新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月10日 その2 世の英語教師の反省を促す

2017-12-10 10:22:28 | コラム
デタラメなカタカナ語の流行に思う:

以下は15年の7月に採り上げた話題だ。だが、こういう主張は何度繰り返しても良いと固く信じている。そこで、当時の文章を一部手直しして再録するしようと思う。主張することは他でもない、英語を教えておられる教師の方々の反省である

今時は何処に行っても中国人と覚しきアジア人が大声で喚きながら(とは言うが我々にそう聞こえるだけのことで、あれが彼らの普通の会話の音域なのだ。何分にも国土が広大だから大声でないとお互いに聞こえないのか)“trolley case”を引きずりながら歩き回っている。大声とあのケースを引きずる音が「コラボ」(立派なカタカナ語だ!)するのだから騒音公害をまき散らしている。

ここであらためて言うが、あれは「キャリーバッグ」などでは断じてない。何処のデパートだったか忘れたが、エスカレーターに乗ると「キャリーバッグをお持ちの方はご注意を」とのアナウンスが聞こえる。あれは何処かの無知蒙昧なものがまき散らした誤ったカタカナ語が立派に戸籍を得てしまったものだ。あのスーツケースに脚輪を付けたものは“trolley case”と言うのが普通の英語である。私には何故英語の通りでいけないのかが解らない。

それにも拘わらず何を血迷ったか、無理に英語で書けば“carry bag”とした虚け者が何処かにいて、それをまたまともに受け止めて英語でもそう表現すると思って「キャリーバッグ」としてしまったらしい。少しでも正常に英語が解っていれば、“carry”という動詞の後に目的語のような“bag”が来ているが「はて、主語は何処にあるのだろう」と「意味を為していない」と疑って普通だ。それを何の躊躇もなくデパートの店内放送にまで使う神経は正常ではない。

次に槍玉に挙げたいのが「メジャー」である。これは何度も繰り返して指摘してきたことだが”major”であり、発音記号は“méiʤə(r)”(=メイジャー)となっていて、誰がどう読んでも「メィジャー」であり、断固として「メジャー」ではない。「メジャー」に近い発音の単語を敢えて探せ“measure”があり、その意味はOxfordによれば“to find the size, quality, etc. of ~ in standard units”という計測の意味しか出てこない。「大きい」ではない。何処の誰がおかしな表記にしたのかを問いたい。

この手のおかしなカタカナ表記を挙げればキリがないが、「安全」という意味で近頃マスコミも政治家も濫用する「セキュリティ」も奇怪至極だ。「某通信社よ、発音記号をよく見てからカタカナ表記を考えろ」と怒鳴りつけたいほどおかしい。辞書には“sikjú(ə)rəti”となっており「セキュアラティ」と発音するのが常識だろう。それともこの表記を導入した輩は、我が日本人には「セキュアラティ」が発音出来ないかもと妙な仏心でも出したのかと真剣に軽蔑する。

もう一つおかしな表記を挙げよう。それはW杯女子サッカーの何処かの国に“Holiday”という人がいた。アナウンサーは躊躇うことなく「ホリデー」と言っていた。私はあれで良く大学、いや中学や高校で英語の単位が取れたものだと、寒心?していた。これはOxfordの発音記号でも「ハラディ」と読める。それにも拘わらず、我が国では何処かで誰かがローマ字読みにしてしまった。

英語教育に携わってきた方々に伺いたいのは「『キャリーバッグ』なる言葉が流行り出した時に、何と言う恥ずかしいカタカナ表記であるかとは感じなかったのか。かかる出鱈目で文法無視な言葉が出来たとは自分たちの教え方に至らざる点があったのか」とは思わなかったのかという点だ。反論があれば是非伺いたいものだ。

「メジャー」もそうだ。あれほど学校では単語重視で教えたはずなのに、アクセントを何処に置くかという難しい試験問題を沢山出したのに、何で“major”が“measure”になってしまったのかと、脅威に感じなかったのかとも尋ねたい。“holiday”だってそうだ。何故辞書を丹念に引けと教えたはずなのにローマ字読みにして、ありもしない「ホリデー・イン」が存在するようになってしまったかと反省しなかったのかと問いたい。

この程度のごく普通の発音すら教えきれなかった人たちが、TOEICだのTOEFLだの英検だのと試験ばかりに熱中し、「ろくに外国人に通じない」と嘆く卒業生が多い教育を少しでも改めようとしないのか。その前に「妙なカタカナ表記を排斥しようとしないのか」とも問いたいのだ。昨日も何処かのテレビで、通りがかりの白人に「何処の国から来たのか」が言えずに四苦八苦する芸人を見た。

芸人だからまともに言えなかったことを責めるのではなく、この程度の疑問文すら覚えることが出来なかった教え方を恥じ入って貰わねばならないと私は考えている。このようなことだから、おかしなカタカナ表記を何ら疑うことなく日本語の一部に組み込んでしまう結果になるのだ。私はこれを「英語教育の欠陥だ」と指摘したい。

そんなことをしているから、フラン人であるクリステル・チアリの国辱的な恥ずかしい英語のJR他の車内放送をあれほど蔓延らせてしまうのだ。私は彼女を採用した多くの電鉄会社の英語の知識を非難したい。私のこの指摘に賛成して下さった外国に居住される日本の方がおられたことを申し添えておく。尤も、彼女はインターナショナルスクール出身のようだが、誠に酷い無教養な英語を教えられたしか思えないのだ。

私の言いたい放題かも知れない主張に反論したい方だけではなく、賛成して下さる方もおられると良いのだかと思いつつ終わる。


恥さらし

2017-12-10 09:52:32 | コラム
DPRKに勝ったから良いというものではない:

(余り当てにはならない)FIFAのランキングで55位という我が国が、114位のDPRKに大苦戦して最早引き分けかと思ったほどだった。ところが、DPRKが何とかタイムで3分間伸びた間に、足に痙攣が来たとかでピッチ上に引っ繰り返っていた者が出たという時間空費の愚かな作戦に出たので3分以上も試合が続き、その間に井手口の遠目からシュートが相手のデイフェンスに当たって方向が変わり決勝点になってしまった。勝ったから良かったなどとは口が曲がっても言えないみっともない勝利だった。

私も昭和20年から数えれば無数にサッカーの試合、それも国際試合を見てきたが、昨夜の言わばJリーグ選抜のサッカーほど劣悪な質の試合を見た記憶がない。アナウンサーがシュートの数でもDPRKが倍だと言っていたが、それほど消極的で所謂「闘志」(「ファイト」というカタカナ語は大間違いで fight にそういう意味はない、念の為)が全く見えてこなかったし、DPRKの方がよほどやる気になっていたと見えた。

兎に角駄目だった点を挙げておくと、例によって後から横へのパスばかりを交換していたので、ボール支配率が75%を超えながら、90分やっても得点の形にならなかったほど、前にいる者たちが立ち止まって「何時自分にパスが来るのかな」とボンヤリしているだけでは、シュートまで行く訳がなかった。この消極性が何処から来るのか知らないが、上手く行けば(もしかして?)フル代表にでも入れるかと無理をしないで「責任逃れパス」の得意技を見せていただけだったと疑う。

次に困ったことは、日頃あの顔触れでサッカーをやって来なかったことも原因かと思うが、誰がテイ―ムの中心で試合を作っていくのかが全く見えていなかった点だ。如何なる形で、何処を起点にして攻め上がるのかというゲームプランが出来ていないと見た。何とか言う監督さんはこれくらいの作戦を選手たちに授けていなかったのかと疑っていた。

そこで起きた現象は、例によって例の如くに左サイドにボールが集まって無意味な責任逃れパス交換を延々と繰り返しているだけで小林悠だったかのリーグのMVPで得点王だった者が暇そうにしているだけだったのは、怒る前に笑ってしまった。あの攻め方では如何に114位のテイ―ムでも何らの危機感もなく守れていた訳だと思っていた。

もう一つ加えておくと「俺がやってやろう」という強烈な意識を見せた者が皆無だったのはどういうことだろう。兎に角、誰一人として自分が決めてやろうという意欲を見せずに誰かがやってくれるだろうとでも勝手に期待していたらしい。大した守りをしている訳でもないDPRKに対して決定的な形になれずに、無意味に時間を空費していた。

そこにまた、アナウンサーがGKの中村が良い守備をしたと言って、これまた例によって「守護神」呼ばわりである。言っておくが、GKの好守が目立つ試合などは碌なものではないのだ。禄に守っていないから危機が訪れるくらいは3歳の児童でも解ることだ。ではあっても、中村は良く守っていたと褒めても良いだろう。

協会と監督さんが如何なる根拠と判断でJリーグ選抜だけでこの試合に出ると決めたのかは知らないが、あの選抜された顔触れだけでは全く形にならないと証明できたことが良かったのか悪かったのかは俄に判断できないが、欧州組との間に何とも言えない「格差」があると立証したことになったのではないのか。

次にも試合があるのだから、少なくとも小林悠の使い方くらいは改善すると共に、あの左サイドにパスが偏ってしまうサッカーも何とかしないことには、優勝などは冗談だとしか聞こえない。Jリーグの連中があれほど下手だとは予想できなかった。