新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月29日 その3 通訳という仕事に思うこと

2019-05-29 14:16:15 | コラム
私は通訳もする当事者として務めてきた:

安倍総理とトランプ大統領の会談がほぼ全部(だったのだろうか?)中継され、高尾直氏が的確に総理の発言を英訳しておられる様子を見て(聞いて)、1993年末までは「通訳もする当事者」として(アメリカ側の一員としての責任感もあって)永年担当してきた仕事を思い出しては、高尾氏は実に完璧な立派な仕事をしておられるなと感銘を受けながら拝聴した次第だった。しかし、本音を言えば、高尾氏の通訳の仕方は職責上あのようにせざるを得ないのだろうと思うが、通訳を専業とされる方々が職業上の束縛(と言って良いと思う)から、飽くまでも忠実に逐語訳をされ、何ら余計な言葉を差し挟まないのと同じ手法かなと感じていた。

そう感じたからこそ、今朝ほど「極めて格調高い文語的な英語」という表現をしたのだった。高尾氏の経歴をネット上で拝見するとかなりの年数を英語の世界で過ごしてこられたことが解る。だが、外務省のキャリアの事務官として総理に随行されている以上、私の年来の主張であり信念でもある「通訳とは(元の発言を)破壊と再構築することである」という方式は間違っても採用できないとの信念でやっておられるのだろうと思いながら聞いていた。

であるようだから、例えば総理がある信念を述べられた時に、私ならば(勝手に?)“I firmly believe ~”か“My opinion on this matter is ~”と言ったような導入部をつけてから英語にしていただろうと考えてしまうのだ。即ち、日本語には主語の省略が多い表現が多いし、誰の考えであるかは言わずともお互いに有無相通じるという文化があるので、通訳専業の方は元の発言に忠実に逐語訳されるのだと思っている。即ち、高尾氏もそのような手法で見事に総理の意を伝えておられたという印象だった。

誤解無きよう申し上げておくと、私の論点は飽くまでも手法の違いであり、ビジネスの席での「通訳もする当事者」意識から出た発言なのである。優劣を論じてはいない、念の為。思うに、1993年までの現職だった頃の私にも専業の通訳の方と同じようにもその気になれば出来たかも知れないが、私の手法は何があろうと「破壊と再構築主義」を押し通したであろうと思っている。

振り返ってみれば、これまでにも何度か論じたことだが「通訳とは頭の中を完全に空乃至は無にして、発言者の意図を正確に伝えるように言われたことに異議を唱えるとか間違いがあるなどという思いが浮かぶことなど無いように、無心で別の言語に直していくこと」なのである。だが、我々は日本のお客様対アメリカの輸出業間の重要な商談の席に就いているので、事前に十二分に打ち合わせておいた副社長の意向を相手方に疑問を生じさせないように破壊して再構築して日本語にしてご理解願う為の最善の方法と思う訳をしてきたのだ。

同様に、私が出ている席ではお客様側の日本語の発言をも間違いなく英訳して副社長に完全に理解させねばならないという重大な責任も負っているのだ。実は、この際でも「彼はこう言っておられるが、これはこういう背景があって、このような主張になっていると解釈しているが、ここでは遺漏無きように逐語訳にしてみるからそのつもりで聞いて欲しい」という注釈をつけて英訳することも屡々あったものだった。その背景には事前にお客様にが「如何なる主張をされたいか」はある程度以上探っておいたからこそ出来る技なのだ。

私は総理が高尾氏とそこまで徹底的に会談前に叩いておかれる時間の余裕があったのかと考えてしまう。それは総理が「こういうことを表現したい場合にはこういう言い方をする」とか「本日の主たる議題はこれとこれの何点かに絞るので、事前に準備しておくように」と高尾氏と打ち合わせされておければある程度理想的だという意味だ。更に言えば、高尾氏が常に総理と行動を共にされて、言葉や表現の癖まで把握できていると素晴らしいのだ。私は生涯最高の上司と表現してきた副社長とは10年以上の部下としてその日のご機嫌まで読めるようになっていたから言うのだ。

正直な事を敢えて言えば「通訳などという仕事は俺以外に誰がここまで出来るか」というような言わば思い上がった自信というか自己過信と信念がないことには容易には出来ない仕事だと思っている。しかも、時と場合によっては何も直接には関係の無いような事柄が話題になるのだから、あらゆる事態に対処できるような知識まで要求されることが当たり前のように生じるのである。それが上手く出来た時などは密かに「どうだ、俺は」と自己陶酔に陥っているのだ。そこで、場合によっては如何なる事態が生じるかの例を挙げていこう。

今でも「あの時は善くぞ切り抜けたものだ」と鮮明に覚えていることがある。それは仕事以外に突然依頼された通訳の場で「存在感」という言葉が出てきた時のことだった。「しまった。知らない表現だ」と慌てたが、自然に口から出たのが“presence”で、後になって知ったのだが正解だった。自慢話序でにその時に出会った表現が「我がテイームは未だ未だです」と謙遜されたものだった。これも弱ったが、“We still have a long way to go.”で何とかその場を凌いだ。これは正解か否かは未だに知らないが、当たらずといえども遠からずだと信じている。


トランプ大統領訪日の雑感

2019-05-29 08:29:07 | コラム
トランプ大統領の日本訪問は“success”だったと思う:

Success:
何故いきなり英語でsuccessとしたかと言えば、この単語には「成功」よ言うよりも「上手く行った」という意味で使われていることが多いからだ。即ち、私はトランプ大統領にとっては、宮家邦彦氏がいみじくも指摘されたように「再選を目指しておられる来たるべき選挙のキャンペーンとしては上出来だっただろう」し、おもてなしをされた安倍総理にとっても全て計画通りに上手く行ったという成果が挙がっていたと看做しているという意味だ。

野党は早速過剰接待であるなどと言ってくさしている。だが、よく考えても見て欲しい。大統領の好みであるゴルフを共に楽しむと言って、一般のクラブに予約を入れて大勢の警護の者たちを引き連れてクラブに到着して、他のメンバーの人たちと同じロッカールームで着替えをしてスタートの順番を待ってテイーオフして出て行けとでも言うのか。2時間半ほどの間通訳だけを挟んで回る間に色々と懇談できると言うことを野党の連中は考えていないのかと言いたくなる。あの安倍総理による歓待が周辺の諸国、就中中国にどれほどの示威効果があったとは考えられないのか。愚かなのは野党である。

食い違い?

一部のマスコミと海外のメデイアは「DPRKの中距離ミサイル発射について我が国とアメリカの間に食い違いがあった」と鬼も首でも取ったように騒ぎ立てたが、私はこれは見当違いであると思っている。それは我が国は世界にも珍しいと言えば言いすぎかも知れないが、UNを有り難がっている国である。故にその国の総理である安倍晋三氏は「Security Councilの決議違反である」と批判するしか道が残されていないのだと考えるべきではないのか。トランプ大統領にも「UNを有り難い存在だとご認識ですか」とでも伺って見よ。

私はメデイアの連中は、一方のトランプ大統領は金正恩委員長との親密な関係を強調しておられる以上、あの場で正面からの非難を回避されて「気にしない」と言われたとは解釈できないのかと言いたい。安倍総理が内心ではDPRKの発射を怪しからんと思っておられるというくらいの忖度が出来ないのかと不思議なことだと思っている。私は安倍総理とトランプ大統領との間にはこのような重大な事項で食い違いがあるとは思いたくないし、十分に話し合い済みで、食い違いは無いと信じている。

通訳:
最後に総理の通訳官の岩尾直氏についての感想を。何処かの局で「岩尾氏の優れた通訳能力が今日の安倍総理とトランプ大統領の世界のどの国の首脳との間にはない親密な間柄を築き上げた功労者である」と報じて、彼が帰国子女であるハーヴァードでPh.D.を取得しているとまで知らせてくれた。それは私が既に岩尾氏の通訳を聞いた後だった。誤解無きよう申し上げておくと「極めて格調高い文語的な英語であり、安倍総理の意図を申し分なく伝えておられただろう」というのが偽らざる感想である。

更に率直に言わせて貰えば「在職中に何度も聞くことがあった我が国の学校教育の英語を完璧なまでにこなしておられておられた点が素晴らしい方の英語」なのである。だが、あの難しい言葉を自在に多用した話し言葉ではない英語だと感じたの事実だ。私はあの通訳を聞いた方(トランプ大統領他のアメリカの要人たち)は「安倍総理は極めて四角四面な物事を倫理的に考える堅い人物であり信用するに値する真面目一方な方だと受け止めるだろう」という印象を受けた。これは良いことであるとは思うが、私の感覚では「もう少し平易な表現も使われても良かったかな」という所だった。

テレビ局は帰国子女という点を強調した感があったが、あの発音は寧ろ我が国の学校教育の発音で、アメリカ式の影響は少ししか感じられなかった。私が岩尾氏にご同情申し上げる点があれば、それは彼が総理の外遊か外国の要人との会談の際にのみ起用されていたとしたら、日頃総理の言葉遣いや感情の動きなどに接しておられなければ、重要な関大等の際に通訳するのは非常に苦労されただろうと思うことだ。それに、彼は常に後方に位置しているので、総理の表情の動きまで見えないという困難さに直面しておられるので、さぞかし大変だと(ビジネスに世界での通訳経験者として)お察しする。