新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月13日 その2 商社マンと懇談した

2016-09-13 17:22:02 | コラム
変動費すらカバーしないのでは:

雨降りをものともせずに商社マンと懇談会に出かけて行った。悪天候と同様に「勇気とか元気とかを貰えるような話題がなかった」一時だった。勿論、話題は数多くあったのだが、中でも最も印象的だったのが「中国等から輸入されている現在最も売れていると聞くある紙の”c & f”の価格の凄まじさ」だった。本日だったかの日経新聞に「紙の市況は最悪」と出たとか聞かされたが、そんな値段で輸出せねばならないほど中国やアジアの新興勢力の生産と設備の過剰が深刻なのだと想像できた。

その価格では、最早現場を離れて22年以上を経た私でも「変動費にもなるまい」と瞬時に思わせられた低さだった。勝手に想像を逞しゅうすれば、「中国国内でその値段で出しても売れないのでは矢張り中国経済は芳しからぬ状態にあると思わずにはいられなかったし、未だ未だ動きがある日本市場に集約してくる気なのか」となるのだった。私は常々「世界全体で過剰設備を抱えた上に内需の不振に喘いでいるのであれば、我が国が一国でいくら景気回復策を打とうとも、景気が盛り上がってくる訳がない」と論じてきた。遺憾ながらそれを裏書きする現象だと思った。

何も悲観的な話題を採り上げるのが私の目的ではないが、最早景気のバロメーターとはなり得ない紙の市況がそこまで落ちているようでは、アベノミクスの成功には未だ時間を与えてジッと耐えていなければなるまいとかと、悲観的な意見の一致を以て解散した。アーア。

BNPと私

2016-09-13 09:42:29 | コラム
BNPとは心不全のバロメーターである:

渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」第4117号に石岡荘十氏がBNPを採り上げて詳細に論じておられ、

<100を超えると「専門医の診察が必要ですよ」という危険信号だ。200を超えると治療が必要、500以上では重症心不全と判定される。待ったなしである。>と指摘しておられました。その通りと主治医から教えられております。因みに、細かいことを省略すれば”BNP”の”P”はプロテインの”P”のこと。

私は昨年の前半は14年12月30日の不運な原因による3回目の心筋梗塞の後で深刻な心不全状態に陥り、主治医の言葉を借りるまでもなく「入退院を繰り返して」おりました。15年1月の退院時点ではBNPは1,300で、リハビリを担当してくれた理学療法士は「こんな患者さんにやらせて良いのか」と病棟での主治医に照会したほどでした。私も理解出来ませんでしたが、20分ずつのストレッチとエアロバイク漕ぎを何の苦もなくこなせていました。

その頃に顔面の皮膚癌摘出手術後のフォローアップ診察で診て頂いた皮膚科の女医さんに「歩いて診察室に入ってきたのは信じられない」と驚かれました。その後BNPの値は600、400、260と高止まりを続け、今年8月8日の採血で漸く初めて100台の160に下がりました。この数値では重度というか言わば慢性心不全と言える状態でした。

ではあっても、主治医にも理学療法士にも許可を得て、今年1月からはジム通いを再開して25分ほどのストレッチ、15分のウオーキング(100 mを65~70秒で歩く)、15分前後のエアロバイク漕ぎを週に3日ほど続けております。

今週もかかりつけの開業の医師に国際医療研究センター病院での8月の血液検査の表を持参して診て頂きました。先生はBNPについては「こういう100台まで下がる回復もあるのだね。余程心臓を支える筋肉がしっかりしているのかな」と寧ろ感心された様子でした。この点は第1回目の心筋梗塞の際に病棟の主治医に「貴方は筋肉を鍛えてあったから心臓が支えられた」と言われたのと同じかと思うのです。

私は正直に言って全く安心している訳でもなく、油断は禁物と常に出来る限りの注意を払って生活し、ジムでも慎重に動いております。何分にも今上天皇よりも1学年上という高齢者ですから。昨年の2月から8月まで入院中に処方された胃壁を保護する為の胃腸薬の副作用で6ヶ月続いた下痢の為に45 kgまで落ちた体重も、56 kgにまで戻りました。

私が感じていることはBNPの数値による影響には個体差があるのではないかという点です。因みに、主宰者もご存じの通りで私は酒は一切嗜まず、煙草は生まれてこの方吸ったこともありません。自動車の運転はそのやり方すら知りません。自分の意志で夜出歩くことは先ずありません。スポーツは72歳まで中学・高校の全国優勝し損なった仲間とサッカーとフットサルも楽しんでいました。ゴルフは1974年4月に15年目で止めました。

それでも2006年1月に心筋梗塞にやられました。当時の国際医療研究センターの医長先生は「A型の血液とアメリカでの高タンパクと脂肪の多い食べ物を大量に摂っていただろう事が主たる原因では」と言われ、病棟の主治医には「ストレスが多いアメリカの会社での仕事と、翻訳を手がけていたことでは」と教えられました。科目は違いますが、一時はPSAも13まで上がり、生検までやって前立腺がんの疑いを晴らしました。白内障手術も2度も経験しております。