バッハ氏に緊急事態への対応能力ありや:
私は以前から「各競技の上部団体(例えば日本~連盟)で管理・運営しておられる方々は大変ご苦労だとは思うが、その多くは元の名選手ではあっても一流の管理・運営の専門家であるとは限らない」と言って、かなり真正面から批判してきた。その批判の対極にあるのが、サッカーのJリーグを協会長としてあそこまで盛り立て、次いでは先頃のバスケットボール界の再編成に対応され、見事にBリーグを人気の競技団体に仕上げた川淵三郎氏の見事な手腕だと思って見てきた。川淵氏は大企業で部長職を勤められ、組織を運営する力を十分に養っておられたのだった。
私の言いたいことは「営利を追求するビジネスの競争社会で責任ある地位におられた方は、指導者として組織を如何に管理・運営し、如何に人と使っていくかの責任を負う職務を経験したからこそ、スポーツの上部団体を晴の日にも雨の日にも風の日にも恙無く導くことが出来るのだ」なのである。これと同じような事を我が友のYM氏に聞いた。それは「アメリカのビジネススクールでは同じMBAでも会社の管理・運営だけではなく、学校・病院等の組織を運営するコースもある」というものだった。簡単にいえば「病院長はお医者様の仕事ではなくMBAに任せよ」がアメリカ式だ。
ここまでを導入部として、新型コロナウイルス問題が発生してからのIOC及び会長のバッハ氏の優柔不断振りと言おうか、決断できずに右往左往し何処まで信頼して良いか疑問であるとしか見えない「WHOのテドロス事務局長の決定に従う」とか「オリンピックの中止はないが、別のシナリオ考えている」とか、IOCと会長にとっては未だ嘗て経験したことがない緊急事態であり、一刀両断的に解決するには余りにも複雑な要素と要因が絡んでいる難問を突きつけられて、唯々オロオロしているだけとしか見えなかった。
要するに「二者択一」の決断など出来る能力はなかったとしか、私には見えなかった。こういう言い方をすれば「またまた、批判しているだけで相変わらず“negativeだな」と言われそうだが、私は寧ろ諧謔的に同情しているのだ。それはIOCという組織ではテレビの放映権その他で(興行収入があるかどうか知らないが)上がってくる収入を各国のオリンピック委員会に配り、オリンピックという大運動会を恙無く運営する為の団体なのだから、今回の新型コロウナ・ヴァイラスが突きつけた大難問題に如何に対処するかというような、緊急事態対応の専門的知識など最初から持ち合わせなどなかったのだと思う。
この状態は後難を恐れずに言えば「バッハ会長もIOCの理事(委員?)の方々は、ある意味で無能レベルに期せずして到達してしまったのではないか」ということだ。既に申し述べたように、私はその点を責める気はない。もしも責める点があれば、そういう緊急事態や危機対応の経験があり、それだけの力を備えておられる政治家やビジネスマンの力を借りれば良いのだが、遺憾ながら彼等にはそういう知恵は無かったようだ。先ほどのニュースでは「バッハ会長は安倍総理、森組織委員会長や小池都知事と今夜テレビ会談をれる」そうだ。
これこそが、私が言う「知恵を借りる」ことではないか。遅きに失してはいるが“Better late than never.”であろう。バッハ会長は何と一国の現職と元職の総理大臣の意見を聞こうという挙に出られたのだ。私が見るところ、我が国ではオリンピックを余りに神聖なものとして祭り上げ過ぎたのだ。IOCを恰も無用の長物化しつつある“United Nations”の如くに敬いすぎたと、私は見ている。バッハ会長が如何なる結論に到達しようとするのか知らないが、延期しようと万が一にも中止しようと、待っているのは泥沼的な苦境であり難関だと思う。
バッハ会長には精々気張って決断すべき事は遅滞なく決断して欲しい。彼にはもうほとんど失うものなど残っていない気さえするのだ。難局に対峙して引っ込み思案では駄目だ。頭から突っ込んでいって引き下がることなどせずに「長いトンネルの先にあるはずの灯りを見出そうと努めるべきだ。この世には明けない夜はなく、止まない雨もない」のだから。
私は以前から「各競技の上部団体(例えば日本~連盟)で管理・運営しておられる方々は大変ご苦労だとは思うが、その多くは元の名選手ではあっても一流の管理・運営の専門家であるとは限らない」と言って、かなり真正面から批判してきた。その批判の対極にあるのが、サッカーのJリーグを協会長としてあそこまで盛り立て、次いでは先頃のバスケットボール界の再編成に対応され、見事にBリーグを人気の競技団体に仕上げた川淵三郎氏の見事な手腕だと思って見てきた。川淵氏は大企業で部長職を勤められ、組織を運営する力を十分に養っておられたのだった。
私の言いたいことは「営利を追求するビジネスの競争社会で責任ある地位におられた方は、指導者として組織を如何に管理・運営し、如何に人と使っていくかの責任を負う職務を経験したからこそ、スポーツの上部団体を晴の日にも雨の日にも風の日にも恙無く導くことが出来るのだ」なのである。これと同じような事を我が友のYM氏に聞いた。それは「アメリカのビジネススクールでは同じMBAでも会社の管理・運営だけではなく、学校・病院等の組織を運営するコースもある」というものだった。簡単にいえば「病院長はお医者様の仕事ではなくMBAに任せよ」がアメリカ式だ。
ここまでを導入部として、新型コロナウイルス問題が発生してからのIOC及び会長のバッハ氏の優柔不断振りと言おうか、決断できずに右往左往し何処まで信頼して良いか疑問であるとしか見えない「WHOのテドロス事務局長の決定に従う」とか「オリンピックの中止はないが、別のシナリオ考えている」とか、IOCと会長にとっては未だ嘗て経験したことがない緊急事態であり、一刀両断的に解決するには余りにも複雑な要素と要因が絡んでいる難問を突きつけられて、唯々オロオロしているだけとしか見えなかった。
要するに「二者択一」の決断など出来る能力はなかったとしか、私には見えなかった。こういう言い方をすれば「またまた、批判しているだけで相変わらず“negativeだな」と言われそうだが、私は寧ろ諧謔的に同情しているのだ。それはIOCという組織ではテレビの放映権その他で(興行収入があるかどうか知らないが)上がってくる収入を各国のオリンピック委員会に配り、オリンピックという大運動会を恙無く運営する為の団体なのだから、今回の新型コロウナ・ヴァイラスが突きつけた大難問題に如何に対処するかというような、緊急事態対応の専門的知識など最初から持ち合わせなどなかったのだと思う。
この状態は後難を恐れずに言えば「バッハ会長もIOCの理事(委員?)の方々は、ある意味で無能レベルに期せずして到達してしまったのではないか」ということだ。既に申し述べたように、私はその点を責める気はない。もしも責める点があれば、そういう緊急事態や危機対応の経験があり、それだけの力を備えておられる政治家やビジネスマンの力を借りれば良いのだが、遺憾ながら彼等にはそういう知恵は無かったようだ。先ほどのニュースでは「バッハ会長は安倍総理、森組織委員会長や小池都知事と今夜テレビ会談をれる」そうだ。
これこそが、私が言う「知恵を借りる」ことではないか。遅きに失してはいるが“Better late than never.”であろう。バッハ会長は何と一国の現職と元職の総理大臣の意見を聞こうという挙に出られたのだ。私が見るところ、我が国ではオリンピックを余りに神聖なものとして祭り上げ過ぎたのだ。IOCを恰も無用の長物化しつつある“United Nations”の如くに敬いすぎたと、私は見ている。バッハ会長が如何なる結論に到達しようとするのか知らないが、延期しようと万が一にも中止しようと、待っているのは泥沼的な苦境であり難関だと思う。
バッハ会長には精々気張って決断すべき事は遅滞なく決断して欲しい。彼にはもうほとんど失うものなど残っていない気さえするのだ。難局に対峙して引っ込み思案では駄目だ。頭から突っ込んでいって引き下がることなどせずに「長いトンネルの先にあるはずの灯りを見出そうと努めるべきだ。この世には明けない夜はなく、止まない雨もない」のだから。