

「あー、終わったのだな」と何か気が抜けたようで開放感を味わっている時にでも、我が家から徒歩でも15分ほどの相模湾の辺りでは何時もの通りに艦載機が襲ってきていて、「バリ、バリ」と機銃掃射の音が聞こえていた。「何だ、アメリカは未だ止めていないのか」と不思議に思いながら、最早解放されたはずだと、気を落ち着けて何れ止めるだろうと艦載機の襲来の音を聞いていた。

未だに覚えているが、不思議なほど負けた悔しさであるとか、無念さも残念さも感じなかった。兎に角、これまでの約4年間の緊張というかアメリカ他の連合軍に対する敵対意識もあの放送とともに完全に消滅してしまっていた。感情のようなものは完全に何処かに消えていったようだった。言ってみれば、残ったものは虚脱感だけだったかも知れないと思う。

そこから登校を再開すれば「我が国は戦争が終わって民主主義国家に変わったのだ」と聞かされ、急に長髪が許可され、敵性競技として禁じられていた野球部か出来るなど、陸士や海兵の予備校の如きだと世間の評判が高かった我が湘南中学も一気呵成に新時代に向かって走り出したのだった。あの頃では世界有数の経済大国になるなどとは夢にも思えなかったが、その後には当然のように経済的に進歩発展していったのだった。

8月15日 その3 腑に落ちない敗戦だった

2016-08-15 17:46:51 | コラム
女子卓球団体の準決勝戦のことだ:

本日は外出していた時間が長く、飛び飛びにしか中継を見られなかった。だが、福原愛率いる日本代表は残念ながらもう一歩のところが届かず、ドイツ代表に負けて三位決定戦に回ることになってしまった。私は「勝負に番狂わせなどなく、勝った方が強いので弱い方が負ける」と長年の経験から信じているし、野村克也風に言えば「負けに不思議なし、勝ちに不思議あり」だとも思っている。

そうであれば、あの卓球の団体戦の負けを「腑に落ちない」というのは自己矛盾だと言われても仕方があるまい。だがしかし、一寸だけ見たドイツ代表と言われる女性たちの顔付きはどう見ても東洋人で、その3~4名の選手たちの中に明らかに白人と見える者はたった一人だった。中でもダブルスに登場し石川佳純と対戦した者の名前が”X SHAN”だったので、何処から見ても生粋のドイツ人とは思えなかった。

また、タイム中等に選手に指示を与えている監督かコーチの顔付きも東洋人だった。という次第で、私はあの選手団は中国(?)から移住して帰化した母国で卓球を習い覚え世界的な水準の技術を習得したが、自国では代表選手になれなかった精鋭が新天地を求め、移民を積極的に受け入れる政策を打ち出したメルケル首相を慕いドイツに来たのだろうと想像した。確かに、近頃は方々に中国やアフリカの諸国から移住し帰化した有力な選手が多いと私は感じている。

そのこと自体は法の認めるか許す範囲内のことなどで、今更苦情を言ったり泣き言を言うことは無意味だとは解っている。だが、何となく納得しがたい点が残るのだ。今回のドイツの代表選手たちの出自をアナウンサーも触れず、解説者も云々しなかったのは我が国らしい「フェアー」なことだと思う。だが、こういう傾向が今度とも益々蔓延していけば、「一国の代表選手とは」という定義の改訂が何時の日か必要になる気がしてならない。

私はこれまでに繰り返して我が国のラグビー代表選手たちに我が国に住んで3年以上という外国人選手が段々に増えてきたことに不満というか割り切れないものがあると言ってきた。だが、それと今回のドイツの女子代表団の選手構成とは一寸趣が違う気がしてならない。「勝つ為には手段を選ばなかったのでは」とも思えるのだから。

ドイツは生粋のドイツ人選手を育てられなかったのか。私はX SHANの試合態度の悪さは不愉快に思えた。あの手段を選んだ理由も知りたい気がする。しかし、その為に負けたとの言い訳を福原も石川もしていなかったのは、誠に潔く立派だったと褒めて上げたい。今後はそういう連中に負けない力を備えて、陳腐な言い方だが「4年先にこの借りを返して欲しい」と言って終わりたい。

皆良くやってくれた。是非三位決定戦に勝ってメダルとやらを獲って貰いたい。世界の第3位、立派な成績だと胸を張って帰ってきて欲しい。

8月15日 その2 オリンピックの過剰報道から拾う

2016-08-15 08:35:29 | コラム
オリンピック報道零れ話:

本筋の選手たちの成績以外に気になることが多過ぎる。要らざる解説が多過ぎるのは国内のスポーツ中継と同じだが、ここに採り上げるのはそんなことではない。言葉遣いその他の減少だ。

初めてのオリンピック:
アナウンサーどもは何かと言えば所謂「初出場」で粒々辛苦、努力の結果が実り、初めて出てきた者に必ず「初めてのオリンピック」という枕詞というか形容句を付ける。曰く、「初めてのオリンピックにも拘わらずメダル獲得」という具合で、初出場で3位以内に入賞することがそれほど珍しいのか。誰だっていきなり2度目になる訳があるまい。また、この形容句の響きには恰も何度も何度も出なければならないかのように聞こえる。私の好むところではない。

メダル獲得:
兎に角、3位以内に入らないと何の価値もないかの如くに「メダル」だの何のと、メダルの金属の質を言いたがるのは、私には聞き辛い。長い間厳しく辛い練習を積んで、時には生活をかけて出てきた選手が4位以下であっても、全世界の選手の中での4番目であれば褒め称えるべきではないのか。「メダルを逃した」というような貶すような伝え方は失礼の極みだと思う。オリンピックはメダル獲得の世界大会なのかと疑ってしまう。先ずは、出場出来たことに敬意を表すべきだ。

キラキラネーム等:
兎にも角にも、読めないか判読も不能な名前(誤った日本語では「下の名前」だが)が多いのには驚かされるし嘆かわしいことだと、後期高齢者としては思っている。偶々そうしたのか知らないが、目下開催中の甲子園の野球にも同様な読めないか、我が国の文化か伝統を無視した名前が多いのだ。男のものだけ採り上げても一種目かテイームに必ず一人は「翔君」かその他の一文字を付けた「翔太」か「翔平」か「何とか翔」がいる。この流行は20年近く続いている。流行を追うのは髪型くらいにしておけ。

他には「雄大君」も多く見かける。田中将大にあやかろうとしたのか?「将大君」も何人かいた。この「大」という字を「ヒロ」と読ませる名前も実に多い。その他に目立ったのが、「健人」、「健斗、「健翔」等で、私は”Kent”を真似たと疑っている。この「斗」の他に、二文字目に「平」、「助」、「介」、「亮」、「太」、「人」が多いのも特徴だ。その昔は「平」や「太」や「助」はほとんど見かけなかったので、異様な感がある。

また、多くの名前には、とてもその一族というか一家の伝統の一文字とは思えない当て字的な漢字が多すぎるのも特徴の一つだ。現代の若き親たちは古き良き習慣を捨てて、新たな命名の歴史を創造しようとする意欲を痛いほど感じさせてくれる。彼らはその為には重箱読みなどを積極的に採用しているようだ。私にはこれが時代の変化なのか、国語力の低下乃至は乱れなのかが解らないのが残念だ。

女子の例も挙げておかねば片手落ちだろうが、バスケットボールの代表のエースで#10を付けたアメリカのWNBAだったかに参加している渡嘉敷来夢さんはてっきり「ライム」だと思っていたら「ラム」だった。この例と卓球の15歳の新星・伊藤美誠さんの「ミマ」などはお手柔らかな方だ。プロゴルファーにも例がある「愛」と書いて「メグミ」と読ませるのにも最早馴れた。


kazk様

2016-08-15 07:18:06 | コラム
kazk様

コメントに感謝申し上げます。

日本人単独テイーム:
私はそれほどの国粋主義者ではありません。純粋の日本人だけの代表テイームを切望する理由はただ単に「日本人だけだったら何処まで諸外国の代表に通じるかが知りたい」だけです。それは、非常に進歩し改善された我が国の技術と体格と身体能力がどれほど世界との対比で遜色がなくなったかが知りたいということです。サッカーは兎も角、野球はあの水準に達し、イチロー君のような者が出てきたので、ラグビーではどうなったかに好奇心があるのです。

こと移民導入策については、私も反対派というか賛成出来かねるという立場です。そこには文化の違いは言うに及ばす、外国には我が国のように均質の教育を受けていない者が多く、その中からはみ出してしまった連中を受け入れる価値が何処にあるのかと経験上も考えております。

英語論:
英語の発音についてのご意見は「異なる見方がある」と思い、否定はしません。だが、主張しておられることは「通じるか、通じないか」の段階に止まっていると解釈しますので、私の発音論とは趣を異にしていると思います。私はアメリカ式であれ、UK式であれ、出来る限り本当の発音に近くあるべきだと思っておりますし、自分でも未だにそこを目指しております。

私が非難し続けてきたことは、あの様なカタカナ的な発音を教えてきた我が国の英語教師たちに問題があるという点です。発音が出来ているかいないかとは別な次元にあるのが表現力です。何れを取るべきかと言えば、私は自分が思うことを自在に言えるだけの力を備えるべきだと言います。これが”I know how to express myself in English.”です。I can speak English.とは全く別のことです。

しかし、発音は正確であればあるほど良いのですが、それはそれとして外国人に「聞き取って貰えた」か「通じた」という段階ではなく、相手を説得するか、納得させられるまでの表現力があるかないかが問題であると考えております。それはTOEICで何点取れたかではなく、”debate”の力が備わっているかいないかだということです。経験上も何度も「自分で言えるから結構」と通訳を断られた方に出会いました。しかし、会話が終わってから「ところで、あの方は何が言いたかったのかが解らなくて弱った」とアメリカ人に問いかけられたものでした。

失礼を顧みずに伺えば「kazkさんはアメリカ人(乃至は外国人)の中で英語でしか意思の疎通を図る手段がない世界で暮らしてこられましたか」なのです。自分のことを回顧すれば「非常に難しい議論をするか、極めて困難な議題の通訳をする場合には、発音の綺麗さか正確さをある程度犠牲にせざるを得なかった場合」はありました。自分の母国語でない以上、限界があり何かを捨てねばならないことはあります。勿論、同胞で立派な発音も兎角英語での表現力も、議論する能力も兼ね備えた論客にも出会いました。アメリカ人の文化を理解し、彼らの思考体系の中に入って論争出来ることが必要だと思っております。

立派な英文を書かれ、会話をよどみなく進める力をお持ちの方でも、発想というか思考体系が日本語の枠の中に止まっていた為に、何とも言えない微妙なすれ違いに終わった例はかなりあります。この点は綺麗な日本語で話す外国人が著しく増えた現代にあって、彼らが何処まで「文化と思考体系の違い」を弁えているのかという疑問でもあります。

私は既に何度か回顧しましたが、日米企業社会の文化の違いがいくらか解るようになるまでに、転身してから10年以上を要しました。解るようになる為にはある程度以上の英語力が必要でした。だが、そこまでの英語力を必要とする人が一体どのくらいいるでしょうか。国際場裏に出る為に何処までの英語力が必要かが問題でしょう。実は、正直なところ私はこの点については、I don’t know the answer.なのです。