精神的打撃のことを指す:
何事かと思わせるような題名だが、カタカナ語排斥論者としては「ショック」を使いたくないので、ジーニアス英和の訳から引用した。今や我が国ではこのカタカナ語しかこの意味か「動揺」のような熟語が使われることが皆無と言っても良い状態なのは寒心に堪えない。同様な使われ方のカタカナ語には「アドバイス」や「コンパクト」や「トラブル」等々、枚挙に暇がないほど普及してしまっている。国語力の低下は防ぎようがあるまいと恐れている。
今回はそういうことを言いたいのではない。本日は午前中に、今や2週間に1で良いと吉田健太郎先生に言われるほど復調した私は、そのプラセンタ・エキスの注射を受けに渋谷区西原の吉田クリニックに向かった。実は、吉田先生は体調を崩されてここ1ヶ月ほど休診しておられる。もう回復されたかと思って代々木上原駅から近付けば、何と「復調の目途が立たず9月17日を以て閉院」という貼り紙が見えてきた。まさしく大変な「精神的打撃」だった。
2週間前にも、看護師さんも事務の女性たちも皆質問には答えてくれず「過労だとかで、私たちも詳しいことは」とハッキリしなかった。当方はまさかそういう事態になるとは予想もしておらず、未だ65歳の先生が必ず復帰されるものと信じていた。だが、閉院となってしまうのではこれから先のプラセンタ・エキスの注射や親しくして頂いている先生に色々とご相談も出来なくなってしまうのだ。先生の処方される漢方薬の効能も信頼していたので、ここにも動揺がある。
看護師さんからは同様な注射をされている医院のリストを貰ったのは有り難かったが、これ皆産婦人科ばかりで、先ず電話で照会されてからいらして下さいと言われた。かくなる上は可及的速やかに愚息に対策を相談せねばならない。お先真っ暗というような事態ではないが、些か精神的には動揺した次第だった。
帰路は折角の好天なので、新宿からはJRを利用せずにバス停まで小滝橋通りを歩いてみた。この通りにも牛丼等の軽食の料理店等の栄枯盛衰は激しく、バスの車窓から見るのと歩いて見るのとは大きな違いがあり、このような外食業界も未だ未だ苦戦が続いているのかと思わせてくれた。一昨日に東口の方を散策してみて驚いたのが、旧三越の別館の大塚家具店の近所に引っ越していた嘗ては西口の京王地下街で繁盛していた回転寿司の「沼津港」では、昼食の時刻なのに、客が1組だけという寂れ方だったこと。
本日はその場所にもう30年近く店を構えている¥500の博多ラーメンの店「博多天神」が、つい先頃まで¥400だった替え玉付きのつけ麺を¥450と、このデフレ傾向が収まっていない我が国で10%以上もの値上げを断行していたのにも、精神的打撃を感じた。私は2006年1月の第1回目の心筋梗塞から立ち直れて以来、スープまで飲まないと本当の意味で味わえないと思うラーメンは「減塩食」励行の視点から敬遠しているので、過去10年間で5杯とは食べていない。
だが、つけ麺はスープを飲まないでも味わえるから良いかと、高田馬場に大勝軒の暖簾分けと覚しき店があった頃には何度が行った程度だ。だが、今や450円だろうと何だろうと、この価格のつけ麺は他の店にはあるまい。それにしても時流に逆らって値上げした努力は見上げたもので、何時の日かアベノミクス当局から表彰されるかも知れないなどと、つまらないことを考えながら、バスが来るのを待っていた。
何事かと思わせるような題名だが、カタカナ語排斥論者としては「ショック」を使いたくないので、ジーニアス英和の訳から引用した。今や我が国ではこのカタカナ語しかこの意味か「動揺」のような熟語が使われることが皆無と言っても良い状態なのは寒心に堪えない。同様な使われ方のカタカナ語には「アドバイス」や「コンパクト」や「トラブル」等々、枚挙に暇がないほど普及してしまっている。国語力の低下は防ぎようがあるまいと恐れている。
今回はそういうことを言いたいのではない。本日は午前中に、今や2週間に1で良いと吉田健太郎先生に言われるほど復調した私は、そのプラセンタ・エキスの注射を受けに渋谷区西原の吉田クリニックに向かった。実は、吉田先生は体調を崩されてここ1ヶ月ほど休診しておられる。もう回復されたかと思って代々木上原駅から近付けば、何と「復調の目途が立たず9月17日を以て閉院」という貼り紙が見えてきた。まさしく大変な「精神的打撃」だった。
2週間前にも、看護師さんも事務の女性たちも皆質問には答えてくれず「過労だとかで、私たちも詳しいことは」とハッキリしなかった。当方はまさかそういう事態になるとは予想もしておらず、未だ65歳の先生が必ず復帰されるものと信じていた。だが、閉院となってしまうのではこれから先のプラセンタ・エキスの注射や親しくして頂いている先生に色々とご相談も出来なくなってしまうのだ。先生の処方される漢方薬の効能も信頼していたので、ここにも動揺がある。
看護師さんからは同様な注射をされている医院のリストを貰ったのは有り難かったが、これ皆産婦人科ばかりで、先ず電話で照会されてからいらして下さいと言われた。かくなる上は可及的速やかに愚息に対策を相談せねばならない。お先真っ暗というような事態ではないが、些か精神的には動揺した次第だった。
帰路は折角の好天なので、新宿からはJRを利用せずにバス停まで小滝橋通りを歩いてみた。この通りにも牛丼等の軽食の料理店等の栄枯盛衰は激しく、バスの車窓から見るのと歩いて見るのとは大きな違いがあり、このような外食業界も未だ未だ苦戦が続いているのかと思わせてくれた。一昨日に東口の方を散策してみて驚いたのが、旧三越の別館の大塚家具店の近所に引っ越していた嘗ては西口の京王地下街で繁盛していた回転寿司の「沼津港」では、昼食の時刻なのに、客が1組だけという寂れ方だったこと。
本日はその場所にもう30年近く店を構えている¥500の博多ラーメンの店「博多天神」が、つい先頃まで¥400だった替え玉付きのつけ麺を¥450と、このデフレ傾向が収まっていない我が国で10%以上もの値上げを断行していたのにも、精神的打撃を感じた。私は2006年1月の第1回目の心筋梗塞から立ち直れて以来、スープまで飲まないと本当の意味で味わえないと思うラーメンは「減塩食」励行の視点から敬遠しているので、過去10年間で5杯とは食べていない。
だが、つけ麺はスープを飲まないでも味わえるから良いかと、高田馬場に大勝軒の暖簾分けと覚しき店があった頃には何度が行った程度だ。だが、今や450円だろうと何だろうと、この価格のつけ麺は他の店にはあるまい。それにしても時流に逆らって値上げした努力は見上げたもので、何時の日かアベノミクス当局から表彰されるかも知れないなどと、つまらないことを考えながら、バスが来るのを待っていた。