内心忸怩たるものがある:
私は今となっては昭和・平成・令和と3元号をまたぐ世代となってしまっただけではなく、嘗ては良く言われ且つ言っていた「昭和一桁」の生まれである。この状態を真正面から認めれば、最早古き良き時代を過ごしてきた高齢者と化してしまったのではないだろうか。その高齢者がICT化がここまで進み、世界が超高速で大規模に変化していく時代に、我が国や世界の動きを論じるのは烏滸がましいのではないかと「内心忸怩たるもの」があるのだ。
即ち、今や第一戦を離れて早くも25年。「大きく変化し進歩もしてしまった現場と接触の機会もなく、何かと言えば経験を基にして批判的に論じてきた現代の経営者の年齢層とは、年齢も違い過ぎてしまったかと危惧している。その現代の経営者や現場にいる者たちを、過ぎし時代の感覚で批判するのは如何なものか」という思いに囚われる時もある。「時代が変わったと知らないのか」と切り返されれば、応答できないかも知れないと怖れている。
現実には滅多にコンビニも利用せず、スマートフォンも持たず、キャッシュレス決済の方法も知らず、電車の中でもゲームに熱中する感覚も知らないのである。「そんな時代に遅れた世代がしたり顔で口を出す時は終わったのだぞ」と言われれば甘んじて受け入れねばならないかと密かに悩むことすらある。だが、戦前・戦後を切り抜けてきた去りし時代の経験を次世代に伝えて残して置きたいという願望は捨てたくないので、こうして毎日書き続けているのだ。
私は今となっては昭和・平成・令和と3元号をまたぐ世代となってしまっただけではなく、嘗ては良く言われ且つ言っていた「昭和一桁」の生まれである。この状態を真正面から認めれば、最早古き良き時代を過ごしてきた高齢者と化してしまったのではないだろうか。その高齢者がICT化がここまで進み、世界が超高速で大規模に変化していく時代に、我が国や世界の動きを論じるのは烏滸がましいのではないかと「内心忸怩たるもの」があるのだ。
即ち、今や第一戦を離れて早くも25年。「大きく変化し進歩もしてしまった現場と接触の機会もなく、何かと言えば経験を基にして批判的に論じてきた現代の経営者の年齢層とは、年齢も違い過ぎてしまったかと危惧している。その現代の経営者や現場にいる者たちを、過ぎし時代の感覚で批判するのは如何なものか」という思いに囚われる時もある。「時代が変わったと知らないのか」と切り返されれば、応答できないかも知れないと怖れている。
現実には滅多にコンビニも利用せず、スマートフォンも持たず、キャッシュレス決済の方法も知らず、電車の中でもゲームに熱中する感覚も知らないのである。「そんな時代に遅れた世代がしたり顔で口を出す時は終わったのだぞ」と言われれば甘んじて受け入れねばならないかと密かに悩むことすらある。だが、戦前・戦後を切り抜けてきた去りし時代の経験を次世代に伝えて残して置きたいという願望は捨てたくないので、こうして毎日書き続けているのだ。