新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ヒラリー・クリントンが肺炎にかかった

2016-09-14 08:18:17 | コラム
アメリカ人が耐える強行日程の向こうに何があるのか:

クリントン氏は民主党の大統領候補として全国を遊説して歩く分刻みとも言われる所謂超過密日程ではない予定をこなしている中で、肺炎にかかりふらついたと報じられていた。私が経験した限りでもアメリカでは経営幹部は言うまでもないことで、働く者が健康に問題を生じることは論外で、いともアッサリと不適格の烙印をおされ、場合によっては戦力外通告となる。

それなのに、アメリカの命運を担うことになる大統領候補者が健康面での不安な点を曝すようなことは、これは大問題だろう。ましてや、彼女は既に68歳という高齢であれば、余程善処しないことには国民や支持者から見放されかねないと思ってみている。何れにせよ、これから先は11月まで遊説を続けるのだから、健康状態をその日程に適応できるように整えるのは大変な課題になる気がする。しかも、巷間伝えられているようにトランプを破るのであれば、その先にはもっと苛酷な全世界をも背負うような物理的なことだけではない心理的且つ精神的な激務が待っているのだ。

私は在職中にアメリカの大手企業の経営幹部(”executive”の和訳で、CEO等を含む所謂重役の意味で使っている)たちの、もの凄いとでも形容したい物理的な強行日程による働きぶりを見てきた。私はそれを賞賛しようと思ったことはない。それは、言うなれば”They are paid for that.”であって、それなりの報酬を得たくてそれほどの責任を負う仕事を自ら選択したのだからだ。しかも、その報酬に見合うだけの実績がなければ、アッと言う間もなく解任される危険と背中合わせの地位なのだ。

アメリカの会社には我が国のような形の取締役はいないと既に指摘したが、CEOの下には”Executive vice president”、”Senior vice president”という、我が国の制度にあるような代表権を持っているに等しい「執行副社長」や「上席副社長」がいる。この人たちの年俸にボーナスやストック・オプション等を加えた年収は新卒の初任給の何百倍にも達し、我が国の社長さんの年俸と初任給の差などとは比較しようもないだろう。「だから働け」となるのだ。

アメリカでは収入に見合う働きをしなければ「職の安全」(=job security)の保証がない世界であるということを、ここであらためて確認しておきたい。「では君はどうだったのか」との疑問が出てくるかと思う。既にある程度は触れたが「職務内容記述書」(=job description)通りにこなしていなければ、減給どころか解雇もあり得る世界だった。その危険を回避する為には一所懸命に働くしかないのである。「当たり前だろう」などと気安く言って頂きたくない辺りが、日米間の文化の違いかな。

私の担当範囲は「販売促進、客先の巡回訪問、品質問題への対応と処理、市場と市況調査の報告書を出来る限り頻繁に本部に送る、同業他社の営業政策と品質改良等の動静調査(独占禁止法に触れるような動きは絶対的に避けて)、来日する上司と技術者のお世話、本社への会議等の出張、得意先のアメリカ出張のアテンド等々」であり、これらを自分一人で秘書の協力の下に消化していかねばならなかった。

しかも、これらの全てについて本部に報告書を提出しておかない限り、何もやっていなかったと同じになってしまう危険があるのだ。即ち、「やった」という証拠を残しておくことが”job security”に直結する世界なのだ。報告すべき上司はアメリカ本社にいるのだから、書面しかない。電話では証拠が残らないのだ。

これらを無事にこなせるような域にまで達していなかった頃に、来日した技術者と国内の出張をして宿泊したホテルで、疲れを癒やす為にマッサージを頼んだ。そのマッサージ師が暫く経ってから「お客様はどういう仕事をしているのですか」と問いかけてきた。その理由は「全身が凝り固まっていて最早限界に近い。こんな状態で動き続けておられれば、何時かは命の問題になると危惧するから言うのだ」だった。換言すれば、「何処かで気を抜くか寛げるような時間がなければいけない」との警告だったのだ。

私はそういう点が極めて不器用だったが、アメリカの経営幹部たちは確かに猛烈に働き続けるが、気分転換もまた巧みだった。本社にいたある時、午後になった途端に副社長が「これからお前と外で会議をしよう」と言い出した。何処に行くのかと思えばシアトル市外の競馬場だった。彼にその趣味があるとは知らず、私は生まれて初めて競馬場なるところに足を踏み入れたのだった。彼はスタンドの中で最も良い場所にある、ガラス張りの特別席に入った。そこでは思うままに飲食できるし、馬券も自分で買いに行かなくても済むような組織になっていた。何も解らない私は損も得もしなかったが、彼は半日遊んで$5,000の大穴を当てて意気揚々と帰って行った。

因みに、彼は朝は7時前には出社していたし、夜は9時なっても東京に電話してくるような働き方で、土・日も無しに東京を含めて世界中を飛んで歩いていた。だが、その結果と言うべきか否かは不明だが、アメリカでは良くある話で、2人の子供たちがIvy Leagueの大学に進んだところで離婚してしまった。何故離婚になったかはここでは触れない方が良いと思う。