何の為にUnited Nations(UN)はあるのか?:
先頃中国の杭州に世界の20ヶ国の首脳が集い、習近平国家主席の演出と主演の大国際政治ショーが開催された。習近平国家主席はこの集いは政治の目的ではなく飽くまでも経済を主たる目的に掲げていたようだった。だが、私は単純に考えて、何故に我が国にはあれほど信者が多いUnited Nations(UN)という組織がありながら、それを活用せずに何処となく屋上屋を架すというか二重手間のようなG20を開催し、何ら具体的な結果が出ないお祭りをする必要があったのかと思って眺めていた。
しかも、習近平は事前に面倒を見ておいたいくつかの発展途上にある国を使って「南シナ海問題が採り上げられないよう根回しどころか圧力まで掛けておいた」と報道されていた。確かに南シナ海問題は経済関連ではないが、G7の諸国まで抑えきってしまった習近平主席の無茶な豪腕には恐れ入るしかない。かくなる上は、フィリピンを初めとして中国と対立する諸国は南シナ海問題をUNに改めて提起するしかないだろう、仮令何ら結果が期待できなくても。
UN信仰は不要:
だが、遺憾ながら、我が国には根深い「UN信仰」という宗教の如き観念が遍く普及している。中には「これほど間が抜けたことはない」と言う立派な有識者もおられて屡々「敵国条項」の存在を指摘されている。国会議員にも何かといえば「国連の議決があれば」との条件をつけたがる純情な者がいる。”Security Council”(訳語と略語が「安保理」だ)なる存在がこれまでに不公平な存在だとの事実を何度も見せたにも拘わらず。
私が思うには、上述のような明解にUNの姿勢というか設立の理念を表している憲章も事実もあるのに、我が国民が尚且つ信仰するのは我が国には世界のどの国にもない美しく綺麗な”fair play”を重んじる精神と、性善説を信奉する生真面目さがあるからだと思っている。遺憾ながら、世界には綺麗事など通用しないのが常識だと思うべきだし、知るべきだ。
余談だが、私は英語に携わってきた者として「国連」という和訳を誤りだと断じるので一切使わない。それは何度か述べてきた”United Nations”の何処にも「国際」という意味を表す言葉ないからで、かかるお為ごかしで何処かの誰かに阿る和訳を軽蔑しているからだ。「安保理」だって同じだ。”Security Council”をどう訳せばそうなるのかが私の理解を超越している。
私は”United Nations”を「国際連合」(国連)というこじつけというか綺麗事の和訳を何処かで誰かが付けた根っこには、1920年1月に設立された”League of Nations”を「国際連盟」としたことがあるのだろうと思っている。これらの英語表記の何処にも”International”という言葉がないにも拘わらず、「国際」としたのは私には不可解なのである。故に、個人として頑なに「国連」という表現を嫌って”UN”と表記し、「安保理」だの「常任理事国」などというお為ごかしの和訳も嫌うのだ。
UNは無力化した:
UNがたとえ現在のような無力な存在となっているにも拘わらず、北朝鮮がミサイルでも何でも発射すれば「明確なSecurity Council(SC)の決議違反」だの、SCの議題にして制裁を厳格化しようなどと言い出すのは無意味ではないのか。北朝鮮がこれまでに一度でもUNの決議に従順に従ったことがあったか。UNとしては飽くまで体面を保つ為に決議をしているとしか思えないのだ。
私には対北朝鮮の例が示すようにUNもSCも単なる傀儡に過ぎず、先進国などというものがどれほど無力かを示しただけだと思っている。それだからといってG8からプーチン氏率いるロシアを外し、今度は習近平の思い通りにおざなりに、過剰設備を如何に処理するかなどを議題にしたようだ。私には如何なる事があっても国有企業が多いと聞く中国の鉄鋼会社が操業を短縮し、ダンピング的輸出を止めることなどあり得ないと思っている。
新興勢力の過剰設備の考察:
私は1997年2月に中国の財閥が運営するインドネシアの世界最新鋭の製紙工場を見学する機会を得て、中国を初めとする世界の新興勢力が大規模に製造業に進出すれば、最早世界では旧式で小規模で製造能力が低い機会など生産している会社はなく、完全に自動化され電子器機で制御された超合理的且つ近代的な設備を抱えていると知ったのだった。かかる新鋭の機械設備では往時の長い年月をかけて築き上げた”skill”などは不要で、熟練工が作り上げるもの以上の高度な品質を備えた製品を目にも止まらぬ速度ではき出されてくるのを見て言葉を失ったものだった。
一方の先進国は古く遅く小規模な生産設備を過剰に抱え、利益が上がらぬ不景気が続けば新規どころか合理化への設備投資もままならず、懊悩呻吟しているところに新興勢力が高品質の製品の安値攻勢をかけてくるのだからたまったものではないのだ。そのような新興勢力を総称してBRICSなどと言うので、中国一国の過剰設備だけを論っていてもことは収まらない時代だ。だからと言って、習近平の牛耳られてしまうようなG20を開催しても「世界の過剰設備」問題は解決する訳がない。その前に各国の景気を盛り返さねばならないという大問題が控えているのだから。だから無力なUNに依存せずG20なのか?
先頃中国の杭州に世界の20ヶ国の首脳が集い、習近平国家主席の演出と主演の大国際政治ショーが開催された。習近平国家主席はこの集いは政治の目的ではなく飽くまでも経済を主たる目的に掲げていたようだった。だが、私は単純に考えて、何故に我が国にはあれほど信者が多いUnited Nations(UN)という組織がありながら、それを活用せずに何処となく屋上屋を架すというか二重手間のようなG20を開催し、何ら具体的な結果が出ないお祭りをする必要があったのかと思って眺めていた。
しかも、習近平は事前に面倒を見ておいたいくつかの発展途上にある国を使って「南シナ海問題が採り上げられないよう根回しどころか圧力まで掛けておいた」と報道されていた。確かに南シナ海問題は経済関連ではないが、G7の諸国まで抑えきってしまった習近平主席の無茶な豪腕には恐れ入るしかない。かくなる上は、フィリピンを初めとして中国と対立する諸国は南シナ海問題をUNに改めて提起するしかないだろう、仮令何ら結果が期待できなくても。
UN信仰は不要:
だが、遺憾ながら、我が国には根深い「UN信仰」という宗教の如き観念が遍く普及している。中には「これほど間が抜けたことはない」と言う立派な有識者もおられて屡々「敵国条項」の存在を指摘されている。国会議員にも何かといえば「国連の議決があれば」との条件をつけたがる純情な者がいる。”Security Council”(訳語と略語が「安保理」だ)なる存在がこれまでに不公平な存在だとの事実を何度も見せたにも拘わらず。
私が思うには、上述のような明解にUNの姿勢というか設立の理念を表している憲章も事実もあるのに、我が国民が尚且つ信仰するのは我が国には世界のどの国にもない美しく綺麗な”fair play”を重んじる精神と、性善説を信奉する生真面目さがあるからだと思っている。遺憾ながら、世界には綺麗事など通用しないのが常識だと思うべきだし、知るべきだ。
余談だが、私は英語に携わってきた者として「国連」という和訳を誤りだと断じるので一切使わない。それは何度か述べてきた”United Nations”の何処にも「国際」という意味を表す言葉ないからで、かかるお為ごかしで何処かの誰かに阿る和訳を軽蔑しているからだ。「安保理」だって同じだ。”Security Council”をどう訳せばそうなるのかが私の理解を超越している。
私は”United Nations”を「国際連合」(国連)というこじつけというか綺麗事の和訳を何処かで誰かが付けた根っこには、1920年1月に設立された”League of Nations”を「国際連盟」としたことがあるのだろうと思っている。これらの英語表記の何処にも”International”という言葉がないにも拘わらず、「国際」としたのは私には不可解なのである。故に、個人として頑なに「国連」という表現を嫌って”UN”と表記し、「安保理」だの「常任理事国」などというお為ごかしの和訳も嫌うのだ。
UNは無力化した:
UNがたとえ現在のような無力な存在となっているにも拘わらず、北朝鮮がミサイルでも何でも発射すれば「明確なSecurity Council(SC)の決議違反」だの、SCの議題にして制裁を厳格化しようなどと言い出すのは無意味ではないのか。北朝鮮がこれまでに一度でもUNの決議に従順に従ったことがあったか。UNとしては飽くまで体面を保つ為に決議をしているとしか思えないのだ。
私には対北朝鮮の例が示すようにUNもSCも単なる傀儡に過ぎず、先進国などというものがどれほど無力かを示しただけだと思っている。それだからといってG8からプーチン氏率いるロシアを外し、今度は習近平の思い通りにおざなりに、過剰設備を如何に処理するかなどを議題にしたようだ。私には如何なる事があっても国有企業が多いと聞く中国の鉄鋼会社が操業を短縮し、ダンピング的輸出を止めることなどあり得ないと思っている。
新興勢力の過剰設備の考察:
私は1997年2月に中国の財閥が運営するインドネシアの世界最新鋭の製紙工場を見学する機会を得て、中国を初めとする世界の新興勢力が大規模に製造業に進出すれば、最早世界では旧式で小規模で製造能力が低い機会など生産している会社はなく、完全に自動化され電子器機で制御された超合理的且つ近代的な設備を抱えていると知ったのだった。かかる新鋭の機械設備では往時の長い年月をかけて築き上げた”skill”などは不要で、熟練工が作り上げるもの以上の高度な品質を備えた製品を目にも止まらぬ速度ではき出されてくるのを見て言葉を失ったものだった。
一方の先進国は古く遅く小規模な生産設備を過剰に抱え、利益が上がらぬ不景気が続けば新規どころか合理化への設備投資もままならず、懊悩呻吟しているところに新興勢力が高品質の製品の安値攻勢をかけてくるのだからたまったものではないのだ。そのような新興勢力を総称してBRICSなどと言うので、中国一国の過剰設備だけを論っていてもことは収まらない時代だ。だからと言って、習近平の牛耳られてしまうようなG20を開催しても「世界の過剰設備」問題は解決する訳がない。その前に各国の景気を盛り返さねばならないという大問題が控えているのだから。だから無力なUNに依存せずG20なのか?