新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月30日 その3 SM氏からのアメリカ便り

2017-12-30 17:16:06 | コラム
どこ吹く風の大統領:

カリフォルニア州のSM氏から、暫く振りに短くても大変興味深いアメリカ便りが来たので敢えて紹介しよう。

>引用開始
何処かの大統領のように如何なる逆風も悪評も何処吹く風で、結果は超株高に好景気で、今や再選の気配すら見えてきました。外野席で見ていても面白い状況です。
<引用終わる

という具合だ。外野席どころか何千マイルも離れた日本にいる私にも依然として unpredictable である姿勢を維持して Twitter などでは言いたい放題にしか見えないトランプ様ではあるが、あの好景気を招き入れたのでは(誰が?)再選をお考えになっても不思議ではない気がする今日この頃である


12月30日 その2 29日はジャズ・ボーカルを聴いて楽しんだ

2017-12-30 10:05:04 | コラム
エラ・フィッツジェラルドとセアラ・ボーン:

昨日は前夜とは異なって、意図的にこの2名のアメリカのジャズ界のボーカルでの大立て者のCDを探し出して、2枚とも最後まで2時間をかけて聴き抜いて、暫く振りにジャズのボーカルを堪能した。

私はボーカルではビリー・ハラデイー(Billy Holidayだが、ホリデーではない、念の為)を差し置いて、エラが最高の歌手だと評価している。このエラは1953年にJATPで我が国にやって来た時に貧しいアルバイト学生だった私は、何とか貯めた資金で今はなき日劇の3階席から遙か彼方のステージで歌っていたエラを聴く機会があった。

昨夜のCDは1958年のエラの誕生日の記念コンサートで歌ったもので「エラ・イン・ローム」(Ella in Rome)と題されていた。これは彼女の特徴である乗りに乗ってアドリブでこねくり回して歌うかと思えば、譜面通りに素直に(ストレートにと言うようだが)歌ってその卓越した上手さで聞き惚れさせるという、言わば両面作戦で60分間ウットリとさせてくれた。

私は寝そべってこういう素晴らしいCDを聞いていれば、それがジャズだろうとクラシカルだろうと、自然に色々な発想出てきて思いを巡らせられる貴重な時間となるのが楽しいのである。エラの場合には時には聞き惚れて無心になって、何にも思い浮かばないようにしまうことすらある。

2枚目は Sarah Vaughan(私は「サラ・ヴォーン」ではなく「セアラ・ヴォーン」だと思っている)のCDで、これは往年は静かな寂れた街だった百人町の大久保通りの雑貨屋のような店で¥300で買ったコンピレーションものである。彼女の傑作と言える歌が14曲も入っている。

私はセアラはエラほどではないまでも立派な歌手だと評価してきた。だが、昨夜のように初めてエラの後に聴いてみれば、格と言うべきか上手さには違いがあるかと感じた。また、このコンピレーションものでは彼女はほとんどの曲を崩すことなく譜面通りに歌っているので、エラとの違いが際立っていたと聞いた。だが、だからと言ってセアラが格下だとまでは言っていない。60分近くを十分に堪能させて貰えた。

結果的にはエラの時よりも色々なことを思い浮かべる余裕があって、昔の追憶や彼女の歌にあった私が好んだ街の一つだったサンフランシスコを思い出していたりした。さて、今夜は何を聴こうかと思案中である。


変わりつつある日本

2017-12-30 09:27:51 | コラム
高校のバスケットボールの全国大会を見て:

28、29日と徒然なるままに高校の何とかカップという、男女の決勝戦を見る機会があった。そこで非常にと言うか、あらためてと言うか印象的だったことは、男女の4校の中心となっている長身の選手が皆アフリカ系の父親を持つ者たちだった点だった。こういう現象と言うべきか傾向と言うべきか知らぬが、ヴァレーボールの世界にも群を抜く長身の優秀な選手が現れている。

また、野球界には楽天イーグルスのオコエ君がいるし、陸上競技の短距離走者には将来有望なサニブラウン・ハキーム君がいる。近年のオリンピックや我が国で開催される大きなマラソン大会で断然たる強さを発揮して優勝するのはアフリカ勢で、彼らの卓越した身体能力と優れた運動神経を見せつけられている。更に、一部の国にはそういうアフリカの優れた選手を帰化させた上で代表としてオリンピックに出している。

私は以前に「このままに推移せんか、オリンピックや世界選手権等がアフリカの諸国の代表が覇権を争う場になってしまうのではないか」と述べたことすらあった。その流れと言うべきか傾向というか俄に判断できないが、我が国にもアフリカ系の親の下に育った優れた選手(近年はカタカナ語で「アスリート」などと表現しているが)が明らかに増えてきた。彼らが順調に成長すれば、オリンピック等でも良い成績を残す時代が来るかも知れないとも考えられる。

言葉を換えれば、グローバル化かどうか知らないが、我が国にも(ここ新宿区百人町/大久保界隈に顕著に現れている傾向のように)中近東やアフリカの諸国から流入してくる者たちが増え続けていくことだろう。それが更に所謂「国際結婚」に発展していけば・・・とも考えて見れば、スポーツの世界には優れた能力を持った外国人を親のどちらかに持つ者が増えていくのではないだろうか。そういう選手たちの中には勿論白人と言うか欧米人を父に持つ者もいる事を忘れてはなるまい。

私にはこういう在り方が歓迎すべき事か、あるいは選手の強化策に繋がっていくものになるのかは全く解らない。だが、時代乃至は国際化というものは諸外国に対して保守的だと思われてきた我が国にも、明らかに変化をもたらしている気がするのだ。