新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月16日 その2 今井雅人代議士(無所属)を批判する

2018-11-16 15:05:40 | コラム
始末に負えない議員だ:

彼今井雅人は民主党の頃から、安倍内閣の閣僚や自民党の議員たちにモリ・カケ等に関する揚げ足取りだけの意義しか認められないような質問を執拗に繰り返す「困ったものだ」と思わせてくれる筆頭のような野党の議員だった。しかも困ったことに、当方と同じ大学の同じ学部・学科の出身者だった。これは矢張り恥じ入るべき事かと密かに悩んでいる次第だ。

その今井代議士が今度はどうも答弁が上手く行かないで苦しんでいるサイバー問題も担当される桜田義孝大臣を、またもや揚げ足取りの質問で責め立てていた。それは大臣がコンピュータを使えないと発言したからだった。今井は「サイバー問題担当大臣がコンピュータを扱えないとは言語道断だ」というようなことを言って非難したのだった。私は聞いていて呆れてしまった。Wikipediaによれば、彼は三和銀行勤務中にシカゴに5年も駐在したとあるから、ボス対秘書がどのような関係にあるかくらい承知しているべきだったからだ。

専属の秘書が就いているような地位にある幹部が仮令PCを自在に操れても、自分からそれを使って事務的な仕事に専念してどうするという問題だ。私でさえ1994年1月末にリタイアするまではPCの時代ではなかったから、本部や得意先との連絡の文書の原稿こそ手書きで秘書にタイピングを任せていたが、自分で打つことはなかったし、毎日送受信するFAXの文書は秘書が選別・整理して私に渡してくれる仕組みになっていた。判断業務と事務処理はハッキリと別けておくべき事なのである。

また、私が最初に転進したM社で就いて貰った秘書さんはヨーロッパで秘書をされていた経験もあったし、M社に転進してくる前はアメリカのテレビ局の日本支局長の秘書をしておられた実力者だった。ある時、私が昼休みに簡単なファイルホールダーの見出しを打とうタイプライターに向かったところ、食事中だった彼女が飛んできて「間違ってもボスともあろう方が私の仕事に手を出さないで下さい。昼休みでも何でもお急ぎであれば遠慮なく仕事を命じてください」と、寧ろ私が「秘書の仕事を侵害した」叱責された形となった。恥じ入った。ボス対秘書の関係とはそういうものなのだ。

また、私の友人でもある我が国が誇る多国籍企業の副社長だった人物は「在任中はコンピュータでの連絡文書の送受信は全て秘書に一任したあったので、自分が持っているPCを開いて読んだり発信することはなかった。受信したメールは全て熟練した秘書が仕分けして見せてくれる仕組みになっていたし、返信は口頭かメモ書き等で指示すれば処理して貰うようになっていた」と語っていた。これを換言乃至は極言すれば、自分自身はPCを扱えなくても、仕事に遅滞を来すことはなかったと言うこと。

更に言えば、今時のサイバー攻撃であるとかハッキング等の凄い技はPCでワードが使えるとかメールの送受信ができるとか、Googleを使って検索ができるとか、Amazonで買い物ができることなどとは全く次元が違う話である。また、桜田氏は大臣であるから、その大臣が日常から仕事としてPCに埋没していてどうするということだ。サイバー攻撃対策などは専門家中の専門家が為すべき業務で、桜田氏がPCを扱えるか否かの問題とは関係がないことだ。

私は同学の誼で言うが、今井とてそれくらいのことは承知していると思う。だが、何としても安倍総理の内閣改造の揚げ足を取ろうとして、最も欠陥が多そうな桜田氏を狙い撃ちしたのだと思っている。だが、何れにせよ姑息な手段であり、とても論評に値しないと思っている。兎に角、我が国の現在の野党は質が低すぎて話にならないと思う。遺憾ながら今井はその典型的な一人である。聞きはしないだろうが、猛省を促したいあい、「もっと建設的な質問をせよ」と忠告してやりたい。


あーあ、稀勢の里

2018-11-16 08:22:43 | コラム
無為徒食ではないか:

私は相撲批判派であり、関心はないと言ってきたし「マスコミ、特にNHKは相撲をスポーツ扱いするな」とも主張してきた。新聞の相撲欄は読まないので、場所中は新聞を読む時間が短縮されるとまで言ったこともある。だが、テレビのニュースでは採り上げられるので、何がどうなっているかは、好むと好まざるとに拘わらず承知させられている。

その姿勢を採りながらでも知り得たことが、モンゴル勢にほしいままにされてきた横綱に待望だったはずの日本人の稀勢の里が2017年1月場所の優勝で昇格したのだった。ところが、その稀勢の里は運悪く(とも言えるが)負傷続きで、まともに最後まで出た場所が少なく、8場所も休場し、今場所も4連敗の後でまたもや休場の止むなきに至ったそうだ。報道では当人はもう一度チャンスを与えて欲しいと言っているとかだ。

私はこれはとんでもない心得違いだと思っている。相撲とは違うスポーツの世界では「負傷(怪我等)は実力不足から生じるものであり、如何なる事情があっても弁解の余地はない」とまで厳しく言う人もいるのだし、当方もそう考えている一人だ。しかし、世間はマスコミも含めて稀勢の里に甘過ぎると思っている。負けた時に土俵から落ちて左肩を負傷したのが不運のように言って、速やかな復活を待つかのような論調が多い。間違ったものの見方であると断じる。如何に興行であっても甘過ぎる。

横綱としても彼の年収を検索してみると4,120万円と出てくる。月収にすれば340万台である。それだけの収入がありながら、それに相応しい成績を残すことなく負けては休場して「捲土重来」だの「十分に稽古して次場所では復活を」などと緩いことを言うのを周囲もマスコミも何ら批判することなく、崖っぷちだの何のと言うだけだ。相撲ファンという方々は余りに温情的で、4,000万円以上もの年収に見合わない相撲しか取っていない者を一向に責めないのだ。アメリカのビジネスの世界ならば、一発でトランプ様式に“You are fired.”となるところだ。

私でさえ、モンゴル勢の蹂躙に任せず横綱まで上がってきた精進・努力は評価しても良いだろうかとは思う。だが、あの負けてばかりの上に休場ばかりを看過する協会も相撲愛好者も温情が過ぎるし、稀勢の里自身も横綱としても自覚が余りにも不足していると批判しておく。彼も協会も4,000万円を無駄遣いさせている彼の為に、相撲愛好者は入場料を払って観に来てくださっているのではないと自覚すべきだ。