衝撃的だったAmtrakの脱線事故:
今朝から「 Amtrakがワシントン州内で道路の上を走る箇所で脱線事故を起こし死亡者まで出した」と報じられているのは、何度もこの鉄道を利用していた私には衝撃的だった。しかもその列車はシアトル発でポートランド行きだというのも、何とも言えない思いで聞いていた。私が列車を頻繁に利用したのは、車の運転ができないので、この鉄道の沿線にあるLongviewの事業部の工場に行く時だったのだ。Longview/Kelsoと言う駅で降りれば工場に近かったので、誰かが拾いに来てくれると寸法だった。
ご存じの方はおられるかも知れないが、アメリカの鉄道などという公共交通手段は我が国のそれは余りに違いすぎるのである。如何なる正確さで運行されるかなどは想像もできないほど違う代物なのである。また、駅には改札口もなく予約があって切符を持っている者が、思い思いにプラットフォームに(と言っても、線路と同一平面の場所にコンクリートが打ってあるという程度)列車が止まれば、車掌が乗車口の前に踏み台を置いて待っているから、そこに行って切符を見せれば何号車に行けと指示されるという具合だ。
車内は往年はゆったりと座れたし、座席と座席の間隔も広く、ラインナップ飛行機のファーストクラスのような足のせの台もあって優雅なものだった。朝7時頃にポートランド等の南の方に行く便には食堂車があって、右側に見えるPuget Sound という美しい内海の景色を楽しみながら、経済的な値段で提供される朝食を楽しんでいる間に目指すLongview/Kelsoに到着という具合だった。
それが徐々に近代的に改悪(?)されて、座席も小さくなった代わりに車内でPCが使えるようになったと共に食堂車がなくなって、不味いだけのカフェテリアに変わってしまった。テレビのニュースで見た車体の色も2007年に最後に乗った時のものとは全く異なる明るい色だった。シアトル発の列車は先ず間違いなく予定された時刻に出発するが、カリフォルニア州の何処かから出てくる場合には1~2時間の遅れなどは当たり前で、私が経験した最大にして最悪の遅延なLongview/Kelsoで4時間遅れというのがあった。
その時は工場から送ってくれた事務方の夫妻が気の毒がって、近くのホテルで3時間ほど時間潰しに付き合ってくれたのだった。ところが、駅に行ってみると何と列車は丁度動き出すところで、我々が必死に手を振って止まれと合図したが、運転手は楽しそうに手を振ってくれただけで無情にも出て行ってしまった。駅について未だ勤務していた係に苦情を言ったが、「運転手の気質にも依るが、遅れを取り戻そうと懸命に走ってくる場合もある。気の毒だったね」で終わりだった。
これがその日の最終列車で、シアトルで副社長秘書と打ち合わせがある私が途方に暮れていると、その事務方夫妻は何故か責任を感じてシアトルまで3時間近くを走ってくれたのだった。副社長秘書はシアトルの待ち合わせ場所のKing Stationで遅れると知り、辛抱強く待っていてくれたのだった。だが、到着した列車から私が降りてこないので驚いていたところに、駅舎の前に到着した車から私が降りて走ってきたので何事が起きたのかと目を白黒。
結局手短に打ち合わせを終えて、送ってくれた夫妻とともにシアトル市内で彼らに感謝の夕食会となった次第だった。その後にLongviewまでドライブして帰れば真夜中だっただろうが、アメリカ人たちの強靱な体力には感心するばかりだった。事務方は1日の勤務を終えてから3時間の暇潰しだけではなく、結果的には往復で約6時間ものドライブでシアトルに夕食をしに来てくれたのだった。
それにしても、Amtrakとはそういうのんびりした鉄道会社なのだが、あれほどユックリと走ることしかできない会社の列車が、脱線事故を起こすなどとは想像もしたことがなかったし、実際に事故の話など聞いたこともなかった。また、多少の遅延くらいは大目に見ても良いほど運賃が安いのだった。記憶は不正確かも知れないが、SeattleからLongview/Kelsoまで約3時間の指定席が$20もしなかったと思う。
今朝から「 Amtrakがワシントン州内で道路の上を走る箇所で脱線事故を起こし死亡者まで出した」と報じられているのは、何度もこの鉄道を利用していた私には衝撃的だった。しかもその列車はシアトル発でポートランド行きだというのも、何とも言えない思いで聞いていた。私が列車を頻繁に利用したのは、車の運転ができないので、この鉄道の沿線にあるLongviewの事業部の工場に行く時だったのだ。Longview/Kelsoと言う駅で降りれば工場に近かったので、誰かが拾いに来てくれると寸法だった。
ご存じの方はおられるかも知れないが、アメリカの鉄道などという公共交通手段は我が国のそれは余りに違いすぎるのである。如何なる正確さで運行されるかなどは想像もできないほど違う代物なのである。また、駅には改札口もなく予約があって切符を持っている者が、思い思いにプラットフォームに(と言っても、線路と同一平面の場所にコンクリートが打ってあるという程度)列車が止まれば、車掌が乗車口の前に踏み台を置いて待っているから、そこに行って切符を見せれば何号車に行けと指示されるという具合だ。
車内は往年はゆったりと座れたし、座席と座席の間隔も広く、ラインナップ飛行機のファーストクラスのような足のせの台もあって優雅なものだった。朝7時頃にポートランド等の南の方に行く便には食堂車があって、右側に見えるPuget Sound という美しい内海の景色を楽しみながら、経済的な値段で提供される朝食を楽しんでいる間に目指すLongview/Kelsoに到着という具合だった。
それが徐々に近代的に改悪(?)されて、座席も小さくなった代わりに車内でPCが使えるようになったと共に食堂車がなくなって、不味いだけのカフェテリアに変わってしまった。テレビのニュースで見た車体の色も2007年に最後に乗った時のものとは全く異なる明るい色だった。シアトル発の列車は先ず間違いなく予定された時刻に出発するが、カリフォルニア州の何処かから出てくる場合には1~2時間の遅れなどは当たり前で、私が経験した最大にして最悪の遅延なLongview/Kelsoで4時間遅れというのがあった。
その時は工場から送ってくれた事務方の夫妻が気の毒がって、近くのホテルで3時間ほど時間潰しに付き合ってくれたのだった。ところが、駅に行ってみると何と列車は丁度動き出すところで、我々が必死に手を振って止まれと合図したが、運転手は楽しそうに手を振ってくれただけで無情にも出て行ってしまった。駅について未だ勤務していた係に苦情を言ったが、「運転手の気質にも依るが、遅れを取り戻そうと懸命に走ってくる場合もある。気の毒だったね」で終わりだった。
これがその日の最終列車で、シアトルで副社長秘書と打ち合わせがある私が途方に暮れていると、その事務方夫妻は何故か責任を感じてシアトルまで3時間近くを走ってくれたのだった。副社長秘書はシアトルの待ち合わせ場所のKing Stationで遅れると知り、辛抱強く待っていてくれたのだった。だが、到着した列車から私が降りてこないので驚いていたところに、駅舎の前に到着した車から私が降りて走ってきたので何事が起きたのかと目を白黒。
結局手短に打ち合わせを終えて、送ってくれた夫妻とともにシアトル市内で彼らに感謝の夕食会となった次第だった。その後にLongviewまでドライブして帰れば真夜中だっただろうが、アメリカ人たちの強靱な体力には感心するばかりだった。事務方は1日の勤務を終えてから3時間の暇潰しだけではなく、結果的には往復で約6時間ものドライブでシアトルに夕食をしに来てくれたのだった。
それにしても、Amtrakとはそういうのんびりした鉄道会社なのだが、あれほどユックリと走ることしかできない会社の列車が、脱線事故を起こすなどとは想像もしたことがなかったし、実際に事故の話など聞いたこともなかった。また、多少の遅延くらいは大目に見ても良いほど運賃が安いのだった。記憶は不正確かも知れないが、SeattleからLongview/Kelsoまで約3時間の指定席が$20もしなかったと思う。