続・続ビジネスマンの服装学:
本当は「色の道教えます」とでも言いたかったのだが、穏やかな題名にしてしまった。ジョン・モロイの「出世する服装」にそこまで規定していたかは失念したが、こと色彩に関してはかなり厳格なことまで言われているのだ。
先ずはスーツだが、往年の三越の紳士服売り場の誂えの係りには「原則は飽くまでチャーコールグレーか濃紺で、茶系統は遊びの色だから20着も持っているようになってからお持ちになった方が良い。少なくともビジネスの場には不適切である」と聞かされた。しかし、専門家には「茶系統は人の心を和ませる色だから」とも聞かされていた。そこで、私はその教訓を寧ろ逆手にとって、クレームの補償等の難しい話し合いや、厄介な値上げ交渉のように先方を刺激してはならない時には、敢えて茶色のスーツ着用にしていた。しかし、本部に出張して副社長と会う場合などには、絶対に着ていかない(持って行かない)ようにしていた。
「赤」も使い方を注意すべきものである。それは「赤は冬の色であり暑苦しいから、4~9月の間は細かく気を遣って使わないようにする必要があるのだ。即ち、赤いネクタイ、赤いワイシャツ(というのも変で「赤いカラーシャツ」とでもするか)は避けよ」という意味だ。それに「赤は人の神経を刺激する」とも言われているので、上記のような交渉事の席に出る時は避けるべきだと言うこと。現に闘牛士は赤い布を使って牛を刺激しているではないか。
服装とはそこまで気を遣うことかと驚かれる向きもあるだろうが、私はNY州の名家の一族で典型的なアッパーミドルというか、あるいはそれ以上に属するだろう短期的に上司だったMBAに、彼らの「キャジュアルな装いとは」を教えられた。それは濃紺のシングルのブレザーに空色の(ボタンダウンの)シャツで、ズボンは彼らが“khaki”(=カーキ色)と称する色のチノパンが定番なのだそうだ。となれば、靴の色も自ずと制限されてくるが、茶系統のローファー(Loafer)だけしか履けなくなってくる。事実、気をつけて見ていれば、そういう階層の者たちは概ねその装いだった。
ここである程度以上後難を恐れて言うが、我が国の会社で管理職以上役員までの方々がおよそこういう服装に対する知識がないというか気を配っておられず、既に述べたようにか金さえかけておけば良く、例えばネクタイならばフランスのエルメスを信仰している方が多いのである。こうなってしまうことの最大の原因の一つには「アメリかでは大手の企業で管理職以上になる者たちはほとんどがIvy League等の今や年間の学費が700万円にも達するような4年生大学とビジネススクールを経てきている良家の出である」という事実がある。
上記の私にキャジュアルな服装を教えてくれた人物は1980年代に2人のお子さんを東海岸等の私立大学に行かせていた。当時の貨幣価値で年間1,000万円を苦もなく出せるだけの裕福な家庭だった。私の生涯最高の上司だった副社長も、2人の子供をIvy Leagueの大学に行かせていた。そういう家庭に育った子供たちは親の服装を見ているし、そういう連中が住む住宅地にはそういう階層の者しか住んでいないので、環境が整っているというか、我が国とは一寸違うのである。
我が国では志士営々として努力して勉強すれば、如何なる地方の如何なる環境からでも国立一期校に進学できで、そこから霞ヶ関でも一流企業に進める機会があるのだ。だが、アメリかでは、例えばトランプ大統領の支持層のような階層に属する者や、プーアホワイト以下では(貰いきりの奨学金制度はあるが)年間700万円もの学費を4年+ビジネススクールの2年間も負担するのは不可能に近いだろう。即ち、アメリカは「不公平」な格差がある世界だと言えるのに対して、我が国は「悪」を付けても良いほど平等な世界だと言えるのではないか。同時に言えることは「我が国にはアメリカと較べれば、遙かに平等な機会が待っている」のではないか。
色彩感覚の話から些か逸脱してしまったが、私は服装を論じただけでも日本とアメリカとの文化比較論になると考えた次第だ。