新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月6日 その2 「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改正に思う

2020-03-06 14:29:47 | コラム
安倍内閣の意図には多くの事を思わせられる:

安倍内閣は来週中には2012年5月に民主党政権下で成立した、新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下特措法)の改正を成し遂げると言われている。これに対しては野党とマスコミ連合の批判的な見解の他に、与党内でも呟きがあるかのように報じられている。テレビでも所謂専門家を呼んでは、賛否量論的なご意見を承っている。そこで、私がこの件について感じた事を、取り留めもないかも知れないが、以下に並べてみようと思うに至った。

*安倍総理は大統領ではないことを痛感させられた
トランプ大統領の独得の政治手法に対しては、批判派のアメリカの有力地方紙が「独断専行」等と言うが、大統領制ではそれだけの幅が広く且つ大きな権限が与えられている。故に大統領令等で思い切った決定を下せるし、実行段階にも入って行ける。だが、橋下徹氏は先頃「我が国は民主主義政治なので思い切ったことを実行出来ない」と言われていたが、どうやら総理大臣ともなると法律的には雁字搦めで、その権限で出来ることの幅が狭いようだ。それかあらぬか、漸く言えたことは「一斉休校の要請」で「命令」ではなかった。これでは有事や急場には間に合わないと危惧する。

*改正の成立が来週では:
まさか、来週中にコロナウイルスの感染が終息する訳はないと思うが、来週に改正が成り立つのでは遅すぎるのではないだろうか。先ほど何処かの局でゲストが「特措法の改正により、その後に非常事態宣言を出すまでもなく、今でも十分に非常事態では」と言っていたのも印象的だった。私は事ある毎に”Better late than never.“と指摘してきたが、今回安倍内閣が野党が何と言おうと改正で譲らない手法には、仮令改正が出来ても、この決め台詞は適用出来ない気がしてならない。即ち、”too late”だと言いたくなる。

法解釈について:
専門家の方々と立憲民主党の枝野などは「新型インフルエンザ等」の「等」の解釈を巡って、色々と意見があるようだ。私の大まかな捉え方では「等の解釈次第でそのまま行けると、行けない」は半々であるようだ。私はお恥ずかしながら文学部だったので、具体的な法律の知識は皆無である。だが、憲法第九条をあそこまで解釈してきたのだから、この有事でありより、一層緊急な事態になるかも知れない気配がある現時点で、解釈の幅を広げれば特措法のままで適用出来るのではないかという気がしてならないのだ。

否定される方の解釈は「指定感染症にしてしまったので法的に無理だし、どうしてもそのままやりたいのならばその指定を解除せねば始まらない」となっていた。私のような法律を知らない一国民としては「法解釈の問題よりも、何をすれば感染者と国民の為になるかを考えることを優先するのが、政治の果たすべき役割ではないのか」と言いたくなるのだ。

*民主党政権下成立した特措法だから:
専門家やマスコミの一部には、「如何にもこのような安倍総理の心中と、内閣の腹の中を読んだかのような見方で、民主党政権下で成立した法律を使っていくのを潔しとしない考え方があるのでは」と見ている向きがあるようだ。私は話としては面白いかも知れないが、いくら何でも自民党政権がそこまで狭量だと言うのかと、その考え方には与しがたいものがある思う。もしも、その為に来週まで改正を遅らせているのだったら、私からは何も言うことはない。

*PCR検査の態勢:
話は本筋から離れるが、この際言ってみたいことがある。加藤厚労相もマスコミも何かと言えば、その数を増やせない理由の一つに「もしも、不安を抱いた多数の患者さんたちが一斉に病院に(中国で起きたように?)殺到したら収拾がつかなくなるし、そこで接触感染が生じる危険性があるから」と言いたがる。それはそれとして解るが、我が国民の民度はそれほど低いのだろうか。そんなことはあるまい。それだけではない。もしも、現状よりも遙かに感染者が急増した事態に立ち至っても、そういう懸念があるから一定量の検査しかしないと言う気なのかと怖くなってしまう。

言い方を変えれば、政府か厚労相は「病院か保健所の態勢を守ることの方が、不安に駆られて病院を訪れる患者さん(乃至はこれから感染者になるかも知れない人)よりも大事だ」と言っているのと同じだとは考えないのだろうか。彼等は何が何でも責任を回避することしか頭の中にないのかと疑いたくなる。この際は総理も責任回避しか能がない官僚(元大蔵官僚の大臣も含む)に対して要請ではなく「緊急に改善せよ」と命令される権限を持って頂けねばならないのではないのか。慢性心不全を抱えた高齢者をこれ以上不安にさせないで頂きたい。


虚しさから脱出させてくれ

2020-03-06 08:28:33 | コラム
政府は遂に中国と韓国からの入国を制限:

本当に残念ながら「安倍さん、善くぞやって下さった」と賞賛するのを躊躇う、この期に及んでの措置である。早速テレ朝では「習近平の来日が延期となって、気兼ねする必要がなくなったから」とゲスト解説者に言わせていた。そのくらいの推察なら私にだって出来ていた。産経新聞歯一面に我が国からの入国制限している22国の地図を載せていた。一方では、加藤厚労相は胸を張ってPCR検査の保険適用を何か大いなる成果のように言うが、専門家の医師たちは「検査を直ぐにして貰えない事態は変わらないだろうし、何ら改善ではない」と酷評している。虚しさを禁じ得ない。

テレビも新聞も毎日のように「何処そこで感染者が何名出て、総合計が1,000名を超えました」と寧ろ嬉しそうに報じている始末だ。彼等は確かにその内訳を「国内での感染者、湖北省からの帰国者、クルーズ船での感染者」と後になってから申し訳のように言う。だが、これでは1,000名超えの方が強調されているし、諸外国の記者さんたちからすれば、この総合計の方に飛び付きたくなるだろうと思わせている。彼等は常にこのように反日的であり、自虐的なのだ。

しかも、彼等は政府が何らかの方針を発表するや否や、時を移さずそのマイナスの面ばかりを強調するのだ。今朝も彼等は早速中国の留学生に電話をして「隔離されるくらいなら日本に行かない」と言わせている始末だ。野党と共に彼らのこのような揚げ足取りの姿勢は終始一貫している。私はこれまでに何度も政府の無為無策と”Better late than never.“としか言いようがない後手後手の処置を批判してきた。その結果が22ヶ国もに入国制限されては、ここでも誠に虚しいものを感じざるを得ないのだ。

では、この虚しさを痛感させられる事態の責任は何処の誰にあるのかだ。真っ先に思い浮かぶのがコロナウイルス問題発生以来、何ら積極的な手が打てずに官僚の作文を読んでは「何故出来ないか」を延々と逃げ口上で弁解して来ただけの加藤厚労相である。次には長い年月海外向けに効果的な情報を発信出来ずに、何時まで経っても我が国が「知られざる国」状態に追い込んでしまった外務省の弱腰も槍玉に挙げたくなる。国会のだらしなさも責めたい。だが、それらの上にあって全ての責任を持っておられるのは、内閣総理大臣・安倍晋三さんであると思っている。

私だって安倍総理が全知全能ではないと承知している。その総理大臣を補佐すべき、アメリカ流の言えば補佐官が、総理のご存じでない分野や、先例がなかった事案に対処される場合や、至らざる点があれば、適切な助言や提案をしていくはずではないのかと、私は解釈してきた。だが、一部の週刊誌とうの記事によれば、その肝腎の補佐官たちは総理に引き立てられてその地位を得たにも拘わらず、その職責を十分に果たしていないような疑問を感じさせるのだ。「この有事に当たってそんなことで良いのか」と詰問したい。だが、このことにしたところで、野党が好んで使う台詞は「総理の任命責任」に戻ってきてしまうと、私は危惧している。

私はここまででは如何にも安倍総理と、内閣と、国会と、野党とマスコミ連を批判してきたようだが、意図はそんなところにはない。言いたいことは「我が国の特徴でありアメリカやヨーロッパの人たちには先ず出来ない『全員が一丸』となって、この難局に当たって欲しい」のである。その為には多少の野党とマスコミ連合の揚げ足取りなどには構っていられる暇はないのである。更に言えば「その揚げ足取り連合も好い加減に事態の深刻さを認識して『一丸の輪』に加わるべきだ」なのだ。彼等には今参加することは”Better late than never.“であるとも言ってやりたい。