無事これ名馬のはずだが:
羽生君がグランプリ(フランス語だろうと思うが)のロシア大会で試合前の練習中にまた負傷したようだ。私はそこから先を問題にしたいのだ。彼はオリンピック2連覇で国民栄誉賞まで与えられた名選手だし、常に自己を高める工夫を怠らず野村萬斎にまで指導を仰いだりもしたし、自己に対して厳しい姿勢なども大したものだと思わせてくれる「ほぼ大選手」と言って良いと思う域にある。
それはそれで大変結構なのだが、自己に厳しすぎる余りか練習も常に自分の限界に追い込むというかそこまでの領域に挑戦しているか如くに見える。その為かあらぬか、怪我というか負傷が多くなっている。掲題の「無事これ名馬」を当て嵌めれば「名馬」か「大選手」ではなくなってしまいかねない弱点ではないか。それでも、彼は負傷を乗り越えて優勝してしまう凄さがある。偉いのだが、そこにも問題なきにしも非ずだ。
私はそこが問題であると思っている。団体競技ならば監督さんは故障者などは先発メンバーに加えたくないのが常識であろう。だが、羽生君の場合は痛みを堪えてでも出場して勝ってしまう。そこをまたマスコミが絶賛の嵐で褒め称えてしまう。私はこの姿勢はほぼ誤りであると断じている。故障をおして出て更に悪化させて将来を棒に振ったらどうするという論調が全くないのだ。寧ろ、羽生君の負傷には触れてはいけない話し合いでもあったかと思わせる。
平昌オリンピックでも右足首の故障を抱えて優勝して見せた。マスコミだけではなく日本全国で賞賛して「素晴らしい快挙」と喜び合った。誰一人として「ここで無理をして勝っても良いが、右足首が禍根を残して『また古傷が』という事態にならぬよう、参加を避けたらどうか」という声を上げなかった。私は元々が「怪我持ちか、故障者は出すべきでも出るべきでもない」という考え方であるから、あのオリンピックの優勝は「目出度さも中位なり」という受け止め方だった。
私はこの辺りに個人種目であるフィギュアスケートの微妙な点があると思っている。それは「出るか。出ないか」を決めるのは選手当人にであって、団体競技のように強い権限を持つ監督に当たる存在がないようにしか見えないのだ。要するに羽生君が「大丈夫です」と言えばそれまでのことで、彼が師事しているカナダ人だったかのコーチにも協会にも出場するか否かの決定権がないらしいのだ。
羽生君のテイームには医師もいるようだが、「出ると治療に3週間を要するから・・・」とは言ったようだが「出るな」とまでは指示していないような報道だった。私はこの点は是正されるべきではないかと考えている。羽生君のような選手がそうしょっちゅう出てくるものではないだろうから、誰かが彼にそういう点を十分に言い聞かせて「慎重に将来を考えるべき」と無理にでも自覚させる必要があると思うのだ。
彼は未だ23歳だそうだから、女性と違って未だかなり長い選手としての年月が残っていることを考えてはどうだろうかということだ。それに協会も世界的な大会には会長とは言わないが幹部級が帯同して然るべき指示を出すか、彼のような選手の監督的な役目か相談役のような存在になるべきではないかと思っている。もしかして、この協会も元選手の成り上がりばかりで、常識に欠けて世間が見えていないのかと不安になる。問題は羽生結弦君の将来をどう考えているかだ。
羽生君がグランプリ(フランス語だろうと思うが)のロシア大会で試合前の練習中にまた負傷したようだ。私はそこから先を問題にしたいのだ。彼はオリンピック2連覇で国民栄誉賞まで与えられた名選手だし、常に自己を高める工夫を怠らず野村萬斎にまで指導を仰いだりもしたし、自己に対して厳しい姿勢なども大したものだと思わせてくれる「ほぼ大選手」と言って良いと思う域にある。
それはそれで大変結構なのだが、自己に厳しすぎる余りか練習も常に自分の限界に追い込むというかそこまでの領域に挑戦しているか如くに見える。その為かあらぬか、怪我というか負傷が多くなっている。掲題の「無事これ名馬」を当て嵌めれば「名馬」か「大選手」ではなくなってしまいかねない弱点ではないか。それでも、彼は負傷を乗り越えて優勝してしまう凄さがある。偉いのだが、そこにも問題なきにしも非ずだ。
私はそこが問題であると思っている。団体競技ならば監督さんは故障者などは先発メンバーに加えたくないのが常識であろう。だが、羽生君の場合は痛みを堪えてでも出場して勝ってしまう。そこをまたマスコミが絶賛の嵐で褒め称えてしまう。私はこの姿勢はほぼ誤りであると断じている。故障をおして出て更に悪化させて将来を棒に振ったらどうするという論調が全くないのだ。寧ろ、羽生君の負傷には触れてはいけない話し合いでもあったかと思わせる。
平昌オリンピックでも右足首の故障を抱えて優勝して見せた。マスコミだけではなく日本全国で賞賛して「素晴らしい快挙」と喜び合った。誰一人として「ここで無理をして勝っても良いが、右足首が禍根を残して『また古傷が』という事態にならぬよう、参加を避けたらどうか」という声を上げなかった。私は元々が「怪我持ちか、故障者は出すべきでも出るべきでもない」という考え方であるから、あのオリンピックの優勝は「目出度さも中位なり」という受け止め方だった。
私はこの辺りに個人種目であるフィギュアスケートの微妙な点があると思っている。それは「出るか。出ないか」を決めるのは選手当人にであって、団体競技のように強い権限を持つ監督に当たる存在がないようにしか見えないのだ。要するに羽生君が「大丈夫です」と言えばそれまでのことで、彼が師事しているカナダ人だったかのコーチにも協会にも出場するか否かの決定権がないらしいのだ。
羽生君のテイームには医師もいるようだが、「出ると治療に3週間を要するから・・・」とは言ったようだが「出るな」とまでは指示していないような報道だった。私はこの点は是正されるべきではないかと考えている。羽生君のような選手がそうしょっちゅう出てくるものではないだろうから、誰かが彼にそういう点を十分に言い聞かせて「慎重に将来を考えるべき」と無理にでも自覚させる必要があると思うのだ。
彼は未だ23歳だそうだから、女性と違って未だかなり長い選手としての年月が残っていることを考えてはどうだろうかということだ。それに協会も世界的な大会には会長とは言わないが幹部級が帯同して然るべき指示を出すか、彼のような選手の監督的な役目か相談役のような存在になるべきではないかと思っている。もしかして、この協会も元選手の成り上がりばかりで、常識に欠けて世間が見えていないのかと不安になる。問題は羽生結弦君の将来をどう考えているかだ。