新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月4日 その3 我が国のスポーツの在り方の考察

2016-09-04 19:27:51 | コラム
kazk様

ご指摘の

<問題はそれが一部に偏ってること、その典型が野球というわけです。その上各人が最も適性のあるスポーツというものがあるはずですが、それを探す場もありません。マイナースポーツにいけばそれなり以上の成績を残せるアスリートも多いはずですがそういう資源の適性配分がありません。例えばラグビーの大野均は大学に入ってから初めて代表です。何か間違えてるとしかいえません。>

については賛成です。私は以前から我が国の体育会制度には疑問ありと唱えてきました。それは言うまでもないことで、一度ある運動部に所属すれば極論では生涯その競技以外には手も足も出せないのだということです。しかも、現在所属して懸命に練習に励んでいる種目が、果たして自分に最適か否かは解りません。ただただ精進する以外ありません。これには大いに問題があります。

大野均の例を挙げられましたが、フットボール界では他の競技から転向し、大学で初めて経験した一本目になったという例が限りなくあります。典型的な例が強かった頃の京大ギャングスターで新入生の中から体が大きい者を勧誘して教え込んだというのは有名です。関東の一部校にもフットボール未経験で一本目になった者は幾らでもいました。典型的だったのは日大三高の野球部では補欠扱いでフェニックスに入るや1年生からセンターという重要な地位を確保した安部奈知がいます。

彼はTBSの何とかいうアスリートを集めた番組の常連になったほどの身体能力の持ち主でした。フェニックスには彼以前から多くの未経験者を全日本級に育て上げた実績があります。フェニックスには他にも高校では野球部だったが、日大に入学していきなりQB(クオーターバック)に抜擢された松岡秀樹の例もあります。他の大学の例は省きます。

これは篠竹監督礼賛ではなく、高校や大学でも他の競技種目の中に埋もれていた素材が幾らでもいたのではないかという議論です。いえ、自分に何が最適かなどは解らないものだということでもあり、指導者にも見抜くだけの眼力があるのかという疑問です。私は「我が国では懸命に精進する余りに何でも『~道』に仕立て上げる嫌いがあり、その道での名人・達人になることを目指しすぎる余り、他の競技の良い点を取り入れる余裕を生じていないのだ」と考えております。それが良いのかまたは不適切かの結論を出すのは簡単ではありますまい。

アメリカの例を参考までに挙げれば(何時だったか「アメリカに暮らしたことがあったが、子供たちはそういう教育を受けなかった」という苦情が来たことがありました)、三大スポーツと言われる野球、フットボールとバスケットボールをシーズン制で回して学校で教えているので、皆(と言うか多くの者が)三種目をムラなくこなせるようになります。そして、大学からプロに行くような優れた者は「どの種目を選べば最も有利か」と考えて選択すると聞いています。勿論、高校のトーナメント制の全国大会などある訳がなく、精々州の大会程度だそうです。

言いたかったことは、三大スポーツでムラのない体を作っておくことが良いだけではなく、自らの適性を指導者とともに見いだせる点が良いのではないかという点です。張本勲がしきりにMLBの質が低下したと批判するのは、野球しかやったことがない敢えて悪い表現を使えば「余り学がない南米人」が増えたことで、私が批判する「身体能力ショー」のようなボーンヘッドが多い野球になったのだと見ております。

私は今更我が国の体育会制度を改革するとか破壊することはあり得ないと思っております。これも10年以上前から書いてきたことですが、某ジムのフットボールのXリーグのあるテイームのトレーナーをやっていたトレーナーが「トレーニングの科学性という意味では我が国の野球は最悪。サッカーにも勘違いがある。最も優れているのが未だにマイナースポーツの域を脱していないフットボールである」と言っていました。今では野球界も大いに近代化されましたが、嘗ては発展途上国でした。

実は、かく申す私も自分には何が向いているかなどとは考えたこともなく、小学校(国民学校でしたが)の頃から旧湘南中学の蹴球部の大きな人たちの中に入れて貰ってボールを蹴っていたので「何としても湘南に合格して蹴球部に入るのだ」と思い込んでいました。勿論、何度か述べたように甲子園で優勝してしまった野球部とは親しかったので、野球もそれなりに楽しんでおりましたし、就職してからもお遊びのような会社の軟式野球で投手などやっていたほどで、内野手としても楽しみました。

9月4日 その2 プロ野球と練習方について

2016-09-04 16:37:24 | コラム
kazk様

<あるマイナースポーツのコーチが言ってましたが、日本のマイナースポーツを強化する方法は簡単だ。大相撲と野球を禁止すればいい、というものでした。>

とのことですが、全く異存ありません。

実は、これと同じことを私は長年W社時代の他の事業部のスポーツ通が言っていたものとして引用してきました。しかし、彼は同時に「女子のスポーツで世界的に通用する者が出るのも、プロ野球と相撲がないからが主たる原因である」とも言っていました。全く同感であると賛成していました。

私の見るところでは「我が国は人口と身体能力と体格を考える時に、余りに多くの競技をやりすぎているのではないのか。その結果として野球を頂点にしてフットボール系の球技に二番手が集まり、次に身長が高い者が有利になるバスケットボール、ヴァレーボールの順に下がっていき、テニス、卓球の順に更に下降線を辿る。陸上競技のトラック種目で優れた走者である者たちは一種の特殊技能で他の球技系をやらせると案外に使えなかった」と旧制中学から新制高校までの経験で考えておりました。

私は長嶋茂雄はあの発展途上だった時期のプロ野球を人気を最高潮に持ち上げた大英雄だという評価をしております。彼は非常にきつい練習を強制したと伝えられている立教大学の砂押監督の手法を唯一無二の選手育成法と認識していた指導者であり、その手法が通用した選手たちだけが育ったのにも拘わらず、読売に阿る新聞社やスポーツ評論家が称えたのだと解釈しております。あの手法が欠陥商品だとは思ってはいませんが、あのウエイトトレーニングなどがなかった時代では、あれが最高峰だったのかも知れないと思います。

私は否定的に見ております。特に千本ノックなどは論外で、野村克也が指摘したよう「疲れ切った時でもにゴロを飛びついて取ることが最善の練習法ではなく、飛びつけることは身体能力の問題であり、捕球の上手さとは別物」を支持します。彼の著書にも、訓練法として「数多くノックするならば緩いゴロを打って、如何に早く球の線に入って腰を落として体の正面で捕球するかを鍛えるべき」とあります。湘南中学の蹴球部ではこの通りの練習を繰り返して、如何に早く球の線に入りコントロールするかの練習を重ねました。結果は第1回国体優勝で、第3回では無念にも決勝戦で敗れるという実績でした。

更に、私は篠竹幹夫監督の「侍フットボール」と自ら称された「限界まで追い込む」式な厳しい練習法の実態も部外者なりに承知していますが、フェニックスの実態は単に苛酷な練習をさせるだけではなく、フットボールという球技に精通した学生たちを育てておられましたし、スカウテイングによるデータ収集などには十分すぎる科学性も見えていました。その点では砂押・長嶋方式とは一線を画していたと思います。1980年代にはアメリカ人のコーチもいた事実もあります。

それはそれとして、私は読売は可及的速やかにスポーツを真に理解していないフロントオフィスの介入を排除して、既製品を買い入れるか輸入する方法を捨てて、あの拙劣なスカウてイングの手法も近代的で科学的なものに切り替えて、ドラフトで取ってきた若者を育てるようにしないと、これから先も出来合の将来性に乏しい商品だけの野球を続けて、負け癖から脱却できないだろうと見ています。本日も連敗脱出をMLBの脱落者・マイコラスに託しているのは興ざめです。

対UAEの敗戦を回顧して

2016-09-04 10:21:53 | コラム
kazk様

コメントを有り難う御座いました。

対UAEの敗戦は今更思い出したくはないのですが、木村和司が言っていたように「負けるような相手ではない」のでしょう。だが実際には負けました。仰せのように海外組と十分に練習の期間が取れなければ、Jリーグ選抜でやってみるのも一案だと思います。あの試合ではどう考えてもミスはあり得ない場面で、呼吸が合っていないとしか思えない単純なパスの失敗が何度かありました。あの段階まで来ている者たちが「合わない」ことなど通常はあり得ないと思います。

回顧談であり自慢話で的な経験談ですが、その昔四十雀で全く氏素性も育ちも違う者たちの集団でサッカーをやっていた時には「知らぬ者同士でも」あのようなパスの失敗はなく、綺麗に合わせていました。特に神奈川県下で最大の宿敵だったO高校で後に関東大学リーグ1部校の一本目を張った名手とは見事なコンビが組めて快感でした。私はそもそも寄せ集めの代表テイーム否定論者ですから、条件が一層悪化する欧州と国内組を合わせたテイーム構成は如何なものかとは思っております。

その否定論の根拠に何度か採り上げた実例を再度振り返ってみます。フットボール界でのことです。故篠竹幹夫監督が東西対抗の監督を引き受けられ、代表テイームがフェニックスの二軍相手に練習をして攻守とも全く手も足も出ない有様を評して「1年365日同じ釜の飯を食って練習をしているうちの二軍に、如何に各大学から選ばれたと言っても寄せ集め集団が勝てる訳がない」と言われたのを忘れられません。この二軍は社会人を破っての全日本選手権三連覇の頃で、彼らは「史上最強の二軍」と称していましたし、一軍も「うちの二軍がリーグで最強」と認めていました。

サッカーの審判制度の改革の遅れはFIFAの責任でしょう。金銭的に色々と問題を起こしているようですが、同じUK系でありながら、時代感覚の欠如と世間知らずの度が過ぎると思います。フットボールでは7人の審判を置いて見落としがないように管理され、早くから「チャレンジ」の導入を始めました。ラグビーにも”TMO”だったかが導入されていますし、ヴァレーボールでもテニスでも判定がITC化されています。本田圭佑はゴールラインに審判が置かれていないことを問題視していました。

私は審判が誰であっても勝てるだけの力を備えよと言いましたし、ネット上でもあの審判の実力と擁護論を述べていた日本人がいました。だが、サッカー経験者ではないようで、ないが為に厳しいことが言えたのだと思います。私は審判の判定で負けた試合の経験はありませんが、大学の頃に審判が来なかった為に無理矢理に公式のリーグ戦の審判をやらされたことがあります。昭和20年代です。しかし、線審と3人では動きについて行けませんし、見えないものは見えないのです。あのアジアの協会の審判制度はあの頃と同じくらいの時代遅れでしょう。

改善を求めるべきでしょうが、その前に如何なる条件下でも勝てなければ何にもなりません。監督を替えれば良いというものではないのかもせんが、私はあの監督には不信任案を提出します。「何故彼を使ったか解らない」という弁解は噴飯物と言うよりも「言語道断」でしょう。