新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月19日 その3 Amtrakが脱線事故

2017-12-19 17:02:26 | コラム
衝撃的だったAmtrakの脱線事故:

今朝から「 Amtrakがワシントン州内で道路の上を走る箇所で脱線事故を起こし死亡者まで出した」と報じられているのは、何度もこの鉄道を利用していた私には衝撃的だった。しかもその列車はシアトル発でポートランド行きだというのも、何とも言えない思いで聞いていた。私が列車を頻繁に利用したのは、車の運転ができないので、この鉄道の沿線にあるLongviewの事業部の工場に行く時だったのだ。Longview/Kelsoと言う駅で降りれば工場に近かったので、誰かが拾いに来てくれると寸法だった。

ご存じの方はおられるかも知れないが、アメリカの鉄道などという公共交通手段は我が国のそれは余りに違いすぎるのである。如何なる正確さで運行されるかなどは想像もできないほど違う代物なのである。また、駅には改札口もなく予約があって切符を持っている者が、思い思いにプラットフォームに(と言っても、線路と同一平面の場所にコンクリートが打ってあるという程度)列車が止まれば、車掌が乗車口の前に踏み台を置いて待っているから、そこに行って切符を見せれば何号車に行けと指示されるという具合だ。

車内は往年はゆったりと座れたし、座席と座席の間隔も広く、ラインナップ飛行機のファーストクラスのような足のせの台もあって優雅なものだった。朝7時頃にポートランド等の南の方に行く便には食堂車があって、右側に見えるPuget Sound という美しい内海の景色を楽しみながら、経済的な値段で提供される朝食を楽しんでいる間に目指すLongview/Kelsoに到着という具合だった。

それが徐々に近代的に改悪(?)されて、座席も小さくなった代わりに車内でPCが使えるようになったと共に食堂車がなくなって、不味いだけのカフェテリアに変わってしまった。テレビのニュースで見た車体の色も2007年に最後に乗った時のものとは全く異なる明るい色だった。シアトル発の列車は先ず間違いなく予定された時刻に出発するが、カリフォルニア州の何処かから出てくる場合には1~2時間の遅れなどは当たり前で、私が経験した最大にして最悪の遅延なLongview/Kelsoで4時間遅れというのがあった。

その時は工場から送ってくれた事務方の夫妻が気の毒がって、近くのホテルで3時間ほど時間潰しに付き合ってくれたのだった。ところが、駅に行ってみると何と列車は丁度動き出すところで、我々が必死に手を振って止まれと合図したが、運転手は楽しそうに手を振ってくれただけで無情にも出て行ってしまった。駅について未だ勤務していた係に苦情を言ったが、「運転手の気質にも依るが、遅れを取り戻そうと懸命に走ってくる場合もある。気の毒だったね」で終わりだった。

これがその日の最終列車で、シアトルで副社長秘書と打ち合わせがある私が途方に暮れていると、その事務方夫妻は何故か責任を感じてシアトルまで3時間近くを走ってくれたのだった。副社長秘書はシアトルの待ち合わせ場所のKing Stationで遅れると知り、辛抱強く待っていてくれたのだった。だが、到着した列車から私が降りてこないので驚いていたところに、駅舎の前に到着した車から私が降りて走ってきたので何事が起きたのかと目を白黒。

結局手短に打ち合わせを終えて、送ってくれた夫妻とともにシアトル市内で彼らに感謝の夕食会となった次第だった。その後にLongviewまでドライブして帰れば真夜中だっただろうが、アメリカ人たちの強靱な体力には感心するばかりだった。事務方は1日の勤務を終えてから3時間の暇潰しだけではなく、結果的には往復で約6時間ものドライブでシアトルに夕食をしに来てくれたのだった。

それにしても、Amtrakとはそういうのんびりした鉄道会社なのだが、あれほどユックリと走ることしかできない会社の列車が、脱線事故を起こすなどとは想像もしたことがなかったし、実際に事故の話など聞いたこともなかった。また、多少の遅延くらいは大目に見ても良いほど運賃が安いのだった。記憶は不正確かも知れないが、SeattleからLongview/Kelsoまで約3時間の指定席が$20もしなかったと思う。


12月19日 アメリカの会社に雇われると #2

2017-12-19 10:13:10 | コラム
日本とアメリカの会社との違い:

以下は先日の「アメリカの会社に雇われるということ」の補完にもなる。私は1988年4月8日に、21年間住んだ藤沢市の湘南台からここ新宿区百人町のコンドミニアム(で良いと思うが、分譲アパートの意味。アメリカでは mansionの分譲なんてないと思うよ)に越してきた。そして当時は小田急線湘南台駅から中央林間まで行って、東急田園都市線で青山一丁目まで通っていた。実に1時間45分に垂んとする長旅だった。9時前に出勤する為には朝は7時過ぎの電車に乗らねばならなかった。

この頃は早朝の小田急線に乗ると、ほとんどの乗客は沿線の工場勤務の方々で、悠々と座っていた私は彼らの会話を聞きたくなくても聞いていたものだった。驚くべきではないかも知れないことがあった。それは会話の75%以上は人事の話題で、それも移動の予測と上司の噂に関するものだった。例えば、「今度の移動で誰それさんが何処そこから課長で来るらしいが、あの人のやり方には私はついて行けそうもないから今から憂鬱だ」といったような類いのものだ。

兎に角噂話がお好きな男女が多く、第三者でもない人がが聞いているかも知れないことなど全く気にかけない様子で、あからさまに語り合っている人が圧倒的に多かった。私が今になってこんなことを採り上げたが、そういう語り合いを非難も批判もする気など毛頭ない。ただ、あらためて日本と米国の会社の違いが、こういう会話でも浮き彫りになってくることを指摘したかったのだ。

アメリカの製造業界の会社では(とした理由は、アメリカの会社ではと決めつけても良かったが、金融業界の人事を良く知らないので、製造業界の会社という表現を選んだ)上司は言うに及ばず、会社そのものの経営方針や事業部の運営方針まで変えてしまう権限を持った社長だろうと副社長だろうと、何時何処の会社からか、あるいは社内からか、ある日突然現れても何ら不思議はないのである。ましてや、いきなり見ず知らずの者が同じ部門に社内か、または外から採用され、明るく “Hi!”と言って現れてくるのだから楽ではないのだ。

但し、アメリカの組織では先ず同じ仕事を正・副の担当者がすることはないので、その点が我が国との大いなる違いであろう。換言すれば、与えられた職務は飽くまでも各人が自分一人で為すべきことであって、誰も助けてはくれないということだ。しかし、恐ろしいことがあって、時には何処から来たかも知らなかったような上司が、いきなり「君の担当する分野からは撤退すると決めた。長い間ご苦労だった」と解雇を宣告することなど日常茶飯事なのである。

既に触れたことだが、アメリカの組織には新卒の定期採用もなければ、年功序列もないのである。突然、昨日まで同僚だった者が今朝から上司と言うことなど起きる世界だ。マネージャーは兎も角、事業部や会社の運営をする職位には内部からの昇格もあれば、ある日突然外部からと言うのは当たり前で「次の部長には何処の誰が着任するのか」などの予想などできる世界ではないのだ。事実、W社では第8代CEOだったオウナーファミリーのジョージ・ウエアーハウザーの後継社長兼CEOなどは誰も予測していなかった、最も小さかった不動産部門から上がってきた。

私は日本と米国の人事制度というか人事の在り方の何れが優れているかであるとか、どちらが良いのかなどを論じる考えはない。ただ、これほどの違いがあるにも拘わらず「お互いに会社である以上、同じように運営されている」などと軽々に考えない方が良いだろうなと言いたいだけだ。何も会社だけではなく、国そのものが相互に異なる文化と思考形態の元で運営されていると認識してかかるべきだと思う。


嘆かわしきテレビと新聞のパンダ騒ぎ

2017-12-19 08:14:21 | コラム
中国のお先棒を担ぎに専念する我が国のマスメディア:

本19日の朝は午前4時から2局ほどニュースを見たが、何れもトップニュースが「シャンシャンの展示解禁」だった。テレビ局の軽佻浮薄と低俗さは今に始まったことではないので、ここにあらためて批判することでもないとは承知しているが、余りの下らなさには呆れているだけだ。新聞だって負けておらず、中国のパンダ外交にオメオメと載せられていることを批判する記事を掲載したのは産経だけだったと思う。

また産経は17日(日)の「新聞に喝」のコラムに神戸大学大学院法学研究科教授の箕原俊洋氏の「パンダ外交に調査報道のメスを」で「パンダの愛らしさをメデイアに大々的に報じてもらうことこそが中国政府のたくらみなのだから」と結んで批判しておられた。少し勇気を出して私にも言わせて貰えば「これくらいのことを言い出せないますメデイアは、こと相手が中国となるとからきしだらしがないものだ」となる。

箕原教授は文中で
“中国政府は1頭当たり年間1億円以上と報じられるレンタル料を徴収し中国共産党の懐を肥やすだけではなく、同国のソフトパワーを高め、自らの立場を認めさせるための戦術的な「武器」としてパンダを駆使している。そもそもパンダの希少性は中国政府が人為的に作り出している物だが、日本のパンダ報道ではこうした諸事実はほとんど報じられていない”

とも指摘されている。

確かにパンダのレンタル料は高額で、報道によれば1頭当たり年間100万ドル($1=¥112とすれば、約1億1,200万円となる)であり、子供が生まれれば60万ドルが追加されるそうだ。韓国などはその負担に耐えかねて返却したとも報じられたこともあった。

れほどの負担をするのが国なのか、貸与された動物園なのかは私には不明だ。だが、その負担分を稼ぎ出す為には、借りた法は軽佻浮薄なマスコミの手を借りても過剰とも見える広告宣伝活動を展開して少しでも多くの観客を動員せねばならないのは解らないでもない。だが、それこそが中国共産党か政府を利する結果になってしまうのでは、何と言いようもない無念さが残る。無邪気にパンダの熱狂する罪なき市民はそこまで思いを巡らすことなどあるのだろうか。

箕原教授はこのコラムの前半にこちらから中国に貸与を懇願した事実があったことにも触れられた後で「パンダ人気にあやかって関連のニュースを報道するのは大いに結構なのだが、もう少し踏み込んでその背景についても説明できないものだろうかと思わずにはいられない」として指摘しておられた。私は尤もな指摘だと思っている。マスコミはこれくらいのことは承知の上で煽っているのだろうが、罪は軽くないと思わざるを得ない。

余談だが、我が国で人気があるパンダは「ジャイアント・パンダ」のことのようで、中国では「大熊猫」となっているようだ。