デタラメなカタカナ語の流行に思う:
以下は15年の7月に採り上げた話題だ。だが、こういう主張は何度繰り返しても良いと固く信じている。そこで、当時の文章を一部手直しして再録するしようと思う。主張することは他でもない、英語を教えておられる教師の方々の反省である。
今時は何処に行っても中国人と覚しきアジア人が大声で喚きながら(とは言うが我々にそう聞こえるだけのことで、あれが彼らの普通の会話の音域なのだ。何分にも国土が広大だから大声でないとお互いに聞こえないのか)“trolley case”を引きずりながら歩き回っている。大声とあのケースを引きずる音が「コラボ」(立派なカタカナ語だ!)するのだから騒音公害をまき散らしている。
ここであらためて言うが、あれは「キャリーバッグ」などでは断じてない。何処のデパートだったか忘れたが、エスカレーターに乗ると「キャリーバッグをお持ちの方はご注意を」とのアナウンスが聞こえる。あれは何処かの無知蒙昧なものがまき散らした誤ったカタカナ語が立派に戸籍を得てしまったものだ。あのスーツケースに脚輪を付けたものは“trolley case”と言うのが普通の英語である。私には何故英語の通りでいけないのかが解らない。
それにも拘わらず何を血迷ったか、無理に英語で書けば“carry bag”とした虚け者が何処かにいて、それをまたまともに受け止めて英語でもそう表現すると思って「キャリーバッグ」としてしまったらしい。少しでも正常に英語が解っていれば、“carry”という動詞の後に目的語のような“bag”が来ているが「はて、主語は何処にあるのだろう」と「意味を為していない」と疑って普通だ。それを何の躊躇もなくデパートの店内放送にまで使う神経は正常ではない。
次に槍玉に挙げたいのが「メジャー」である。これは何度も繰り返して指摘してきたことだが”major”であり、発音記号は“méiʤə(r)”(=メイジャー)となっていて、誰がどう読んでも「メィジャー」であり、断固として「メジャー」ではない。「メジャー」に近い発音の単語を敢えて探せ“measure”があり、その意味はOxfordによれば“to find the size, quality, etc. of ~ in standard units”という計測の意味しか出てこない。「大きい」ではない。何処の誰がおかしな表記にしたのかを問いたい。
この手のおかしなカタカナ表記を挙げればキリがないが、「安全」という意味で近頃マスコミも政治家も濫用する「セキュリティ」も奇怪至極だ。「某通信社よ、発音記号をよく見てからカタカナ表記を考えろ」と怒鳴りつけたいほどおかしい。辞書には“sikjú(ə)rəti”となっており「セキュアラティ」と発音するのが常識だろう。それともこの表記を導入した輩は、我が日本人には「セキュアラティ」が発音出来ないかもと妙な仏心でも出したのかと真剣に軽蔑する。
もう一つおかしな表記を挙げよう。それはW杯女子サッカーの何処かの国に“Holiday”という人がいた。アナウンサーは躊躇うことなく「ホリデー」と言っていた。私はあれで良く大学、いや中学や高校で英語の単位が取れたものだと、寒心?していた。これはOxfordの発音記号でも「ハラディ」と読める。それにも拘わらず、我が国では何処かで誰かがローマ字読みにしてしまった。
英語教育に携わってきた方々に伺いたいのは「『キャリーバッグ』なる言葉が流行り出した時に、何と言う恥ずかしいカタカナ表記であるかとは感じなかったのか。かかる出鱈目で文法無視な言葉が出来たとは自分たちの教え方に至らざる点があったのか」とは思わなかったのかという点だ。反論があれば是非伺いたいものだ。
「メジャー」もそうだ。あれほど学校では単語重視で教えたはずなのに、アクセントを何処に置くかという難しい試験問題を沢山出したのに、何で“major”が“measure”になってしまったのかと、脅威に感じなかったのかとも尋ねたい。“holiday”だってそうだ。何故辞書を丹念に引けと教えたはずなのにローマ字読みにして、ありもしない「ホリデー・イン」が存在するようになってしまったかと反省しなかったのかと問いたい。
この程度のごく普通の発音すら教えきれなかった人たちが、TOEICだのTOEFLだの英検だのと試験ばかりに熱中し、「ろくに外国人に通じない」と嘆く卒業生が多い教育を少しでも改めようとしないのか。その前に「妙なカタカナ表記を排斥しようとしないのか」とも問いたいのだ。昨日も何処かのテレビで、通りがかりの白人に「何処の国から来たのか」が言えずに四苦八苦する芸人を見た。
芸人だからまともに言えなかったことを責めるのではなく、この程度の疑問文すら覚えることが出来なかった教え方を恥じ入って貰わねばならないと私は考えている。このようなことだから、おかしなカタカナ表記を何ら疑うことなく日本語の一部に組み込んでしまう結果になるのだ。私はこれを「英語教育の欠陥だ」と指摘したい。
そんなことをしているから、フラン人であるクリステル・チアリの国辱的な恥ずかしい英語のJR他の車内放送をあれほど蔓延らせてしまうのだ。私は彼女を採用した多くの電鉄会社の英語の知識を非難したい。私のこの指摘に賛成して下さった外国に居住される日本の方がおられたことを申し添えておく。尤も、彼女はインターナショナルスクール出身のようだが、誠に酷い無教養な英語を教えられたしか思えないのだ。
私の言いたい放題かも知れない主張に反論したい方だけではなく、賛成して下さる方もおられると良いのだかと思いつつ終わる。
以下は15年の7月に採り上げた話題だ。だが、こういう主張は何度繰り返しても良いと固く信じている。そこで、当時の文章を一部手直しして再録するしようと思う。主張することは他でもない、英語を教えておられる教師の方々の反省である。
今時は何処に行っても中国人と覚しきアジア人が大声で喚きながら(とは言うが我々にそう聞こえるだけのことで、あれが彼らの普通の会話の音域なのだ。何分にも国土が広大だから大声でないとお互いに聞こえないのか)“trolley case”を引きずりながら歩き回っている。大声とあのケースを引きずる音が「コラボ」(立派なカタカナ語だ!)するのだから騒音公害をまき散らしている。
ここであらためて言うが、あれは「キャリーバッグ」などでは断じてない。何処のデパートだったか忘れたが、エスカレーターに乗ると「キャリーバッグをお持ちの方はご注意を」とのアナウンスが聞こえる。あれは何処かの無知蒙昧なものがまき散らした誤ったカタカナ語が立派に戸籍を得てしまったものだ。あのスーツケースに脚輪を付けたものは“trolley case”と言うのが普通の英語である。私には何故英語の通りでいけないのかが解らない。
それにも拘わらず何を血迷ったか、無理に英語で書けば“carry bag”とした虚け者が何処かにいて、それをまたまともに受け止めて英語でもそう表現すると思って「キャリーバッグ」としてしまったらしい。少しでも正常に英語が解っていれば、“carry”という動詞の後に目的語のような“bag”が来ているが「はて、主語は何処にあるのだろう」と「意味を為していない」と疑って普通だ。それを何の躊躇もなくデパートの店内放送にまで使う神経は正常ではない。
次に槍玉に挙げたいのが「メジャー」である。これは何度も繰り返して指摘してきたことだが”major”であり、発音記号は“méiʤə(r)”(=メイジャー)となっていて、誰がどう読んでも「メィジャー」であり、断固として「メジャー」ではない。「メジャー」に近い発音の単語を敢えて探せ“measure”があり、その意味はOxfordによれば“to find the size, quality, etc. of ~ in standard units”という計測の意味しか出てこない。「大きい」ではない。何処の誰がおかしな表記にしたのかを問いたい。
この手のおかしなカタカナ表記を挙げればキリがないが、「安全」という意味で近頃マスコミも政治家も濫用する「セキュリティ」も奇怪至極だ。「某通信社よ、発音記号をよく見てからカタカナ表記を考えろ」と怒鳴りつけたいほどおかしい。辞書には“sikjú(ə)rəti”となっており「セキュアラティ」と発音するのが常識だろう。それともこの表記を導入した輩は、我が日本人には「セキュアラティ」が発音出来ないかもと妙な仏心でも出したのかと真剣に軽蔑する。
もう一つおかしな表記を挙げよう。それはW杯女子サッカーの何処かの国に“Holiday”という人がいた。アナウンサーは躊躇うことなく「ホリデー」と言っていた。私はあれで良く大学、いや中学や高校で英語の単位が取れたものだと、寒心?していた。これはOxfordの発音記号でも「ハラディ」と読める。それにも拘わらず、我が国では何処かで誰かがローマ字読みにしてしまった。
英語教育に携わってきた方々に伺いたいのは「『キャリーバッグ』なる言葉が流行り出した時に、何と言う恥ずかしいカタカナ表記であるかとは感じなかったのか。かかる出鱈目で文法無視な言葉が出来たとは自分たちの教え方に至らざる点があったのか」とは思わなかったのかという点だ。反論があれば是非伺いたいものだ。
「メジャー」もそうだ。あれほど学校では単語重視で教えたはずなのに、アクセントを何処に置くかという難しい試験問題を沢山出したのに、何で“major”が“measure”になってしまったのかと、脅威に感じなかったのかとも尋ねたい。“holiday”だってそうだ。何故辞書を丹念に引けと教えたはずなのにローマ字読みにして、ありもしない「ホリデー・イン」が存在するようになってしまったかと反省しなかったのかと問いたい。
この程度のごく普通の発音すら教えきれなかった人たちが、TOEICだのTOEFLだの英検だのと試験ばかりに熱中し、「ろくに外国人に通じない」と嘆く卒業生が多い教育を少しでも改めようとしないのか。その前に「妙なカタカナ表記を排斥しようとしないのか」とも問いたいのだ。昨日も何処かのテレビで、通りがかりの白人に「何処の国から来たのか」が言えずに四苦八苦する芸人を見た。
芸人だからまともに言えなかったことを責めるのではなく、この程度の疑問文すら覚えることが出来なかった教え方を恥じ入って貰わねばならないと私は考えている。このようなことだから、おかしなカタカナ表記を何ら疑うことなく日本語の一部に組み込んでしまう結果になるのだ。私はこれを「英語教育の欠陥だ」と指摘したい。
そんなことをしているから、フラン人であるクリステル・チアリの国辱的な恥ずかしい英語のJR他の車内放送をあれほど蔓延らせてしまうのだ。私は彼女を採用した多くの電鉄会社の英語の知識を非難したい。私のこの指摘に賛成して下さった外国に居住される日本の方がおられたことを申し添えておく。尤も、彼女はインターナショナルスクール出身のようだが、誠に酷い無教養な英語を教えられたしか思えないのだ。
私の言いたい放題かも知れない主張に反論したい方だけではなく、賛成して下さる方もおられると良いのだかと思いつつ終わる。