新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月17日 その2 進駐軍による教育制度改悪

2016-09-17 13:18:30 | コラム
我が国を弱体化する教育制度の改悪:

畏友尾形美明氏と戦後の我が国の一部の国民の精神が骨抜きにされたことの主たる原因に進駐軍による教育制度の改革(改悪)があったのではという点で意見を交換した。その中で、私が披露した意見を紹介してみようと思う次第。

私は1948年の旧制中学3年の終了時点で経験した学校制度改革(改悪)が、GHQの我が国とその国民の骨を抜こうとする計略の一環だったと後に知りました。第一、六三制度などという代物はアメリカのいくつかの州の制度であって、アメリカ全体の教育制度ではなかったのです。GHQの教育担当だった者の州の制度を持ち込んだだけのことでした。アメリカでは州によっては「自分は7年生」と称する子供に出会って???でした。ではあっても、教育者とマスコミは「これぞ改正」と報じ、我々子供たちは無邪気に「そうなのか」と信じておりました。

しかし、最も継続して学ぶべき時期に3年毎に細切れにし、しかも中学を終えれば高校という別組織で別の指導者に教えられては、旧制度の5年間に学んだような一貫性もなく結果が出なかったと、今では信じております。話が本筋から外れますが、「部活」など呼ばれている運動部にしても、中学では大した能力も経験もないコーチと称する教師にいじらせていては効果が挙がらないと思っております。3年経つとまた高校で異なった宗派?の指導者にしごかれるのではここでも一貫性が失われます。

以前にも採り上げましたが、21世紀パラダイム研究会を主宰された元興銀常務の上田正臣氏(旧制山形高校→旧制東大出身)は「旧制高校を廃止されたことで、我が国における最善の知性を磨く場だった機関を失った。あれだけは残しておくべきだった」と回顧されました。私は2年の差で憧れだった旧制高校を目指す機会を失い、中学3年の終了が近くなったある日、突然全員が講堂に集められて「明日から新制の高校になる」と聞かされて「何だ、それは」と落胆しました。

その実態はと言えば、中学の頃に学んだことの復習のような易しい勉強ばかりで、「高校とは名ばかりではないか」と気が抜けた記憶が残っております。しかも、神奈川県では進駐軍のご都合だったのか、その頃から週5日制に変わりました。これを楽になったと歓迎するか、気が抜けたととるかは微妙だったでしょう。私のような運動部に所属していた者は土曜日の練習時間がたっぷりと取れるようになってかえって疲れました。

私が今までも尊敬しているW社の世界的な主要な取引先の大論客、北欧の代表的多国籍企業の一つTP社の副社長だったHK氏も、この教育制度の改悪こそが日本と日本人骨抜き策の中核を為していたと言い続けておられました。私も同感でした。しかし、皮肉にも、私はその批判してきたアメリカの会社に1972年に転身して22年半も勤務していました。だが、その結果で学んだこと、学べたことも極めて多く、知らぬ間に視野を広げて貰えましたし、愛国心にも少しは目覚めたのです。


伊調馨にも国民栄誉賞が

2016-09-17 07:55:51 | コラム
公平さを欠いていないか:

私は何処の何方が国民栄誉賞なるものをお与えになる決定を為されているかなどは気にかけたこともない。だが、今回の伊調馨さんに与える決定ほどおかしく且つ時機を失したものはないとすら考えている。それは同時に、吉田沙保里をマスコミの誤ったとしか言いようがない持て囃し方(と言うか、芸能ネタの如くに扱い)を筆頭に、国を挙げてヒロイン(heroine)に仕立て上げてしまったことで妙な方向に持って行かれたと思うのだ。私は伊調は吉田と同時に受賞しても不思議ではない立派な成績を残したと思っている。

これは決して吉田沙保里の受賞を批判して言っているのではなく、吉田がオリンピックを三連覇したと時に伊調も三連覇を達成していたことが全く話題にならず、と言うか誰も採り上げず、吉田の偉業のみが騒がれて遂には国民栄誉賞授与となってしまったことの不公平さを批判しているのだ。マスコミは吉田を賞賛することに全精力を注いでいただけで、伊調の偉業は添え物以下にしか扱っていなかったというのが私が受けた印象である。我が国のスポーツマスコミの程度は何時もこんなものだ。

私は伊調馨は良く耐えていたと寧ろ感心していたくらいだ。ALSOKとやらのCMにも吉田と並んで出ていたのも「偉いものではないか」と褒めてやりたい思いだった。と、ここまで言ってきたが、私は吉田も伊調も賞賛に値する立派な女子レスリング選手だと思っている。国民栄誉賞を受賞するに相応しい成績を残したとみている。私はこの二人と比較した際に、長嶋茂雄終身名誉監督さんと松井秀喜が同列に論じられて受賞している不均衡振りには不満足なのだ。彼ら二人は野球を生業としたプロではないか。

という次第で、国民栄誉賞なるものを何処の何方が如何なるスポーツの世界に対する認識と見解の基に基準を設定されて授与されるのかが不可解に思えてならないのだ。などと巷間どのように受賞基準が批判されているかを知らないようなことを言って来た次第だ。記憶に誤りがなければイチロー君は辞退したのではなかったか。