新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

文化庁の国語世論調査

2016-09-22 11:17:53 | コラム
国語の乱れを浮かび上がらせた:

文化庁の国語世論調査を興味深く読んだ。私は長年カタカナ語の氾濫を採り上げてきたし、主としてテレビの登場する輩のおかしな日本語も批判してきた。今回の発表ではその一部だけでも採り上げられたのは大いに歓迎すべき事だと思っている。以前にも述べたことたが、1969年頃に韓国の中規模財閥の御曹司と語り合った際に、彼が「私がしゃべっている韓国語が最も新しい言葉で、時代を表している」と言ったのを思いだした。

即ち、私は最早「ら抜き言葉」「~して貰って良いですか」「コミュニケーションをとる」等という類いの日常的に使われている表現を「最先端の日本語」として素直に受け入れるべき時が来たのかなとすら考えているのだ。言葉は時代とともに変化せざるを得ないものであり、高齢者がその流れに逆らって論陣を張るのも、若き世代には「何をほざくか」と受け入れられないのだと諦めかけている。

2~3世代下の人たちとの直接交流が少なくなった2006年1月に、心筋梗塞を起こして救急車で入院した際にほとんども看護師さんたちが「~して貰って良いですか」と言って語りかけてきて、私に腕を出させて血圧を測定するし、パジャマの胸を開いて聴診器を当てるのには正直に言って当惑した。「良くありません」と答えればどうなるかななどと一瞬考えたものだった。だが、これを訳せば「~して下さい」の意味だと解るのに暫く時間がかかった。

テレビを中心にしたマスメデイアでは彼らが主体なのか、登場するタレントたちが新日本語で語る為か、上記の「コミュニケーションをとる」を始めに「~をスタートさせる」「~をオープンする」「~のトラブル」や「~をコンパクトに」「~のインパクトが」等々のカタカナ語混じりの表現が誠に多いのだ。また、文化庁が発表したように松坂大輔が使い始めた「リベンジ」のような一聴格好が良いカタカナ語が氾濫している。スポーツの世界でも何処でも一寸経験がある者は全て「ベテラン」で括るようだ。この二つは文語だと思うし、会話の中でも何でも使った記憶はない。

私はこれまでに、と言ってもワープロでエッセーだと思って書いてはこれと思う方に送り始めたのは2000年辺りだったし、PCに替えたもの2003年からだった。それに、昨年PCを修理した際に記録を失った部分が多く、何時からカタカナ語批判を始めたのかは遺憾ながら記録が残っていない。批判を始めた動機の一つには「国語の乱れを正そう」という純粋なものがあったし、また誤った英語の単語の使い方にも憂慮させられる点が多々あったからだ。

その頃から「カタカナ語をお使いになるのを妨げる気はない。それらが本当の英語とは掛け離れた誤った使い方か誤解と誤認識に基づいているとご承知ならば」と言いつつも、繰り返しおかしな使われ方と認められるものを採り上げて警告してきた。即ち、ここでも既に半ば諦めの境地に至ってはいたのだった。同時に、世間では「国際化の時代にあっては日本人の英語力の向上が必須」などと言いながら、出鱈目なカタカナ語の普及を放置するのは看過できなかったのだ。何処かおかしいかの例をここに詳細に取り上げる気はない。だが、いくつか採り上げて「本当の英語とは何処が違うのか」を論じてみたい。

「コミュニケーションをとる」は恐らく「意思の疎通を図る」と言いたくて使われているのだと思う。だが、私の経験の範囲内では、そう言いたくて(書く時にも)”communicate”という言葉が使われた記憶も経験もない。Oxfordには”to change information, news, etc. with ~”が出てくるが、その通りだろう。語り合うのならば”talk to”もあれば”speak to”もあるし「一寸話をしよう」であれば会話体で、”Let’s sit down to have some chat.”等と言って話しかける。

「オープンする」も多用されるが、これは「開店」のこともあれば「開業」の場合もあるので、「オープン」としただけでは何れを指すのかが不明確な場合が多い。また”open”と言う単語は形容詞でもあり動詞でも使われるのだが、その何れかが判然としていない使われ方が多いのは「英語の勉強の奨励」の為には宜しくない。また、話は逸れるが「本日は閉店」と言いたくて”CLOSE”との看板を下げている例が多い、英語に日本語にはない過去形がある事を学び切れていないようで残念だ。蛇足だが、”CLOSED”が本当だろう。

以前にも指摘したが、何でもかんでも「トラブル」で括ってしまう傾向が顕著なのは誠に芳しくないと思う。あの使い方では「事故」、「故障」、「揉め事」のどれを表すのかが見えてこないので困る。ところが、ジーニアス英和には「心配、苦労、悩み、心配事」等々に続いて「迷惑や面倒や困難や災難」が出てくるし、私もそういう意味で使ってきたのに、そうではない意味の漢字の熟語の代用に重宝に使われている。英語ではそういう意味では使わないと承知しておくべきだ。

最後に「ら抜き言葉」を採り上げたいが、これは繰り返し主張してきた「耳から入る言葉が最も影響力が強い」の最悪の例の一つだと思って、若い世代やテレビに登場する輩が使いまくるのを聞いている。学校での国語教育が不行き届きかと思っている。私は「テレビ局は使いたいタレントどもに国語の試験をしてから出せ」と言ったこともあった。だが、良く考えなくても解ることで、彼らがジャニーズ事務所等にそんな大それた事を言える訳がなかったのだ。