新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月6日 その2 PredictableとUnpredictable

2019-05-06 15:02:21 | コラム
金正恩委員長とトランプ大統領:

10連休中には恨み節ばかりでまともなことを採り上げてこなかったので、折角最終日にはなったことでもあり、少しは世界の情勢にも目を向けてみようと思うに至った。世界は「日本では10日も休みが続くようだから、何も変化させずに待っていてやるか」などという温情の持ち合わせはなかったようだ。

Predictableだった:
先ずは十分に“predictable”だったと思わせてくれた5月4日のDPRKの9発の飛翔体発射から。何処のテレビ局だったか「この発射はUNのSecurity Councilの決議違反である」などという誠にnaïveな報道をしていた。私は彼らとて金正恩委員長及びDPRKがUN如きの決議に従順に従う訳がないくらいは承知していたとは思っている。金委員長がそんな決議に従うくらいであれば、兄を暗殺したり、叔父を処刑する訳がなかったのではないか。我が国の一部の純真な人たちを惑わすような報道をするのは怪しからんと思う。

この発射については専門家の方々が色々とご意見を述べておられたようだ。私は金正恩委員長は事ここまでに至れば(と言うか2度目のトランプ大統領との会談が決裂した以上)最早トランプ大統領に軽視された文在寅大統領頼むにたらずと判断してプーテイン大統領を訪問して会談もしたし、アメリカとの関係が思うように運んでいない習近平主席と組む方が単独でアメリカと渡り合うよりは遙かに得策であると判断したのだと見ている。私は金正恩委員長が易々とアメリカが望む非核化には応じないだろうと読んでいる。

Unpredictableだった:
次は矢張り“unpredictable”だったかと再認識させて頂けたトランプ大統領である。テレビでは報じていても新聞には間に合わなかったようだが、時事は「トランプ米大統領は5日、中国からの輸入品2000億ドル(約22兆円)相当に対する追加関税を10日に10%から25%へ引き上げるとツイッターで表明した。中国との貿易交渉も中断か」と報じていた。私はつい先日「トランプ大統領は中国を徹底的に叩くと報じられていたが、どうやらそこまではなさらないような風向きである」と書いたばかりだった。見事に読み間違ってしまったようだ。

早速、ある専門家は「この決定は我が国の経済にとって少なからぬ影響を与えるだろうし、株式市場が再開される明日の相場が気懸かりだ」という懸念を表明していた。専門家ではない私でも、そういう事態はあり得るだろうとは思う。冗談半分に言えば「10連休だ」などと言っているから、トランプ様が「目を覚ませ。世界は待っていないぞ」と、敢えて警鐘を鳴らされたのだと考えている。

失礼を顧みずに敢えて予てから抱いていた疑問を述べてみれば、トランプ大統領は「関税率を引き上げれば中国はアメリカ向け輸出は不利益であるからと見て手控えるだろう」と期待しておられるのではないかと思う。関税が高くなった分はアメリカの輸入業者か需要者が負担するのであって、中国がアメリカ向けにC&FでもCIFででも輸出する製品の中国の手取りは変わることはないのである。トランプ大統領は既に「関税を引き上げた結果で財務省にはドンドン現金が入ってきている」という勘違いをされていた実績があるので、その点を認識されたのかと懸念するのだ。

それはそれとして、トランプ大統領が矢張り中国との貿易戦争というか通商協議を中断されるかも知れないという方向に進まれるのであれば、世界の経済に与えるだろう深刻な影響が徐々に現実のものになって行くのではないかと思わせてくれる気がする。だが、一帯一路等に見せる習近平の傍若無人振りを見れば、トランプ大統領が意を決して中国叩きに敢えて再度出て行かれたのかとも思える。

10連休の最終日に思うこと

2019-05-06 08:41:22 | コラム
私にとっては有害無益の連休だった:

漸く最終日となってホッとしている。最早リタイアして25年も経ってしまった私にとっては、今回のような長期間の連休などは有害無益であり百害あって一利なしだったかも知れないのだった。明日掛かりつけのクリニックに行けば、待ちかねた高齢者で待合室は超満員だろうと想像するだけでも憂鬱だが、何としても診て頂きに行かねばなるまい。

我が家ではアメリカの会社に変わる前でも、連休(「ゴールデンウィーク」のことだが、英語にすればこの後に“holidays”と付けないと通じないと思うよ)でもお盆でも、一家を挙げて何処かに出掛けると言うことはしなかった。それは交通機関と目的地の混雑を考えれば、休暇どころか「骨折り損のくたびれもうけ」に行くようなものだと考えていたからだった。しかし、何事も個人が単位で同じ部員の誰とも重複した仕事をしていないアメリカの会社では、確かに自分が取りたい時に有休を取って遠出をすることは可能だった。

だが、自分が自己都合で1週間も空けてしまった時に得意先にかけるご迷惑と秘書さんに過剰な負担を強いることが気になって、10年くらい経つまでは、ごく短期間の有給休暇しか取る勇気しかなかった。もし休むにしても、GWの連休とかお盆は必ず避けていた。ところが、一度だけお盆などに配慮がない本部からその期間中に重大な会議があるので出席せよとの指令が来たことがあった。本社の最寄りの空港はシアトルだが、当時は未だそれほど人気がある都市ではなかったので、何とかノースウエストの往復の席は確保できた。

そこまでは良かったが、問題は帰りに発生した。シアトルから成田までは何と言うこと無しに到着し、入管も何となく通常通りに通れたのだった。だが、荷物を受け取ってからが地獄だった。1980年代には未だ「キャリーバッグ」のような手軽なものは存在せず、旅行者はスーツケースやガーメントバッグやブリーフケースを自力で運ばねばならなかったのである。言うまでもないが、これは大変な重労働だった。私はこれらの3点を抱えて何時ものようにカートを取りに出向いた。

だが、その時間帯は多くの便が到着している頃なので、カートを取る為の行列は夢にも思わなかった1時間待ちだった。重い荷物を持って税関検査の列に並べば良いじゃないかと言われそうだが、仮令スーツケースをサッカーで鍛えた脚で蹴飛ばしてでも進んだとしても、順番が回ってくる前に体力が尽きてしまっただろうと思う。兎に角、カートが取れて全ての手続きが終わって外に出たが、都内に戻れる成田エクスプレスも京成のスカイライナーも90分以上は待たないと空席がない状態。

ならばとバスの便を当たるとYCAT行きに1時間後に空席があったので、兎に角それを利用することで大きな荷物を抱えて空港ビルの外で待っていた。なお、当時は未だ藤沢に住んでいたので、横浜まで戻れれば何とかなると判断したのだった。ここまでで既に成田到着から3時間近くが経っていた。そこから横浜までは1時間以上かかるし、YCATから藤沢までタクシーがあったとしてもこれまた1時間コースである。

と言うことは、大袈裟に言えば成田に着いてから家に帰るまでの間に再びシアトルまで飛べるかも知れない時間がかったのである。この経験で「如何にお盆の時期に海外に出るのが大変なことか」と十分に学習できたのだった。そうであっても、我が国の「皆で一緒にやろう。皆で一丸となって事を進めよう」という思想の下に会社というか社会が運営されているのであれば、「皆が一斉に休んで、一斉に休暇を楽しもう」という仕組みは容易に変わることはないだろうと思っている。

では、アメリカ式に自分が取りたい時に休暇を取って楽しむのが如何にも理想的であるようだ。だが、実際に経験して見れば決してそんなことはない。自分が空けていた期間のあらゆる仕事というか業務は秘書さんは勿論、誰も手をつけることなく放置されていて、オフィスの主のお帰りを待っているのだ。その山積した業務を何とか片付けて追い付くまでには、時にはアッという間に1週間くらいは経ってしまうのだ。これが1週間でも何でも楽をしてきたことの個人主義の代償なのだ。貴方は日本式とアメリカ式の何れが良いと思われますか。