私は通訳もする当事者として務めてきた:
安倍総理とトランプ大統領の会談がほぼ全部(だったのだろうか?)中継され、高尾直氏が的確に総理の発言を英訳しておられる様子を見て(聞いて)、1993年末までは「通訳もする当事者」として(アメリカ側の一員としての責任感もあって)永年担当してきた仕事を思い出しては、高尾氏は実に完璧な立派な仕事をしておられるなと感銘を受けながら拝聴した次第だった。しかし、本音を言えば、高尾氏の通訳の仕方は職責上あのようにせざるを得ないのだろうと思うが、通訳を専業とされる方々が職業上の束縛(と言って良いと思う)から、飽くまでも忠実に逐語訳をされ、何ら余計な言葉を差し挟まないのと同じ手法かなと感じていた。
そう感じたからこそ、今朝ほど「極めて格調高い文語的な英語」という表現をしたのだった。高尾氏の経歴をネット上で拝見するとかなりの年数を英語の世界で過ごしてこられたことが解る。だが、外務省のキャリアの事務官として総理に随行されている以上、私の年来の主張であり信念でもある「通訳とは(元の発言を)破壊と再構築することである」という方式は間違っても採用できないとの信念でやっておられるのだろうと思いながら聞いていた。
であるようだから、例えば総理がある信念を述べられた時に、私ならば(勝手に?)“I firmly believe ~”か“My opinion on this matter is ~”と言ったような導入部をつけてから英語にしていただろうと考えてしまうのだ。即ち、日本語には主語の省略が多い表現が多いし、誰の考えであるかは言わずともお互いに有無相通じるという文化があるので、通訳専業の方は元の発言に忠実に逐語訳されるのだと思っている。即ち、高尾氏もそのような手法で見事に総理の意を伝えておられたという印象だった。
誤解無きよう申し上げておくと、私の論点は飽くまでも手法の違いであり、ビジネスの席での「通訳もする当事者」意識から出た発言なのである。優劣を論じてはいない、念の為。思うに、1993年までの現職だった頃の私にも専業の通訳の方と同じようにもその気になれば出来たかも知れないが、私の手法は何があろうと「破壊と再構築主義」を押し通したであろうと思っている。
振り返ってみれば、これまでにも何度か論じたことだが「通訳とは頭の中を完全に空乃至は無にして、発言者の意図を正確に伝えるように言われたことに異議を唱えるとか間違いがあるなどという思いが浮かぶことなど無いように、無心で別の言語に直していくこと」なのである。だが、我々は日本のお客様対アメリカの輸出業間の重要な商談の席に就いているので、事前に十二分に打ち合わせておいた副社長の意向を相手方に疑問を生じさせないように破壊して再構築して日本語にしてご理解願う為の最善の方法と思う訳をしてきたのだ。
同様に、私が出ている席ではお客様側の日本語の発言をも間違いなく英訳して副社長に完全に理解させねばならないという重大な責任も負っているのだ。実は、この際でも「彼はこう言っておられるが、これはこういう背景があって、このような主張になっていると解釈しているが、ここでは遺漏無きように逐語訳にしてみるからそのつもりで聞いて欲しい」という注釈をつけて英訳することも屡々あったものだった。その背景には事前にお客様にが「如何なる主張をされたいか」はある程度以上探っておいたからこそ出来る技なのだ。
私は総理が高尾氏とそこまで徹底的に会談前に叩いておかれる時間の余裕があったのかと考えてしまう。それは総理が「こういうことを表現したい場合にはこういう言い方をする」とか「本日の主たる議題はこれとこれの何点かに絞るので、事前に準備しておくように」と高尾氏と打ち合わせされておければある程度理想的だという意味だ。更に言えば、高尾氏が常に総理と行動を共にされて、言葉や表現の癖まで把握できていると素晴らしいのだ。私は生涯最高の上司と表現してきた副社長とは10年以上の部下としてその日のご機嫌まで読めるようになっていたから言うのだ。
正直な事を敢えて言えば「通訳などという仕事は俺以外に誰がここまで出来るか」というような言わば思い上がった自信というか自己過信と信念がないことには容易には出来ない仕事だと思っている。しかも、時と場合によっては何も直接には関係の無いような事柄が話題になるのだから、あらゆる事態に対処できるような知識まで要求されることが当たり前のように生じるのである。それが上手く出来た時などは密かに「どうだ、俺は」と自己陶酔に陥っているのだ。そこで、場合によっては如何なる事態が生じるかの例を挙げていこう。
今でも「あの時は善くぞ切り抜けたものだ」と鮮明に覚えていることがある。それは仕事以外に突然依頼された通訳の場で「存在感」という言葉が出てきた時のことだった。「しまった。知らない表現だ」と慌てたが、自然に口から出たのが“presence”で、後になって知ったのだが正解だった。自慢話序でにその時に出会った表現が「我がテイームは未だ未だです」と謙遜されたものだった。これも弱ったが、“We still have a long way to go.”で何とかその場を凌いだ。これは正解か否かは未だに知らないが、当たらずといえども遠からずだと信じている。
安倍総理とトランプ大統領の会談がほぼ全部(だったのだろうか?)中継され、高尾直氏が的確に総理の発言を英訳しておられる様子を見て(聞いて)、1993年末までは「通訳もする当事者」として(アメリカ側の一員としての責任感もあって)永年担当してきた仕事を思い出しては、高尾氏は実に完璧な立派な仕事をしておられるなと感銘を受けながら拝聴した次第だった。しかし、本音を言えば、高尾氏の通訳の仕方は職責上あのようにせざるを得ないのだろうと思うが、通訳を専業とされる方々が職業上の束縛(と言って良いと思う)から、飽くまでも忠実に逐語訳をされ、何ら余計な言葉を差し挟まないのと同じ手法かなと感じていた。
そう感じたからこそ、今朝ほど「極めて格調高い文語的な英語」という表現をしたのだった。高尾氏の経歴をネット上で拝見するとかなりの年数を英語の世界で過ごしてこられたことが解る。だが、外務省のキャリアの事務官として総理に随行されている以上、私の年来の主張であり信念でもある「通訳とは(元の発言を)破壊と再構築することである」という方式は間違っても採用できないとの信念でやっておられるのだろうと思いながら聞いていた。
であるようだから、例えば総理がある信念を述べられた時に、私ならば(勝手に?)“I firmly believe ~”か“My opinion on this matter is ~”と言ったような導入部をつけてから英語にしていただろうと考えてしまうのだ。即ち、日本語には主語の省略が多い表現が多いし、誰の考えであるかは言わずともお互いに有無相通じるという文化があるので、通訳専業の方は元の発言に忠実に逐語訳されるのだと思っている。即ち、高尾氏もそのような手法で見事に総理の意を伝えておられたという印象だった。
誤解無きよう申し上げておくと、私の論点は飽くまでも手法の違いであり、ビジネスの席での「通訳もする当事者」意識から出た発言なのである。優劣を論じてはいない、念の為。思うに、1993年までの現職だった頃の私にも専業の通訳の方と同じようにもその気になれば出来たかも知れないが、私の手法は何があろうと「破壊と再構築主義」を押し通したであろうと思っている。
振り返ってみれば、これまでにも何度か論じたことだが「通訳とは頭の中を完全に空乃至は無にして、発言者の意図を正確に伝えるように言われたことに異議を唱えるとか間違いがあるなどという思いが浮かぶことなど無いように、無心で別の言語に直していくこと」なのである。だが、我々は日本のお客様対アメリカの輸出業間の重要な商談の席に就いているので、事前に十二分に打ち合わせておいた副社長の意向を相手方に疑問を生じさせないように破壊して再構築して日本語にしてご理解願う為の最善の方法と思う訳をしてきたのだ。
同様に、私が出ている席ではお客様側の日本語の発言をも間違いなく英訳して副社長に完全に理解させねばならないという重大な責任も負っているのだ。実は、この際でも「彼はこう言っておられるが、これはこういう背景があって、このような主張になっていると解釈しているが、ここでは遺漏無きように逐語訳にしてみるからそのつもりで聞いて欲しい」という注釈をつけて英訳することも屡々あったものだった。その背景には事前にお客様にが「如何なる主張をされたいか」はある程度以上探っておいたからこそ出来る技なのだ。
私は総理が高尾氏とそこまで徹底的に会談前に叩いておかれる時間の余裕があったのかと考えてしまう。それは総理が「こういうことを表現したい場合にはこういう言い方をする」とか「本日の主たる議題はこれとこれの何点かに絞るので、事前に準備しておくように」と高尾氏と打ち合わせされておければある程度理想的だという意味だ。更に言えば、高尾氏が常に総理と行動を共にされて、言葉や表現の癖まで把握できていると素晴らしいのだ。私は生涯最高の上司と表現してきた副社長とは10年以上の部下としてその日のご機嫌まで読めるようになっていたから言うのだ。
正直な事を敢えて言えば「通訳などという仕事は俺以外に誰がここまで出来るか」というような言わば思い上がった自信というか自己過信と信念がないことには容易には出来ない仕事だと思っている。しかも、時と場合によっては何も直接には関係の無いような事柄が話題になるのだから、あらゆる事態に対処できるような知識まで要求されることが当たり前のように生じるのである。それが上手く出来た時などは密かに「どうだ、俺は」と自己陶酔に陥っているのだ。そこで、場合によっては如何なる事態が生じるかの例を挙げていこう。
今でも「あの時は善くぞ切り抜けたものだ」と鮮明に覚えていることがある。それは仕事以外に突然依頼された通訳の場で「存在感」という言葉が出てきた時のことだった。「しまった。知らない表現だ」と慌てたが、自然に口から出たのが“presence”で、後になって知ったのだが正解だった。自慢話序でにその時に出会った表現が「我がテイームは未だ未だです」と謙遜されたものだった。これも弱ったが、“We still have a long way to go.”で何とかその場を凌いだ。これは正解か否かは未だに知らないが、当たらずといえども遠からずだと信じている。