新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月23日 その2 昨日は

2017-12-23 11:10:41 | コラム
昨22日の休載のこと:

昨日は21日に寒空の下一寸長い距離を往復歩いて買い物に出たせいか、些か疲労感が出早めに就寝。その間に迂闊にもブログの更新を失念していました。誠にお恥ずかしい次第でした。往復約45分、それでも足は衰えておらず、一安心してしまったのか原因でした。あーあ、情けなや超後期高齢者。

真一文字拝

相撲協会にもMBAを

2017-12-23 10:05:40 | コラム
相撲協会はMBAを招聘したらどうだろうか:

連日連夜これでもかと続くあの間抜けな協会関連の報道にはウンザリを通り越して、この間抜け振りを形容するのに何か別の簡単な言葉がないものかと模索中だ。

実は、この一連の報道を見て(物理的にはほとんど見ていないし、週刊誌もそこを飛ばして読むが)思い出したことがある。それは、2年ほど前だったかに畏友YM氏が21世紀パラダイム研究会で行った講演で「アメリカにおけるビジネススクールとMBA」を語った時のことだった。私にとっても非常に興味深い発表だったが、その中で、意外というか特に印象的だった点があった。

それは、YM氏が「MBAは必ずしも会社のような営利事業の経営者だけの養成に限定されておらず、病院、教育機関(大学等)、association等の団体の長たる者向けの課程もある」と指摘したのが印象的だった。即ち、「病院などでは院長職に就く者がアメリカでは必ずしもお医者様だった方ではなく、経営と実務の運営を分離している」という指摘だった。アメリカでは同様に大学等でも学長には経営陣には教授出身者ではない、MBAの専任者が必要であると考えているという解説だった。

そこで翻って、あらためて我が国の運動競技の団体というか協会の在り方を見れば、ほとんどの協会が元有名選手かその競技の古手が首脳陣(経営陣と言っても良いか)に名を連ねている。その直接の結果でだと断定しても良いが、資金等に奇妙な使われ方があったかと思えば、オリンピック代表の選出方法などでな屡々その不合理さというか不条理さを外部から乃至は世論から叩かれるような不始末が多かったと思う。

そこで相撲協会であるが、私は以前から「一般常識の遙か遠くの拉致外にある人たちの集団」と指摘してきた。その点だけを踏まえても、今回の騒動だけを見ても、八角とやら言う理事長の「世間一般の常識からだけ見ても不手際であり、しかも意図的でないかも知れない貴乃花親方との闘争をこれ見よがしに広報宣伝活動をしているか」しか見えないのは、あの協会独自の文化の表れだと、見做している。

特に笑ってしまったのは、力士どころか協会の関係者全員までを集めて「暴力はいけない」だの「力士の生活指導」にまで言及する講演を聴かせたことである。過去に確かにあの世界では殺人にまで到った指導と暴力を混同した事件があった。だが、この度の騒動は、週刊誌等の報道によれば「モンゴル人力士たち」の内輪揉めが現在の段階にまで立ち至ったのであって、日本出身の力士たちの関与はなかったのではなかった。

それにも拘わらず、全体を捉えて集合させ講義を聴かせたということは、良く考えなくとも解ることで「理事長自身が常日頃から会員たちに説き聞かせて置くことを怠った手落ちが今回の事態を招いたのだと考えれば、責任を他に転嫁して逃れようとの悪あがきにみえてしまう。貴乃花親方だけの責任に帰すべき案件ではあるまい。それだけではなく、あの高野某のように理事長の表見代理の如き物言いも理事長の無能力振りを一層際立てている。

と、ここまで如何にも相撲協会の首脳部にも「MBAというか経営学修士の課程を学んできた者を招聘して実際に会の運営や経営についての助言を求めたら良いのではないか」と言いたいようだ。だが、実際に例えば、ハーヴァードとうの出身者のMBAを1人くらい入れても、効果が出る訳ではあるまいと思っている。私はあの協会は「矢張り野に置け蓮華草」で、これまでのように「一般社会とは途絶した世界で運営していく以外の道はない」と思っている。

現実的には日馬富士などは折角法政大学の大学院に入学していたのだから、惜しいことをしたと言えなくもない気はするが。他にも、4年生大学出身の力士も多いことだし、およそ非現実的だろうが彼らの中からMBA(というかビジネススクールに進ませて)明日の経営者を養成する手もなくはないのかも知れない。

あの横綱審議委員会の顔触れをテレビの画面だけで見て「古き良き時代を過ごしてきた老人たちばかりで、およそ近代化だの合理化だのとは別個な世界で過ごしてきた偉い人で、相撲を好んできた人たちばかりだ。故に、彼らをこれまで通りの文化の中で江戸時代からの歴史と伝統に輝く『興行』として愛好者たちの為に続けて行ければ、それで十分だと思う」と思ったのだ。

私は事相撲に関しては、一般社会で必ず避けて通った方が良い事柄があると思う。それは「外部から解ったような顔をして自分たちの常識的な見地から相撲界での出来事を非難したり、したり顔で批判などするべきではないこと」だ。相撲がお好みであれば、四の五の言わずに、国技館でも地方巡業でも、何処でも行かれて興行の世界を楽しんでこられれば良いではないか。白鵬に品格などを今更求めるのは「木に縁りて魚を求めるが如く」ではないか。