Ladies first の背景に何があるのか:
以下は14年3月11日に発表したものだが、光栄にもブログ上では2年半近く経過した今日でもかなり人気が高いものであると知らせて頂いた。そこで私が思うには、その背景にある事は「我が国で一般的に広まっているアメリカにおける女性の在り方の概念」にはかなり虚像が多く、現実的ではないことを指摘したからであるのだろう。実際には「男女同権」だの「男女均一労働・均一賃金」などを実現させた結果で、どれほど働く女性に大きな負担がかかったかなどは、我が国にいてはとても解ることではないだろう。アメリカでは「同権」でも「同一」でもなかったから、女性が運動を起こして勝ち取ったのだと知るべきだ。
製紙工場などは男性のみの仕事場で女性の職場ではなかったが、「同一労働」ともなれば、女性も入ってくるようになって先ず現場で困ったことは「鍵」などがない手洗いだったようだ。そこには「女性も入ってくることがあるのだから鍵をかけるのを忘れるな」と貼り紙があった。何も製紙工場ではなくとも、同一労働ともなれば女性も深夜勤務(graveyard shift)をしなければならなくなった。
そこで、以前のものを少しだけ加筆してあらためて紹介する次第だ。女性側からの男性に対する対抗意識が如何に強烈かはヒラリー・クリントン女史を見ていれば極めて明らかだと私には見えるのだ。私は彼女にとってあの選挙戦は非常に(非情に?)”stressful”だろうと思っている。
引用は次の一節から。
畏メル友尾形氏から
<こうして、米国では1970年代から「女性解放運動」(ウーマン・リブ)が盛んになりました。でも、何事も長短両面があります。>
との指摘がありました。そこで、私が知る限りのアメリカにおける女性の地位というか、歴史的にどのように扱われてきたかについて述べてみます。この件は私のアメリカの大手紙パルプ企業2社での経験と、1970年代から何人かの国内外の友人・知己から聞かされたことにも基づいています。
1950年代に朝日新聞だったか週刊朝日だったかの何れに連載されて人気が高かった、アメリカの"Blondie"(ブロンデイー)という女性が主役の人気漫画がありました。作者はChic Youngとでした。貴方も読まれていたかも知れません。Blondieの 亭主がDagwood Bumstead(ダグウッド・バムスッド)でした。この中には何度もブロンデイーがダグウッドに何か高価なものを買って欲しい時に懸命にお願いする場面がありました。我々の感覚では何の不思議もないのではと思うと同時に何故かなとも感じていました。
しかし、当時のアメリカにおける女性の地位は我々には想像出来ないほど低く、女性は(譬え働いていたとしても)銀行に口座を開かせて貰えなかったそうです。50年代にはアメリカでも男社会だったとは知りませんでした。当時は一家の中でただ一人の働き手である亭主、即ち、ダグウッドが口座を開設している銀行の小切手帳を持っているので、ブロンデイーは彼に願って(ねだって)小切手を切って貰うしか大きな買い物が出来なかったのだそうです。この漫画はこういう筋書きを作って、女性の地位を見せていたという解釈もあります。
それ以前からの欧米の風習には、かの"Ladies first"(「レディ-ファースト」はカタカナ語であり複数扱いが出来ていない)がありましたが、これは女性(軽視)を誤魔化すために、他人の目がある所では如何にも丁重に扱っているかのように振る舞っていただけだと言えると、アメリカで女性からも聞かされた経験があります。ウーマン・リブなる運動が出てきたことの背景に、こういう風潮があったと考えるのが正解だったと言う人もいました。私は我が国の方が余程女性を丁寧に扱っていると思うことすらあります。
但し、女性に対して椅子を引いて座らせる、コート等を着せて上げる、階段を男性が先に上り後から降りる、エレベーターなどに先に乗せる、自動車には後に乗せる等々のマナーは何も軽視に対する埋め合わせではなく、言うなれば当然の礼儀だという見方もあります。私は旧制中学1年の頃からGHQの秘書方と一緒にいた時間があったので、かなり厳しくこういう西欧風のマナーを仕込まれていましたので、そうするのが当たり前だと思い込まされていました。
女性(既婚者も)が働くようになったのは、アメリカの経済が発展して生活水準が世界最高となり家電製品等々のように買わねばならないものが増えると、亭主だけの収入では賄いきれなくなったと同時に、信用膨張の経済も普及してクレディット・カードを使う頻度が上がったので、女性、特に既婚者も働く所謂「ダブル・インカム」の家庭が増えてきたと聞きました。
また、これは俗説で真偽のほどは保証出来ませんが、「女性が男社会に進出して負けないように仕事をするためには、中途半端な能力と仕事の質では地位も収入も確保することが難しいので、懸命に努力する高学歴の女性が増えていった」との説も聞きました。その結果か、現在のような明らかに男に対抗心を示す女性が増えてきたのだそうです。実際に私の経験でも「女性と見て迂闊に対応しては大変なことになる」と痛感させられた能力が高い女性はいくらでもいました。そこに「男女均一労働・均一賃金」の思想を具体化した雇用機会均等の法律もあるのだと思います。
言葉を換えれば、「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった」と見るべきかも知れません。私の経験の範囲内でも非常に挑戦的な人もいれば、男性に露骨に対抗意識を見せる女性にも出会いました。そういう場合には外国人である私のような者は対応に苦慮させられたものでした。しかし、中には非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい人もいます。要するに人を見て扱わないと痛い目に遭わされるのが、アメリカの社会かと思います。
私が1994年1月にリタイヤーしたその頃でも45,000名の社員がいたW社でも、本社の事業本部内に女性のマネージャーはいても、女性の副社長兼事業部長はいませんでした。しかし、私はこの事実と女性の仕事で発揮する能力とが結びついているとは感じていませんでした。特に、秘書の女性たちはその仕事の範囲内で発揮される能力を見れば素晴らしい人たちが数多くいたと思います。私は仕事には各人の向き不向きがあり、肝心なことは経営者が適材適所で人を使っていくことであり、管理職に起用すること即ち女性の能力の真の意味での活用法だとは思えないのです。
参考資料: Wikipedia
以下は14年3月11日に発表したものだが、光栄にもブログ上では2年半近く経過した今日でもかなり人気が高いものであると知らせて頂いた。そこで私が思うには、その背景にある事は「我が国で一般的に広まっているアメリカにおける女性の在り方の概念」にはかなり虚像が多く、現実的ではないことを指摘したからであるのだろう。実際には「男女同権」だの「男女均一労働・均一賃金」などを実現させた結果で、どれほど働く女性に大きな負担がかかったかなどは、我が国にいてはとても解ることではないだろう。アメリカでは「同権」でも「同一」でもなかったから、女性が運動を起こして勝ち取ったのだと知るべきだ。
製紙工場などは男性のみの仕事場で女性の職場ではなかったが、「同一労働」ともなれば、女性も入ってくるようになって先ず現場で困ったことは「鍵」などがない手洗いだったようだ。そこには「女性も入ってくることがあるのだから鍵をかけるのを忘れるな」と貼り紙があった。何も製紙工場ではなくとも、同一労働ともなれば女性も深夜勤務(graveyard shift)をしなければならなくなった。
そこで、以前のものを少しだけ加筆してあらためて紹介する次第だ。女性側からの男性に対する対抗意識が如何に強烈かはヒラリー・クリントン女史を見ていれば極めて明らかだと私には見えるのだ。私は彼女にとってあの選挙戦は非常に(非情に?)”stressful”だろうと思っている。
引用は次の一節から。
畏メル友尾形氏から
<こうして、米国では1970年代から「女性解放運動」(ウーマン・リブ)が盛んになりました。でも、何事も長短両面があります。>
との指摘がありました。そこで、私が知る限りのアメリカにおける女性の地位というか、歴史的にどのように扱われてきたかについて述べてみます。この件は私のアメリカの大手紙パルプ企業2社での経験と、1970年代から何人かの国内外の友人・知己から聞かされたことにも基づいています。
1950年代に朝日新聞だったか週刊朝日だったかの何れに連載されて人気が高かった、アメリカの"Blondie"(ブロンデイー)という女性が主役の人気漫画がありました。作者はChic Youngとでした。貴方も読まれていたかも知れません。Blondieの 亭主がDagwood Bumstead(ダグウッド・バムスッド)でした。この中には何度もブロンデイーがダグウッドに何か高価なものを買って欲しい時に懸命にお願いする場面がありました。我々の感覚では何の不思議もないのではと思うと同時に何故かなとも感じていました。
しかし、当時のアメリカにおける女性の地位は我々には想像出来ないほど低く、女性は(譬え働いていたとしても)銀行に口座を開かせて貰えなかったそうです。50年代にはアメリカでも男社会だったとは知りませんでした。当時は一家の中でただ一人の働き手である亭主、即ち、ダグウッドが口座を開設している銀行の小切手帳を持っているので、ブロンデイーは彼に願って(ねだって)小切手を切って貰うしか大きな買い物が出来なかったのだそうです。この漫画はこういう筋書きを作って、女性の地位を見せていたという解釈もあります。
それ以前からの欧米の風習には、かの"Ladies first"(「レディ-ファースト」はカタカナ語であり複数扱いが出来ていない)がありましたが、これは女性(軽視)を誤魔化すために、他人の目がある所では如何にも丁重に扱っているかのように振る舞っていただけだと言えると、アメリカで女性からも聞かされた経験があります。ウーマン・リブなる運動が出てきたことの背景に、こういう風潮があったと考えるのが正解だったと言う人もいました。私は我が国の方が余程女性を丁寧に扱っていると思うことすらあります。
但し、女性に対して椅子を引いて座らせる、コート等を着せて上げる、階段を男性が先に上り後から降りる、エレベーターなどに先に乗せる、自動車には後に乗せる等々のマナーは何も軽視に対する埋め合わせではなく、言うなれば当然の礼儀だという見方もあります。私は旧制中学1年の頃からGHQの秘書方と一緒にいた時間があったので、かなり厳しくこういう西欧風のマナーを仕込まれていましたので、そうするのが当たり前だと思い込まされていました。
女性(既婚者も)が働くようになったのは、アメリカの経済が発展して生活水準が世界最高となり家電製品等々のように買わねばならないものが増えると、亭主だけの収入では賄いきれなくなったと同時に、信用膨張の経済も普及してクレディット・カードを使う頻度が上がったので、女性、特に既婚者も働く所謂「ダブル・インカム」の家庭が増えてきたと聞きました。
また、これは俗説で真偽のほどは保証出来ませんが、「女性が男社会に進出して負けないように仕事をするためには、中途半端な能力と仕事の質では地位も収入も確保することが難しいので、懸命に努力する高学歴の女性が増えていった」との説も聞きました。その結果か、現在のような明らかに男に対抗心を示す女性が増えてきたのだそうです。実際に私の経験でも「女性と見て迂闊に対応しては大変なことになる」と痛感させられた能力が高い女性はいくらでもいました。そこに「男女均一労働・均一賃金」の思想を具体化した雇用機会均等の法律もあるのだと思います。
言葉を換えれば、「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった」と見るべきかも知れません。私の経験の範囲内でも非常に挑戦的な人もいれば、男性に露骨に対抗意識を見せる女性にも出会いました。そういう場合には外国人である私のような者は対応に苦慮させられたものでした。しかし、中には非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい人もいます。要するに人を見て扱わないと痛い目に遭わされるのが、アメリカの社会かと思います。
私が1994年1月にリタイヤーしたその頃でも45,000名の社員がいたW社でも、本社の事業本部内に女性のマネージャーはいても、女性の副社長兼事業部長はいませんでした。しかし、私はこの事実と女性の仕事で発揮する能力とが結びついているとは感じていませんでした。特に、秘書の女性たちはその仕事の範囲内で発揮される能力を見れば素晴らしい人たちが数多くいたと思います。私は仕事には各人の向き不向きがあり、肝心なことは経営者が適材適所で人を使っていくことであり、管理職に起用すること即ち女性の能力の真の意味での活用法だとは思えないのです。
参考資料: Wikipedia