新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月25日 その2 渋谷区が産んだスター・松本文明

2016-09-25 14:51:11 | コラム
テレビタックルのスター・松本文明:

この番組は日曜日の昼食の時間とぶつかるし、これに出てくるとAHOか利口かが悲しいほど解るという面白さがあるので、熱心に見ている。特に酷いと思わせてくれるのが渋谷区選出という衆議院議員・自民党の松本文明だ。彼は都議会議員を4期勤めたと豪語するので、ならばと早速検索して経歴と学歴を調べた。それは兎も角、あの程度の人物が(常に杉村太蔵に嘲笑され、北野武が苦笑いする発言に終始する)が都議会に4期もいたのでは、今回の豊洲の醜態も仕方がなかったと思う。

同時にドンとか言われている人物も、周囲があの程度ではドンでも何でも容易になれた訳だと納得した。更に言えば、今更ながら国会議員なる連中の程度の悪さと言うべきか、あの程度でも安倍総理のお陰で代議士になれてしまう、自民党の(誇る?)一強他弱体制にも大いに疑問に思わせる点があると痛感した。代議士であの体たらくでは都議会議員の質などは推して知るべしだと思わざるを得ない。

今回も色々と話題があったが、私が興味を持ったのは議員による海外視察だった。元通算省で慶応大学大学院の教授である岸博幸氏が「その程度のことを海外に調査に行かずとも各議会に資料が調っているはずだし、今やネット時代で各国のHPを検索すれば十分で、国費をかけて海外に物見遊山と批判されてまで行くことはない」とまで言われても、実際に言って見なければ解らないことがあるなどと強弁。

笑わせないで欲しいと思った。かく申す不肖私は通訳も無しに(当たり前か?!)10年以上を費やして漸く「日本とアメリカの企業社会における文化と思考体系の相違点」と題した大プリゼンテーションを本社の事業部の全員の前で90分間語れるようになったのだ。それを通訳を付けて9日間ほどで4~5ヶ国も回ってきて何か掴めたら神業だ。岸教授ではないが、事前に検索をかけておき、それを基にして出張報告を作る方が未だましだろう。明らかな国費の無駄遣いだ。

政務調査費の詐取の件も採り上げられていたが、この案件は内閣がやるべき事か国会で発議することか、各地方自治体が前非を悔いて条例でも何でも改正することか、私には全く解らないが、何が何でも改善か改正して欲しいし、地方議員の減員と歳費削減を実現して貰いたいと願いたくなる。

だが、これは俗に言う「泥棒に泥棒を捕まえる法律を作らせる」のと同じ事だろうから、期待するだけ無駄だし、失望するだけに終わるだろう。だが、放置して貰いたくない。それは、松本文明のような者が選ばれてしまう民度をも嘆くべき事で、即ち「選んだのは君だ、いや自分たちだった」ということで、皆が反省すべき課題ではあるのが辛い。


アメリカという「男女均一労働」と「均一賃金」の世界

2016-09-25 10:01:25 | コラム
男女は同一能力で対等関係にある世界:

これは「アメリカにおける女性の地位」の続編と理解願いたい。と言いながら、古くから「アメリカの家に住んで、日本女性と結婚し、中華料理を食べて暮らすのが至福の世界」と言われていたのを思い出す。

尤もだと思わせてくれる点がある。確かにアメリカの一戸建て(何故近頃は「一軒家」とマスコミは言うのだろう。あれは無人の野原のような場所に建つ家のことだと、昭和一桁生まれの私は理解しているのに)は広く且つ機能的で快適だが、アメリカの女性と結婚しようとは夢にも思わないし、今となっては中国の料理の安全性に思い致す時、もう一度本場まで食べに行きたいとは思わない。幸いにもパスポートも失効していることだし。

既に指摘したことだが、アメリカの女性と同じ職場と言うべきか同じ会社の同じ事業部に所属すれば、彼女たちと日常的に業務上でも、5時過ぎ(俗に”after five”などと言われているが)にも(現実にそんな時刻に全員の仕事が終わることなどない世界だが)付き合うこともあった。最初に仕事上で戸惑ったことは、こちらに何の過失もなければ当然何ら波風は立たないが、何事でもこちらの過失である事が生じると、お互いの年齢や経験年数を問わずかなり厳しく追及された点だった。当初は「これぞ伝え聞いた”Ladies first”と「男女同権」と「男女均一労働・均一賃金の世界」かと思わすにはいられなかった。

しかし、アメリカ人の会社での経験が長くなるにつれて、これでは中途半端な解釈である事が解ってきた。その理由の第一は「彼女らは与えられた仕事の範囲内で(”job description”に定められた)過ちを犯すことは、”job security”の問題に発展するからと自己防衛していることと、第二は担当者としての強烈な責任感があるからだと解ってきた。次に思い知らされたのは「同一賃金」である以上、男性に勝るととも劣らない成績を残さねばならない意志と意欲を見せようとしている事だった。

あの世界で過ごす際に次に難しかったことは、子供の頃から躾けられていた”Ladies first”が手枷足枷になって、秘書その他の女性たちと上司の奥方たちとはなかなか打ち解けて話す場を作れなかったことだった。簡単に言えば怖かったのだ。言いたくはないが、これは「少しくらい英語を操れても容易に解決できる性質ではなかった」という意味でもあった。

ここで役に立ったのが、大学3年の時(1953年だ)来日したアメリカ人の真珠のバイヤーがある問題の解決法として教えてくれた”Time will solve.”だった。即ち、時が経つに連れ馴れてきて雰囲気が解れば、怖かった女性部員たちとも他の部門の人たちとも気楽に話せ且つ真っ向から議論も言い合いも出来るようになったと同時、彼女らが見せる強烈な対抗意識の裏も読めるようになったからだ。

次は一般論としては普通の日本国の会社員の方が容易にと言うか、気楽に見学に入っていけないだろうアメリカの工場の内部とその実態を知ることと、さらには会社とは法的に別組織である労働組合員(時間給制で年功序列で昇給)との接触について。本社の組織内にいる一般のサラリー制のアメリカ人の社員でも、組合員と仕事上でも何でも膝つき合わせて語り合う機会は極めて限られているだろう。

私は日本という最大の市場を代表していた関係上、出張の度毎に工場内に入り、組合員たちと頻繁に語り合っていた、いや語りかけねばならなかったのだった。これは馴れていてもかなり”stressful”である。因みに"stressful”はOxfordには”causing a lot of anxiety and worry”とある。私はアメリカの会社で働くことで”awful lot of headache and stiff neck/shoulder”に悩まされたものだった。

余談の部類だが、そこで役に立っていたのが、大学時代のアルバイトで経験した朝鮮動乱の戦線から一時日本に休暇で入ってきた兵隊たちを相手に人気が若かった国産の”Noritake”等の”Dinner set”の販売を担当した際に聞き覚えた、”swearword”多用の”Pidgin English”(簡単に言えば文法も何もない出鱈目な言葉)の類いに馴れていたことだった。なお、工場の現場に居る労組員はアメリカ人ばかりではないと補足しておく。即ち、英語を理解出来ない者がいるのだ。

1988年に我が国の最大手のN製紙の3人の技術者をご案内して、W社のカナダとアメリカの洋紙の製紙工場を約2週間巡回したことがあった。これも余談の部類だろうが、W社は同社と技術提携の契約があった。我が国で一般的に「指導するのはW社で、N社が指導されるのだという、笑えない誤解」が普及していた。その3人の中にはに、N社の工場の私が製紙の神様と崇めた非常に優れた理論家でもある現場の課長、I氏がおられた。

私の神様、I氏が工場に入って感心されたのが、女性の組合員が我が国では現場の組合員でも余程熟練していないと処理できない事故で停止した際に発生した廃棄処分の紙の処分機具ををいとも簡単に操って見せていた熟練した手際の良さと、規格外として再びパルプに戻してしまう損紙の山をフォークリフトを駆使して唸りを立てて場内を走り回って処理していたこと等々だった。「そこまでも、これを女性がやるのですか」と感心されたのだった。

北米でも製紙工場などはそもそも男性のみの仕事場で、女性の職場ではなかった。だが、「同一労働・同一賃金」ともなれば、女性も入ってくるようになったということを彼は目の前で見せつけられたのだった。即ち、ここでも女性労組員は男性と同等の力を発揮せねばならないのだ。製紙工場に入られて方はお解りだろうが、あの機械が発する轟音とドライパートでの高温は非常に厳しいものがある環境だ。私などは数分間立っているのが限界だった。

聞くところでは、女性の進出で先ず現場で困ったことは「鍵」などがない手洗いだったようだ。そこには私も入らざるを得ない機会があったが、「女性も入ってくることがあるのだから鍵をかけるのを忘れるな」と貼り紙があった。「なるほど後から鍵を付けたのか」と理解出来た。アメリカの手洗い場の在り方をご存じの方にはお解り願えるだろうが、そこは中でも極端な大雑把な作りだったのだ。何も製紙工場ではなくとも、同一労働ともなれば、女性も深夜勤務(graveyard shift)をしなければならなくなったとご承知置き願いたい。

女性側からの男性に対する対抗意識が如何に強烈かは既に述べたが、より具体的に目に見える例として採り上げたいのが民主党の誇る大統領候補のヒラリー・クリントン女史である。あの選挙演説における自己(「女性の」とでも言えるか)顕示欲と、ドナルト・トランプ氏に対するあからさまな敵愾心を見ていれば、極めて明らかだと見えるのだ。私は21世紀のアメリカにあっても、彼女にとってあの選挙戦は非常に(非情に?)”stressful”ではないのかと思っている。特に噂されている難病を本当に抱えているのであれば、一層大問題なのではないのか。