新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月19日 その3 「不可抗力」だとか

2020-03-19 12:03:51 | コラム
“Force majeure”だと:

この言葉には輸出入の仕事に携わっておられた方々には、イヤな思い出があるかも知れない。先ほど、リモコンをいじっていたら、フジテレビの小倉の時間になって「オリンピックの入場券は中止の場合には不可抗力だから払い戻しはない」と言っていた。、何時だったかYahooニュースでも採り上げていたことだ。実は、この事態は私が密かに恐れていたことで「不可抗力宣言」は一般の方には馴染みがないと思うので、簡単に解説すると「文字通り不可抗力な事態が発生したので、契約通りに出荷出来ない事態となったと宣言して、契約不履行の責任を逃れること」と思って頂きたい。

私は「オリンピック憲章」などを読んだこともなければ、読む必要もない立場にあると思う。だが「不可抗力の事態であるから入場券の払い戻しをしない」と宣言するのであれば、「憲章には不可抗力の事態として、オリンピックの開催を中止できる」と規定されているのかも知れない。いや、払い戻ししないと言っていることは、既に中止と決められたという前提で語っているとしか思えないのだ。私はそのことを採り上げて批判しているのではなく、春日良一氏のような方は「Force majeure宣言」の条項をご承知ならば、そう言っても良いのではないのかという疑問を提示しているのだ。

私はずっと現実論ばかり述べてきたが、現在の新型コロナウイルスの全世界的蔓延の状態を見る時に、“Force majeure宣言”が出ても不思議ではないとすら感じている。だが、IOCがそれを言うのは大変難しい判断だし(「苦渋の決断」などと陳腐なことは言いたくない)、例えようもない度胸が必要だろう。弁護士だと聞くバッハ会長の脳裏には、既にこのフランス語の“force majeure”が浮かんでいるのではなかろうか。

矢張り、外国語の講釈をしておかねばならないと思う。「この言葉はフランス語であり、俗に『フォースメジャー』などと言われており、貿易業務に携わった方々はご存じだ」と思う。正しくはと言うか英語読みでは「フォース・マジョア」のように聞こえる。私は1972年だったか、M社でパルプを担当していた時期に、カナダ西岸のBC州北部の工場が異常寒波で建屋の外に設置されたパイプが凍って操業不能となり、この宣言をされて得意先に多大なご迷惑をおかけした苦くも辛い思い出があった。


3月19日 その2 オリンピックは中止なのか延期なのか

2020-03-19 09:06:05 | コラム
“FACTA”4月号は中止のような書き方だった:

19日の新聞の広告には「会員限定の年間購読情報誌FACTA」が中止と決めつけたような記事が何本かあった。「なるほど、そういう報じ方もあるのか」と思って読んでいた。だが、IOCは未だ言葉を濁しているし、森組織委員会長も小池都知事も橋本聖子担当大臣も「やる、やる」だけしか言わない。否定的か?とも理解したくなる発言をしたのは麻生副総理のみだ。見る者、聞く者を疑心暗鬼というか「どうする気なのだろう」と思わせている事態だ。

私は悲観論者だが、オリンピックが開催されるかどうかの判断よりも「現実的に考えれば、開催しても世界各国から選手団が来られるのだろう。その前に如何にIOCが選手選抜法を考え直すと言っても、選ばれるかも知れない選手たちが「外出禁止で集団で集まってはならない」という状況下で、7月まで何処でどうやって練習を積んでくるのか。合宿などあり得ないではないか。甚だ疑問であると思う。そういう悪条件下で準備が整っていない選手たちは喜び勇んで参加するのだろうか。

敢えて悪い冗談だと非難されることを覚悟で言えば「参加出来るのは、地元の日本人選手団だけ」となってしまうのではないのか。この期に及んで、この状態に立ち至った責任は何処の誰にあるのかを詮索して責めるのも詮無いことだ。春日良一氏が繰り返して言っていることが正しいというのか、覆しようがないのならば「中止は兎も角、延期はオリンピック憲章とやらを書き換えねばならない」ようだ。だが、不思議なほど「憲章改正論」は出てこない。デマだろうが「実際には中止と決まっている」という話を何処かで見たこともあった。

IOCも「アスリートファースト」などと言うのならば、決定を余り長い期間引っ張っておくのは、彼等を「ファースト」とは思っていなかったと立証することになりはしないか。それこそ「大いなるストレスを抱えているのがアスリートたち」ではないのか。


あれは「ストレス」ではない「フラストレーション」だ

2020-03-19 08:20:43 | コラム
メデイアの言葉の誤用を責める:

どうして彼等はこれほど不勉強で無知なのかと思う。彼らの言葉の誤用は児童生徒たちに「一斉休校の為にストレスを感じるので」などと言わせている。子供たちがストレスなどを感じてはいないのだ。「もう少し正しい英語なり心理学でも勉強しておけ」と言いたくもなる。“stress”は Oxfordには“pressure or worry caused by the problem in one’s life”とあるし、ジーニアス英和辞典には「(精神的・感情的)緊張、ストレス」とある。一見すると如何にも子供たちが言うストレスの如きだが、私は言葉の誤用だと断言しておく。


何故ならば、現在子供たちが感じているのは「外に出たくても出られない、遊べない」という「欲求不満」であるからだ。これに当たる英語を動詞形で表せば “frustrate”がある。これはOxfordには“to make ~ feel annoyed of impatient because they cannot do or achieve what they want”と明快だし、ジーニアス英和辞典には「要求不満、欲求不満」とも出てくる。「ストレス」が適切ではない事は明らかだと思うし、英語の勉強がどうのこうのといっている時代に、言葉の誤用を普及させるのな余りにも不適切である。どうにもならないアホどもだ。

事の序でに、私が経験した“stress”の使われ方を紹介しておこう。本部の“customer services”担当の女性マネージャーから「副社長が緊急の案件が発生したので直ぐにこちらに来るようにと指示された」と言った後に「それほど“stressfulな事案ではないから、心配しないでも良い」と追加された。彼女の気遣いは「私が如何に処理すべきかという多くの難問を抱えると、そのストレスに悩まされる性格である」と承知しているので、敢えて配慮して事前に通告してくれた」ということだ。確かに私はストレスに悩まされる性格だった。

ここで、カタカナ語排斥論者として言っておきたいことは「マスメディアよ。何時まで出鱈目なカタカナ語を使って罪なき子供たちのみならず、一般大衆までを不正確な英語の学び方に向かって引き摺っていこうとするのか」なのである。私は何でもカタカナ語を使えば格好が良くなるという陳腐で浅はかな考え方を断固非難したいのである。さて、私の不満は「ストレス」なのか「フラストレーション」のどちらであるか、マスコミの諸君に判断出来るだろうか。