新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月17日 その2 私の景気論(大幅な賃上げが望ましい)の訂正版

2019-05-17 15:09:49 | コラム
景気は後退したのか:

Bloombergによれば
「内閣府は5月13日に発表した3月の景気動向指数で、一致指数の基調判断を景気後退の可能性が高いことを示す「悪化」に引き下げた。この表現が使われたのは2013年1月分の統計以来、6年2カ月ぶり。従来は景気後退に入った可能性を示唆する「下方への局面変化」だった。一致指数の基調判断は、当月の前月比がマイナスかつ3カ月後方移動平均が原則として3カ月以上連続でマイナスという条件を同時に満たした場合に機械的に引き下げられる。」

とのことで、以来マスコミでは景気後退論が一気に採り上げられるようになった。中でも私にとって印象的だったのが第一生命経済研究所の長濱氏が「景気は既に昨年の後半には後退しつつあった」と指摘した点だった。偉そうに言えば「専門家もそう見ていたのか」と感じたということである。

より具体的に批判を怖れずに言えば「今日までのように多くの経営者が内部留保に指向するのみで賃金を上げず、市中というか銀行に資金溢れても優良な借り手が不足し、高齢者が人口の25%を超えてしまった時代では、内需が盛り上がらないのも仕方がないことではないか」なのだ。


私は「街角景気診断」と称して最早そう頻繁に利用する訳でもないタクシーに偶に乗ると、必ず運転手さんたちに景気の程を質問してきた。理屈を言えば「景気が良いですよ。儲かって仕方がない」などとい言う人はいないだろう。だが、ここ5年ほどの間では「決して世間で言われているほど景気は良くないと思う」か「何処かでは好景気な業界もあるだろうが、その好景気は未だに我々の業界までには降りてきていない」と言ったような返答が圧倒的に多かった。

中には「多くの会社が経費節約の方向により一層指向しているようで、営業マンが得意先を訪問する際に事前にタクシー利用と申請しておなかないとタクシー代が経費として認めて貰えない商社あるようだ」であるとか「従来のように、お客様を接待した後でご自由にお使い下さいとタクシー券を渡すのが非常に減った」という声もあった。このように企業が交通費を節約しようとする傾向は昔からあったのだが、最近ではその傾向が益々激しくと言うか厳しくなったという解説だった。

実のところ私は景気がバブル時代のように盛り上げることはもうないとは信じているが、街角景気診断的に言えば「近年に本当に国民全体がその恩恵に浴するような景気が良かった時期など無かったと思っているのだ。これは統計や理論とは別なことで、街を歩いて得た皮膚感覚ではそのようにしか感じられなかったということだ。

私はこのような経営者たち経費節減に走る傾向の裏には内部留保の積み増しと共に、専門家が指摘される「先行きへの不安」があることは否定できないと思う。確かに菅官房長官は「リーマンショック級の事態が生じない限り消費税率引き上げは実行する」と言われるが、現在の景気の動向は上述のような多くの不安要素と言うか芳しくない条件が重なった所に、アメリカ対中国の最早単なる貿易戦争状態という言葉では表しきれない世界経済に影響をもたらす事態が生じたので、全てを総合すればリーマンショック級になってしまうのではないかというところだろう。

街角景気診断という点ではもう月に一度行くか行かないかではあるが、デパートの状態を観察するのも判断材料になると思う。ここ新宿区では西口の小田急と京王の遼百貨店になるが、感覚的に言えば「何時行っても買い手よりも売り子の方が多いのではないか」という状況と見える。だが、経済的な価格で買える量販店、ドンキホーテであるとビックカメラや大型のスーパーではお客の入りは良いと思う。極端な表現用いれば「給料が上がらない以上、安いところで買おう」という消費者心理が表れているのだと思うが、如何か。

大規模小売業がどちらかと言えば振るわないなのは、EC(例えばAmazon)が現在のように広く深く浸透してしまえば当然の帰結だとは思う。それに我が年代のような高齢者が増え続ければ、如何に時代の先端を行く新製品が出ても「今更何か買っても終活には負担になるのでは」と危惧して買い控えるのではないだろうか。現に、ここ2年ほどは消耗品的な衣料等は買うが、今更スマートフォンでもあるまいと自覚して、使い慣れたガラケイで通信費代を節約している。

時々乗り物の中で一心不乱にスマートフォンをいじくっている若者(いえ、いい歳をした人も増えましたがね)たちの様子を見ると、「ひょっとして彼らの可処分所得はあらかたこの端末に振り向けられているのではないか、だから彼らはあのような安物のスーツを着ざるを得ないのではないのか」などと考えてしまうのだ。彼らには「あんな機器を喜んで買ったところで、潤うのはアメリカと何処かアジアの余所の国で、我が国は彼らへの部品納入業でしかなくなったのだぞ」と言ってやりたくもなる。

と、色々なことを言っては来たが、快刀乱麻を断つような結論を出せば「アメリカ対中国の争いがあそこまで来た以上、我が国ではより一層内需を振興させるべきだと思う。(ここから先は以前にも採り上げた「鶏が先か卵か先か」論争にはなるが)私は経営者たちにはこの局面では思い切った賃上げを実行して貰うのが先だと言いたいのだ。それも、小手先の昇級ではなく、中小の下請け会社にまでその恩恵が行き渡る可能性があるような大幅なものであって欲しいのだ。私の脳裏に残る一抹の不安は「折角の昇級分がまたまた貯蓄に回ってしまう」事なのだ。

私の景気論(賃上げが望ましい)

2019-05-17 14:57:36 | コラム
景気は後退したのか:

Bloombergによれば
「内閣府は5月13日に発表した3月の景気動向指数で、一致指数の基調判断を景気後退の可能性が高いことを示す「悪化」に引き下げた。この表現が使われたのは2013年1月分の統計以来、6年2カ月ぶり。従来は景気後退に入った可能性を示唆する「下方への局面変化」だった。一致指数の基調判断は、当月の前月比がマイナスかつ3カ月後方移動平均が原則として3カ月以上連続でマイナスという条件を同時に満たした場合に機械的に引き下げられる。」

とのことで、以来マスコミでは景気後退論が一気に採り上げられるようになった。中でも私にとって印象的だったのが第一生命経済研究所の長濱氏が「景気は既に昨年の後半には後退しつつあった」と指摘した点だった。偉そうに言えば「専門家もそう見ていたのか」と感じたということである。

より具体的に批判を怖れずに言えば「今日までのように多くの経営者が内部留保に指向するのみで賃金を上げず、市中というか銀行に資金溢れても優良な借り手が不足し、高齢者が人口の25%を超えてしまった時代では、内需が盛り上がらないのも仕方がないことではないか」なのだ。

私は「街角景気診断」と称して最早そう頻繁に利用する訳でもないタクシーに偶に乗ると、必ず運転手さんたちに景気の程を質問してきた。理屈を言えば「景気が良いですよ。儲かって仕方がない」などとい言う人はいないだろう。だが、ここ5年ほどの間では「決して世間で言われているほど景気は良くないと思う」か「何処かでは好景気な業界もあるだろうが、その好景気は未だに我々の業界までには降りてきていない」と言ったような返答が圧倒的に多かった。

中には「多くの会社が経費節約の方向により一層指向しているようで、営業マンが得意先を訪問する際に事前にタクシー利用と申請しておなかないとタクシー代が経費として認めて貰えない商社あるようだ」であるとか「従来のように、お客様を接待した後でご自由にお使い下さいとタクシー券を渡すのが非常に減った」という声もあった。このように企業が交通費を節約しようとする傾向は昔からあったのだが、最近ではその傾向が益々激しくと言うか厳しくなったという解説だった。

実のところ私は景気がバブル時代のように盛り上げることはもうないとは信じているが、街角景気診断的に言えば「近年に本当に国民全体がその恩恵に浴するような景気が良かった時期など無かったと思っているのだ。これは統計や理論とは別なことで、街を歩いて得た皮膚感覚ではそのようにしか感じられなかったということだ。

私はこのような経営者たち経費節減に走る傾向の裏には内部留保の積み増しと共に、専門家が指摘される「先行きへの不安」があることは否定できないと思う。確かに菅官房長官は「リーマンショック級の事態が生じない限り消費税率引き上げは実行する」と言われるが、現在の景気の動向は上述のような多くの不安要素と言うか芳しくない条件が重なった所に、アメリカ対中国の最早単なる貿易戦争状態という言葉では表しきれない世界経済に影響をもたらす事態が生じたので、全てを総合すればリーマンショック級になってしまうのではないかというところだろう。

街角景気診断という点ではもう月に一度行くか行かないかではあるが、デパートの状態を観察するのも判断材料になると思う。ここ新宿区では西口の小田急と京王の遼百貨店になるが、感覚的に言えば「何時行っても買い手よりも売り子の方が多いのではないか」という状況と見える。だが、経済的な価格で買える量販店、ドンキホーテであるとビックカメラや大型のスーパーではお客の入りは良いと思う。極端な表現用いれば「給料が上がらない以上、安いところで買おう」という消費者心理が表れているのだと思うが、如何か。

大規模小売業がどちらかと言えば振るわないなのは、EC(例えばAmazon)が現在のように広く深く浸透してしまえば当然の帰結だとは思う。それに我が年代のような高齢者が増え続ければ、如何に時代の先端を行く新製品が出ても「今更何か買っても終活には負担になるのでは」と危惧して買い控えるのではないだろうか。現に、ここ2年ほどは消耗品的な衣料等は買うが、今更スマートフォンでもあるまいと自覚して、使い慣れたガラケイで通信費代を節約している。

時々乗り物の中で一心不乱にスマートフォンをいじくっている若者(いえ、いい歳をした人も増えましたがね)たちの様子を見ると、「ひょっとして彼らの可処分所得はあらかたこの端末に振り向けられているのではないか、だから彼らはあのような安物のスーツを着ざるを得ないのではないのか」などと考えてしまうのだ。彼らには「あんな機器を喜んで買ったところで、潤うのはアメリカと何処かアジアの余所の国で、我が国は彼らへの部品納入業でしかなくなったのだぞ」と言ってやりたくもなる。