新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

今週は活動し過ぎだったか

2019-05-31 15:39:10 | コラム
顎関節症は快方に向かって来た:

今週は延べ日数3日で4ヶ所の病院とクリニックを回ってきた。その間の29日には、せめてジェットバスには入って疲労感を和らげでおこうとばかりにジムにも行っていた。28日に国立国際医療研究センター病院循環器内科の待合所で偶々語り合ったご婦人が「病院に来て待っている間に味合わざるを得ない独特の暗い雰囲気には負けるのか、大いに疲労感を覚えるのがイヤだ」と言われるのを聞いて、全くその通りだと痛感した次第。

昨30日が今週最後の病院通いで、東急目黒線(この名称に馴染みのない方には「その昔の目蒲線のこと」と言えばお解り願えるだろうか)の洗足にある昭和大学歯科病院顎関節症治療科に午後4時の予約で出掛けていった。新大久保から山手線に乗ったのは3時頃だが、この駅は何時も通りの大混雑でエスカレーターのない駅で何処からやってくるのか知らない外国人の中を掻き分けてプラットフォームまで脚が衰えてきた高齢者が上がっていくのは、容易ならざる作業となる。

目黒駅もその昔をしか知らない私には、去る3月20日に初めて乗り換えた時には車内のアナウンスが「日吉行き」と行っているのを聞いて、東急東横線に間違えて乗ったのかと驚いて飛び降りて行く先を再確認したのだった。兎に角、都内ではJRでも私鉄でも何年(何十年?)振りかで降り立つと、自分が何処にいるのかが解らなくなるほどと言うか、困惑させられるほど変貌しているので困る。渋谷駅などは余りの変わりように駅員に何処に行けば地上に出られるのかと尋ねたほどだった。自慢だが、これでも東京生まれで東京育ちである。

それでも、昨日が3度目であれば何ら彷徨うことなく洗足駅で降りて、昭和大学歯科病院に辿り着くことは出来た。以前にも述べたが顎関節症治療科には「これほど同病の人がいるのか」と感動?させられたほど多くの患者さんがいる。私は色々と検査して頂いた後で4月20日の前回よりも口が大きく開けられる状態になり良い方向に向かっているので、今後とも指定した顎の運動を続けるようにと指示されて終わった。次回の予約は7月11日だったと言うことは「完治するまでには未だ先は長いぞ」という意味のようだ。

帰路の目黒から午後4時半近くに乗った山手線の車中では、私の顔を見たアジア人の若い男女がさっと立ち上がって席を譲ってくれたのには感謝したし驚きもした。敢えて「我が国で」と言うが、電車に乗るや否や一心不乱にスマートフォンをいじっている若者が席を譲ってくれることが少なくなってきた。決して譲れと言うのではないが、何度か利用したソウルの地下鉄では我々夫婦の姿を見るや直ちに何人かの若者は立ち上がって「座ってくれ」というジェスチャーをする。これは儒教の精神の表れだと解釈して素直に「カムサハムニダ」と座らせて貰った。

では顎関節症はどのような状況かと言えば、今週になって試してみた寿司は軽々と開けた口の中に入るし、噛んでいても何の痛みもないところまで来たし、「もつ煮」の「もつ」もそれほど苦労せずに噛み切れるまでになっていたのだ。病院の指示書には「顎の運動は入浴中が良い」とあったので、「恥も外聞もあるか」とばかりにジムの大きな風呂の中で人目を気にして敢行している。特に右手の指で下顎を引き下ろす運動などは2分以上はかかるので、のぼせてくるので大変だ。兎に角、1日も早く治りたい一心で一所懸命にやっている。

昭和大学歯科病院顎関節症治療科の菅沼教授には「軽症の部類であり、顎の運動をすれば95%は治る」と言われたので、それを信じて毎日3回の運動を続けてきた。だが、これほど長期間を要するものとは知らなかった。だが、初期には噛めない、食べられない恐怖(?)から食欲も減退し、1月中旬には55~56 kgはあった体重は今や50 kgすれすれまで減ってしまった。現在では沢山食べなければならないとは解っていても、食べ物を見た時点で何となくあの頬の辺りの筋肉の痛さを思い出して、食欲が減退することが多いので困っている。

ところで本日だが、昨日までの過剰(?)だったかのような活動のせいか、どっと疲労感が出てジムに行こうという意欲が出なかった。そういうことではダメだと奮起して何時もより1時間遅いバスで出掛け、十分にマッサージチェアで体をほぐしてから入浴して漸く我を取り戻して、その気になって昼食も摂ったという状況。自分では「疲れた」と思っていたにも拘わらず、今日もまた「何時見ても元気そうで」と言われてしまった。と言うことは「疲れた」と感じているのは、自分だけの思い過ごしだったかと、少し反省もしている。