新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

自然災害の恐ろしさとその対策

2016-09-20 16:47:35 | コラム
度重なる台風の襲来で恐るべき状態になってしまった:

昼過ぎから台風16号で荒らされた主として九州と四国の惨憺たる状況を見させられている。「見させられて」と敢えて言うのは、その関連のニュースばかりだから。私は度重なる台風の襲来で我が国は大変な状態に追い込まれたと思っている。つい先週末に、裏日本出身の某女子大で地理学を研究しておられるFさんから“昨今の災害報道をみておりますと「地方の疲弊」をあらためて強く感じております”との手紙を貰ったばかりだ。16号ではその時の状態よりも一層厳しくなってしまったようだ。

私はこの状況は由々しき事態だと思っている。色々な形の災害で家を失った方が無数におられるようだし、浸水の災害に遭って到底住み続けられない状態で途方に暮れていた方も多かったし、法的(保険的?)に言う半壊状態で弱り切っていた方も多く、それらの言わば災害弱者をこれから先に如何にして救済していくか、いや救済すべきかは政治的にも経済的にも焦眉の急だと思ってみている。勿論、私にはその復旧・復興に要する国家と地方の予算がどれほどあるかなどは知る由もない。だが、枠がなければ救いの手を差し延べられまい。

私はFさんがいみじくも指摘したような地方の疲弊が非常に気になるのだ。住まいを失った方々には予算や経済面を考えなければ救済の方法はあるだろう。だが、そこには地方自治体では賄いきれない金額の資金も必要になって、財政的にも人的にも一層疲弊させるだろう。しかし、事はそれだけでは終わらないのではないか。決壊した川の堤防は復旧工事が必要だろうし、山や丘が土砂崩れしないような土木的な対策も必要だろう。

だが、その工事がもしも年内に完了したとしても、来年の夏にかけて16号以上の規模で大型台風が襲ってきたらその工事で耐えられるのだろうかと心配になってしまう。また、観測開始以来の豪雨が来年になって何度も襲ってくる際の備えまで、短時間で出来るものだろうか。工事は半永久的なものでなければならないのではないのか。その費用を地方自治体で背負いきれるのか?

言いたいことは「自然災害は一過性であっても、何時また襲ってくるかなどは予測不可能ではないのか」である、地震の予知がほぼ不可能であるように。古くから「治山。治水」という言葉あるが、昨今の自然災害の規模は嘗てなかったような大規模且つ激しいものであって、従来のような対策では防ぎ切れていなかったのではないのか。病気には「予防に勝る治療無し」等という言い習わしがあるが、自然災害の予防策は近代の土木工学でも極めていないのではと危惧するものだ。

私は政府には、安倍総理にも今年の夏場のように繰り返し台風が襲ってきて中国地方、九州、四国、近畿、東北、北海道に未曾有の大災害をもたらした以上、UN対策も結構だろうし、対中国や北朝鮮の核による威嚇への対応も全て緊急に対策をお立て願いたいことだとは解るし、豊洲問題も緊急事態だし、これらの事態への対策と対応はUNからお帰りになった後で緊急閣議でも開催され、担当の大臣に厳命を発して対応させて頂きたいと思っている。

マスコミも横浜の不正杭打ちで建て替えが決まったアパート群などの問題などとは事の重要さが違う事をキチンと報じて、国としての総力を結集して対応願いたいと言って取り扱うべき重大な案件であると思うのだ。