新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本語の乱れが悲しい

2016-09-27 16:42:38 | コラム
新日本語を創造するのは誰だ:

私はこれまでに「カタカナ語は日本語を乱す」とでも言えるような批判を展開してきた。だが、昨今のテレビ局のアナウンサーたちや、そこに起用されているタレントという名の「生まれつきの才能や適性」に乏しい連中が日本語を乱していることこそ憂うべきだと信じてきた。だが、カタカナ語批判にかまけ過ぎて、この面を採り上げてこなかったので、今回は些かお門違いであるこの分野にも片足くらい入れておくことを考えた次第だ。

「ら抜き言葉」:
これは最早酷いなどという言い方では語り尽くせないほど普及した。私は昭和の半ば頃までは日本放送協会ではアナウンサーたちをキチンと教育してガ行の鼻音化とともに、以て国民の範となる日本語の普及に努めていたと理解していたが、今やそれも崩れ去り、MISOもKUSOも「ら抜き」で画面下の字幕で補修してあるという具合だ。これは「学校教育の劣化」と言うか国語教育の至らなさではないのか。改善されるべきだ。

「キチンと」:
これは広辞苑には「崩れや乱れがなく整然としているさま」と「過不足なく正確なさま。基準に合致しているさま」とある。であれば、野球の中継放送でバントで走者を送った場合には「キチンと送った」と言うべきだが、100人中200人のアナウンサーと役にも立たない説明だけしている解説者は「キッチリと送った」と言うのだ。おかしくはないか。いや、解っていないだけのことだろう。

「キッチリと」:
広辞苑には“「ぎっしり」に同じ”とある。ならばと「ぎっしり」を見れば「物事が隙間なく詰まっているさま」とあり、例文は「夜店がぎっしりと並ぶ」「予定がぎっしりと入っている」とある。「キッチリとバントで送る」は明らかに言葉の誤用であるのは明らかだ。要するに、現在の学校教育の国語では、このような簡単で明白なことを教えるのすら等閑にしているのだということ。NHKと民放各局の何処かの部局の長の猛省を求めたい。このくらいの違いが分からない君らが日本語を乱しているのだと知れ。

「~しております」:
私は生まれてこの方、こういう言い方は自分がある程度謙遜するか敬語的に使う言葉だと思って使ってきた。だが、現代の新日本語では相手か第三者の行為乃至は語りをいう時に「~さんがこう言っておりました」とか「A氏が否定しておりました」と言うのである。私は他人の言動を指して言うのであれば「~さんがこう言っておられました」であるとか「A氏がこのように否定しておられました」というのが正しい日本語だと思っているのだが、如何だろう。

「ハイタッチ」:
カタカナ語排斥論者の私としては矢張り締めにカタカナ語を採り上げておきたくなったので、お許しを。これも例によって英語の単語を並べただけの代物であり、それが如何にも英語らしく聞こえるのが怖い。英語では何と”high five”と言って5本の指を合わせることを指しているようだ。

この動作を聞いたか見たか実行した人は「これは英語だろう」と思い込むだろう。新聞社でもテレビ局でもアメリカに特派員か駐在員を置いているのだろうから、妙な造語を仕立て上げる前にせめて野球場に行って、現地人に「あの現象を貴方たちは何と形容するなりや」程度の調査が出来ないのかと批判したい。私に言わせて貰えば「こういう造語をすれば、英語までも乱していることになりはしないか」なのである。

この造語の感覚は最早「拳骨で撲る」の「拳骨」が消滅して、何時の間にか「グー」になってしまったことに似ている。「拳骨」は某通信社のハンドブックには載っていないのだろうかと疑いたくなる。何故こういうことを採り上げたたかと言えば、近頃は「ハイファイヴ」ではなく実質的に「ハイフィスト」(= "high fist") になってしまってのだから。即ち、皮肉を言えば最早「ハイグー」か「高拳骨」なのである。ここではカタカナ語という似非国語まで乱すことになる。最初に「ハイタッチ」を言い出したのは何処の誰だろう。