新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月12日 その2 個人の能力だけに依存できる世界

2017-12-12 11:18:06 | コラム
自分だけしか頼れない世界:

この点を強調すべきだったと反省して追加する。

アメリカでは我が国と根本的に異なる世界であるとは既に述べたが、その根本的なことに「皆で一丸となって」などという精神が極めて気迫というか、無しとでも言って誤りではない世界なのだ。簡単に言えば、「他人を当てにするとか、危機に瀕した場合に誰かが助けてくれること」など期待してはならない世界だという点だ。

これまでに何度も述べてきたが、各個人が誰の助けも借りずにその持てる力を発揮して、年俸分を稼ぎ出して生活していく世界なのだ。そうとは知らずに入っていっても、そのうちに「そういう仕組みになっている世界だったのか」と余程の間抜けでない限り気が付くだろう世界だ。何が何でも、自分に与えられた課題(job descriptionでも良いだろう)を自力でこなしていかねばならぬ世界であり、その為には自分以外に誰も頼りにしてはならない世界なのだ。うっかり病気になどなっていられない世界だ。

換言すれば、各個人が「自分だけが頼りだ」と認識して、与えられた課題をこなしていき、その間にそれ以上乃至はその課題以外のことにも自分で勝手に仕事の範囲を広げていって、初めて評価の対象になると言って良い世界なのだ。評価の対象とは「翌年の担当範囲や年俸の増額」を意味するのだ。与えられたことだけしか出来ていなければ、昇給などないという解りやすい世界だ。

会社の組織では、各人が担当する分野の重複はないので、そういう意味での競争はないが、個人としての生存競争の激しさは我が国とは全く異なる性質である。即ち、与えられて課題以外を如何にして失敗なく増やしていけるかであり、その拡張の作業は全て個人で為すべきことなのだ。雇う方は「そういう能力がある」という前提で雇っているのだと知るべきだ。

野球の世界では投手と野手といるのだが、そこに新顔が入ってくれば、誰かが落とさせることになるのだから、Angelsの全員が大谷が加入したことを心から歓迎するかどうかは別問題だと思うのだ。そこで、頼りになるのは個人の実力であるから、生存競争では他人に依存する事などあり得ないのだ。

アメリカの会社に雇われる事の意味

2017-12-12 09:04:46 | コラム
アメリカの会社に雇われるということの意味:

昨11日に大谷翔平論をブログでも展開したところ、一寸腹立たしい思いをしたコメントがついた。だが、説明不足もあったかと思い直して、大要下記のように補完したのだった。

単身米国に渡って仕事をすることとは:

大谷翔平論では「アメリカのような外国に行って、外国人に中に入って生活し、尚且つ仕事で成績を残すのは、端で見ているほど簡単ではないのだ」という経験談を述べたまでだ。私はその暮らしを22年以上続けてきたので、好むと好まざるとに拘わらず、異文化の中でそれの何処が我が国のそれと違うかを見出して、何とか適応して生きていくしか方法がなかったのだ。

大谷君も何れはその「文化の違い」という谷間に落ち込むことがあるだろう。だから、事前にそういう世界に入っていくのだと遠くから知らせるつもりだったのだ。それだけのことである。そういう経験のないだろう方に云々されても困るのだ。

アメリカの企業に雇われたということ:

米国に渡る場合に駐在員としてか留学生という場合もある。認識して置いて欲しいことは「これらの場合は米国側から見ればお客様」なのである。特に留学は大学側から見れば明らかにお客様なのだ。Ivy Leagueのような有名私立大学では授業料だけでも3~4万ドルもかかる上に教科書代や寄宿舎等の費用を考えれば優に年間に5~6百万円もかかるのだ。それだけの費用を負担しても留学してくる学生が大学側にとっては「お客様」なのである。

州立大学だって州によって異なるが、授業料だけで2万ドルという例もあるし、ましてや外国人は州民ではないのだから、余分な授業料となる例もあると聞いている。

ところが、アメリカの会社に雇われていく場合は全く立場が異なるのだ。MLBに行くのだって同様で、特定の球団と契約して彼らの一員として彼らの為に働くのである。即ち、単なる雇われ人だと考えれば解りやすいだろう。大谷君が如何にもチヤホヤされているかの如き報道姿勢だが、彼は自分から行きたくて雇われただけだと認識すべきだ。

そして、複雑な内容の契約を結んだとはいっても、何分にも雇用主(オウナーでも良いだろう)は I don’t like you. という極めて解りやすい理由で、CEOでも社長も副社長でもアッサリと解雇する権限を保有している国なのだ。年俸に見合わないような働きであれば、何時でも解雇される危険性がある文化なのだ。これを我が国の某有名電器会社の副社長が「社会通念が違う」と指摘したが、誠に尤もである。

そこには、我が国の会社とは全く異なった企業社会やスポーツの世界の文化もあれば、歴史もあるし、雇用条件などは全く別世界なのだ。そこを知らずしてか、全く理解せずに入っていけば、苦労ばかりだ。特にアメリカ人の高い社交性が言わせる巧みな社交辞令には、よほど注意していない限り、解りやすくいえば「騙されるの」ものだ。

現に野球だって違う。アメリカでは「野球」ではなくbaseballをやっているのだ。ダルビッシュは慧眼にも1ヶ月経ったか経たない頃に「何か別の種類の競技をやっているのかと思った」と見破ったと指摘したほど違うのである。私は日本の会社を17年経験してから転身したのだったが、言葉が解るだけでは簡単に同化していける世界ではないと知って苦しんだのだった.

大谷翔平は未だ若いから柔軟性があるだろう。だから、これから初めて異文化の世界の中で、日本とは違う baseballであって「野球」ではない競技をやることになるのだが、何とかついていけるかも知れない。だが、意外な苦労を強いられる場面もあるだろうと思う。これは経験して初めて解ること。