新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月4日 その3 kazk様へ

2018-11-04 14:34:32 | コラム
kazk様

私もそれほど間抜けではないつもりですから、ご指摘のことは理解しているつもりです。それに、私はサッカー出身ですから、一時は日本代表にラモス瑠偉と呂比須でしたか帰化人がいたことがあったのも承知しています。しかし、同じUKに起源がありながら、何故ラグビーとサッカーでは代表テイームがこれほど違うのかなと思っております。

ただ単純に「日本で生まれて日本の高校から大学等で日本式のラグビーで育った日本人だけのテイームの実力がどれくらいになるのか」と思っただけです。世界の規定などを考慮していません。単なる好奇心から言っています。もしもご指摘願うならば「そう思うか、思わないか」だけお聞かせ下さい。私はそれほど分からず屋ではないつもりです。宜しくお願い申し上げます。

真一文字拝

11月4日 その2 色彩感覚から文化比較論まで

2018-11-04 14:16:19 | コラム
続・続ビジネスマンの服装学:

本当は「色の道教えます」とでも言いたかったのだが、穏やかな題名にしてしまった。ジョン・モロイの「出世する服装」にそこまで規定していたかは失念したが、こと色彩に関してはかなり厳格なことまで言われているのだ。

先ずはスーツだが、往年の三越の紳士服売り場の誂えの係りには「原則は飽くまでチャーコールグレーか濃紺で、茶系統は遊びの色だから20着も持っているようになってからお持ちになった方が良い。少なくともビジネスの場には不適切である」と聞かされた。しかし、専門家には「茶系統は人の心を和ませる色だから」とも聞かされていた。そこで、私はその教訓を寧ろ逆手にとって、クレームの補償等の難しい話し合いや、厄介な値上げ交渉のように先方を刺激してはならない時には、敢えて茶色のスーツ着用にしていた。しかし、本部に出張して副社長と会う場合などには、絶対に着ていかない(持って行かない)ようにしていた。

「赤」も使い方を注意すべきものである。それは「赤は冬の色であり暑苦しいから、4~9月の間は細かく気を遣って使わないようにする必要があるのだ。即ち、赤いネクタイ、赤いワイシャツ(というのも変で「赤いカラーシャツ」とでもするか)は避けよ」という意味だ。それに「赤は人の神経を刺激する」とも言われているので、上記のような交渉事の席に出る時は避けるべきだと言うこと。現に闘牛士は赤い布を使って牛を刺激しているではないか。

服装とはそこまで気を遣うことかと驚かれる向きもあるだろうが、私はNY州の名家の一族で典型的なアッパーミドルというか、あるいはそれ以上に属するだろう短期的に上司だったMBAに、彼らの「キャジュアルな装いとは」を教えられた。それは濃紺のシングルのブレザーに空色の(ボタンダウンの)シャツで、ズボンは彼らが“khaki”(=カーキ色)と称する色のチノパンが定番なのだそうだ。となれば、靴の色も自ずと制限されてくるが、茶系統のローファー(Loafer)だけしか履けなくなってくる。事実、気をつけて見ていれば、そういう階層の者たちは概ねその装いだった。

ここである程度以上後難を恐れて言うが、我が国の会社で管理職以上役員までの方々がおよそこういう服装に対する知識がないというか気を配っておられず、既に述べたようにか金さえかけておけば良く、例えばネクタイならばフランスのエルメスを信仰している方が多いのである。こうなってしまうことの最大の原因の一つには「アメリかでは大手の企業で管理職以上になる者たちはほとんどがIvy League等の今や年間の学費が700万円にも達するような4年生大学とビジネススクールを経てきている良家の出である」という事実がある。

上記の私にキャジュアルな服装を教えてくれた人物は1980年代に2人のお子さんを東海岸等の私立大学に行かせていた。当時の貨幣価値で年間1,000万円を苦もなく出せるだけの裕福な家庭だった。私の生涯最高の上司だった副社長も、2人の子供をIvy Leagueの大学に行かせていた。そういう家庭に育った子供たちは親の服装を見ているし、そういう連中が住む住宅地にはそういう階層の者しか住んでいないので、環境が整っているというか、我が国とは一寸違うのである。

我が国では志士営々として努力して勉強すれば、如何なる地方の如何なる環境からでも国立一期校に進学できで、そこから霞ヶ関でも一流企業に進める機会があるのだ。だが、アメリかでは、例えばトランプ大統領の支持層のような階層に属する者や、プーアホワイト以下では(貰いきりの奨学金制度はあるが)年間700万円もの学費を4年+ビジネススクールの2年間も負担するのは不可能に近いだろう。即ち、アメリカは「不公平」な格差がある世界だと言えるのに対して、我が国は「悪」を付けても良いほど平等な世界だと言えるのではないか。同時に言えることは「我が国にはアメリカと較べれば、遙かに平等な機会が待っている」のではないか。

色彩感覚の話から些か逸脱してしまったが、私は服装を論じただけでも日本とアメリカとの文化比較論になると考えた次第だ


11月3日のスポーツ

2018-11-04 10:37:32 | コラム
冷静なる評論家は言う:

日本対ニュージーランドのラグビー:


正直に言って、我が代表がどのくらいの差で負けるかに興味と関心があった。だが、kazkさんに何と言われようと、諸外国が如何なるテイームの構成をしていようと、私は昨日の日本代表は「日本代表」という名のクラブテイームだと思っている。何が何でも良いから、一度で良いから、刺青がなく奇妙なヘヤースタイルではない普通の日本人だけの「日本代表」が世界ではどのくらいの強さ(弱さ)かを示す試合が見たいのである。この願いには理屈も世界の外国人に関する取り決めも関係ないのだ。

確かに昨日はニュージーランドが10本、我が代表が5本というトライの数での敗戦だったが、そこでどうしても目立ったのが外国から来た連中だったのだ。大体からしてキャプテンがニュージーランドからの帰化人で東海大学在学中にはマイケル・リーチだったものが、今では「リーチ・マイケル」となっているが、そういう人物がキャプテンなのも遺憾ながら遺憾なのである。序でに英語の講釈をしておけば「マイケル」というカタカナ表記は誤りであり、あれは「マイクル」が正しいのだ。

確かに我が代表のクラブテイームは上手くも強くもなっていたし、世界のランキング1位のニュージーランドから堂々と5本もトライを取ったのは立派だったと認めるのに吝かではない。SOの田村がキックパスから誰か知らない外国人が見事なトライをした辺りは絶賛ものだった。でも何であそこに日本人のウイングがいなかったのかと残念に思えてしまう。

重ねて言うが、諸外国が外国人も入れた代表テイームを作っているのは勝手であり、だからと言って我が国が同じ事をするのは私の好みではないだけのことである。そういう外国人交じりのテイームを応援に行って喜んでおられる方が多いのも勝手であり、私が批判する権利などないだろう。私は一度で良いから日本人だけで「日本代表」というクラブではないテイームの実力を知りたいのだ。

日本シリーズ:
第6戦目になったのだろうか、広島の惨敗に終わった。私はこの負け方がソフトバンクと広島というテイームの力の差があると見るのか、パシフィック・リーグとセントラル・リーグの間にはそもそも歴然たる実力の差があるという見方の何れを採るべきかと考えながら見ていた。試合開始前の閃きではソフトバンクの勝ちと出ていたので、広島がどういう形で負けるのかを見届けたかっただけの興味しかなかった。

何もこの試合だけのことではなかったが、広島はチャンスを逃し過ぎていたというか本塁上での「アウト」が多過ぎた。これはソフトバンクの守備がしっかりしていることを示すものだが、同時に広島の三塁ベースのコーチの判断が悪かったということである。特に何戦目だったか、菊地を一塁において余り当たっていない丸が3―0のカウントから打って出て見事に右中間を割った時に、あの間抜けコーチは菊地を本塁に突っ込ませた。アウトカウントと次打者が鈴木誠也であると考えれば、愚かな判断だった。

このコーチは何戦目だったかはどうでも良いが、確か安部が二塁走者だった時に会澤だったかの一二塁間をゴロで抜いたヒットの時にソフトバンクの肩が良い上林が浅く守っていた時も突っ込ませてアウトになった。このコーチはボンクラななのか勝ちを焦ったかの何れかだが、こんな好機の逃がし方を続ければ負けるのは当然だと思わせてくれた。だが、結論としては「こんな事をしているのが実力の差の現れ」であり、読売如きが蔓延っているセントラル・リーグの弱みでもある。

広島は全負け試合が一歩及ばないで負けたと見えるような感があったが、見ている方としては如何ともしがたい「歴然とした力の差があった」と思わせられていた。その広島に10ゲーム以上も離されて2位になったヤクルト、負け越しでも3位でCSに出た読売がソフトバンクと日本シリーズのような短期決戦に出たらどうなったかとも一寸だけ考えた。両テイーム共投手力が弱すぎて駄目だったろうが、やってみなければ解るまいとも思った。何れにせよ、CS制度は興行面では良かったかも知れないが、私は愚挙だと思う。