新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月21日 その3 どうなる、東京オリンピック・パラリンピック

2020-03-21 15:00:01 | コラム
2020オリンピックは予定通り開催か延期か:

議論百出のようで、連日連夜各テレビ局が採り上げて、大いに話題を賑わしている。私は今でも「閃き」にあった「オリンピックが予定通りに開催される絵は見えてこないという段階」にあるままなのだ。換言すれば「どうなるかは分からない」と言って良いだろう。しかしながら、現実的に考えれば、既にIOCに延期を申し入れた国もあったように、7~8月の開催は極めて難しいとしか見えてこない。私はそうであれば「年内に延期」というのは合理的ではないのかと思う。

それは、何方だったか「その時期の開催は正気の沙汰とは思えない」が指摘されたように、冬でもこれほど暖かい日が続いた東京での夏場の開催を避けるのは、合理的だと思うからだ。年内に延期と言っても冬場はないだろうから秋とすれば、IOC会長の職権?で唐突に札幌に移されたマラソンでも東京都内に戻せるし、我が国の経済が傾く原因になりかねないと予言する専門家がおられたような、中止か来年に延期による膨大な出費(経費)を回避出来そうではないか。めっきり窶れたような顔付きに見えるバッハ会長も、別なシナリオもあると言っておられたではないか。

先ほども、辛坊治郎の番組に出ておられた元JOC参事(何と、我が母校の上智大学文学部哲学科のご出身だった)春日良一氏はこれまでテレビに出てこられる度に、頑強にオリンピック憲章の規定を楯にとられて「中止も延期もあり得ない」と主張し続けておられた。だが、今朝は少し軟化の感があり「IOCの理事の3分の2の賛成があれば憲章は改訂出来る」と言い出しておられた。要するに、認めはしなかったが延期の可能性を暗示していたと見えた。年内に延期の更なる利点は「来年に延期ならば、選手たちの予選/選考はやり直し」が回避出来る点にあるようだ。

私はバッハ会長以下IOCの委員の方々は、未だ嘗て経験したこともない難しい判断を迫るような条件が次から次へと迫ってくる状況に、苦悩しておられるのだろうと思って見ている。しかも、アメリカのNBCからの膨大な放映権料という難関もあるので、容易に延期だの何のと言い出させないだろう。今年の秋に延期・決行とすれば、MLBのWシリーズは兎も角、NFLとNBAのリーグ戦がまともに開始されていたら真っ向から重なるのだから。だが、このアメリカの3大スポーツが順調にシーズンの開幕が出来るのだろうか。MLBは既に延期せざるを得ない状況だ。

後難を恐れずに言えば「アメリカのNBCと3大スポーツの網にかかって身動きが取れなくなっているIOCが、思い切って延期の了解を取りに出て行けるのか」ということではないのだろうか。現在のアメリカでトランプ大統領が打ち出された大がかりなコロナウイルス対策を見る時に、早期に収束出来るかも知れないが、7月末までに態勢を整えて選手団を送り込むとか、NBCが延期を受け入れる状況になるかどうかなどは、英語にすれば“remains to be seen”なのではないか。

私はこれから先がIOCの交渉力と言うべきか、あるいは手腕の見せ所ではないかと考えている。要するに「全ては二者択一」の決定であるから「逆櫓とでも言うべき適切な“contingency plan”を打ち出せるか」でもあると思う。我が国のIOCの委員やJOCの会長は拱手傍観しているのではなく、予定通りの開催とか延期とか憲章の改訂でも何でも、最良の選択と思うことをIOCに働きかけたらどうなのだろうか。私なら「これを言うことで失うものはない」と思ったことは、速効で言いに行くのだが。

3月21日 その2 尾身茂副座長様、英語の勉強までさせないで下さい

2020-03-21 11:23:14 | コラム
何故「オーバーシュート」と言われるのか:

私はこの件に拘泥してみたい。「何故尾身茂副座長が談話の中にカタカナ語というか英語を引用されるのか」と思って検索してみると、教育大附属駒場高校在学中に1年間アメリカ留学をされていたとあったので、つい英語が出てきたのかと推定している。だが、既に遺憾を表明したように、私には「何故“overshoot”が爆発的患者急増になるのか」は分からなかった。“lockdown”と言われたのは「封鎖」のようだったが、これも知らない表現だった。何れにせよ、「あの場でカタカナ語を使われる必然性はないのではないか。要らぬ混乱を生じるだけでは」と申し上げておきたい。

今朝ほど、テレ朝に出ておられた昭和大学・医学部の二木教授は「オーバーシュートとは見込んだ数よりも遙かに超えたことを意味する」と解説されたのを聞いて、漸く腑に落ちた次第だった。即ち、尾身氏が言われたいことは「想定した以上に感染者が急増する」のであって爆発的患者急増に繋がっていったのだ」と考えた。矢張り、既に指摘したように、補足的でも何でも「オーバーシュート」と言われる必要はなかったと思う。だが、マスコミは早速飛び付いて使っている、その意味の解説もしないで。

「ロックダウン」(=lockdown)は正直に言って知らなかった。だが、字面からして大凡の意味は推定出来た。そこで、ジーニアス英和辞典とOxfordで調べてみた。両方ともその意味は「独房への監禁」となっていた。この“one word”になっている言葉には「封鎖」の意味はなかったのだった。だが、検索すると“order a lockdown”で「ロックダウンを命じる」となるので「封鎖」の意味になるようだった。回りくどいというか、かなり深く且つ広い英単語の知識がないと理解出来ないだろうと思った。

私は“lock up”という言い方は承知していたが、これは“phrase”の形になっていて、ジーニアス英和では「留置場、監禁等の意味」と出ていたし、検索すれば「閉じ込める」と「学校から子供返さずに避難させる」ともあった。ということで「封鎖」としても使えるのかも知れない気がする。何れにせよ、あの尾身氏はカタカナ語を使わずに「爆発的患者急増」と「~を封鎖する」とだけ言われれば十分だったのではないかと思う。だが、私はお陰様でこの期に及んで知らない言葉の勉強をさせて頂く結果となった。人生、何歳になっても勉強は必要だと悟った。


相撲の中継を観ているしかないのだ

2020-03-21 08:45:36 | コラム
感染者の増加の報道は愉快ではない:

私は新型コロナウイルス問題の発生までは、夕方のテレビのニュースは「テレビならではの速報性がある事と、一日の纏め的に主な話題を振り返っているという価値があるので」なるべく見るようにしてきた。だが、ここ暫くは敢えて好みでも何でもない相撲の中継を見るようにしている。それは、テレビ局は何をさて措いても「新たな感染者の発生を最優先で報じ、しかもご丁寧にクルーズ船の感染者を加えて1,000人を超えたと寧ろ嬉しそうに言うのが不愉快だし、気分を滅入らせてくれるから。感染者の数字はニュースの最後にでも「因みに」とでも言って報じれば良いと思う。

私は感染者の数を言うならば、純粋に我が国の中で「人から人への感染者」を言えば良いのではないかと思っている。彼等は諸外国で感染して帰国された方も数えているし、湖北省からのチャーター便での帰国者の感染者まで数えている。それを言うのならば「全感染者の内訳」をキチンと報じるべきではないのか。あのような数字を出せば、国内にいる諸外国の“correspondent”たちに「日本では感染者が急増している」という記事にされてしまうのではないか。中国とは反対で、敢えて水増ししている結果になっているのではないかとすら思っている。

大体からして、我が国は何処の国とも国境を以て接していない(イヤな言い方だが)島国ではないか。何処かの国から感染者が入国してウイルスを感染させない限り、今日のように蔓延する訳がないのだ。だから、敢えて言えば現在の感染振りは何処の国の人たちが入国して広めたということは明らかではないのか。それにも拘わらず、相も変わらず自虐的に「増えた、増えた」とでも言いたいような、我が国の過失で増えたとでも言いたいような偏向した報道姿勢は許しがたいと思っている。

「そんなにマスコミというかテレビ局を怪しからんと批判するのならば、テレビを見なければ良いじゃないか」と言われそうだ。だが、持病を抱えた超後期高齢者としては安全策を採って外出を自粛し、ジムも休会手続きまでした家に籠もっているのだ。故に、欲求不満(ストレスではない、念の為)となるので、代償行為として相撲でも見ていようかとなっているのだ。お陰様で少しだけ相撲の知識が増えた。それは、翌日の取り組みが前日に決められていることだった。ICT化の時代にあれば、あの世界でも取り組み用アプリケーションがあって、場所前から決まっているのだと思っていた。

もう一つの発見は、細かいことだが無観客になって初めてハッキリと聞こえた、力士たちが土俵に上がって「まわし」を叩く音だった。あれほど大きな音がするとは知らなかった。同時に、何故全員があのように「ポン、ポン」と叩かねばならないのかと、不思議に思わせられた。もしかすると、塩を撒いた後で手に残っている分をはたき落としているのかなと思っている。