新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「説明責任」の考察

2023-12-13 07:17:36 | コラム
マスコミ専用の用語か:

どうも、このところ政治関連の話題しか採り上げられなくなってきてしまった。それは、どう考えても大谷翔平がロスアンジェレスのダジャースに移籍した件とはまるで重要度が違うからだと思う。

三浦瑠麗さんは「マスコミの用語」と指摘されたが、確かに彼らは何かあると、大臣や国会議員に「説明責任を果たせ」と迫る傾向が顕著だ。同時に野党の連中も同様にこの言葉を多用する。さらに、問い詰められた閣僚や議員たちは「捜査に影響を及ぼす可能性云々」や「後刻か適切な時がくれば説明する」や「差し控える(≠控える)」と言って逃げようとする。

余談だが、何人かの元検事の弁護士さんも含めて弁護士さんたちは「捜査に影響を与えることはない(乃至は「ないだろう」)」と断言されるのを聞いた。それでも、閣僚も議員もこう言って説明を避けようとする。そういう言い方を許すマスコミも意気地がないのではないか。

何十年も前のことになってしまったが、故田中角栄元総理は質問が殺到した「金脈」について「いずれ述べる」とは言われたが、遂にその機会が来ないままに亡くなってしまった。言うなれば、説明責任を果たされなかったのだった。どうやら、これが先例となって、後に続きつつある者たちも上記の逃げ口上で免罪符でも取得したつもりなのか、後になってマスコミの前に登場して縷々説明した例など知らない。

岸田総理も「適切な時期に適切に説明する」という表現を使われた。その適切な時期が何時になれば来るのかには言及されなかった。私が些か同情的に見るようになった松野博一官房長官も「差し控えた」まま、一両日中に職を退かれる(される?)模様だ、不信任決議案が否決されても。こんなことばかりしていても、総理は「国民の理解を得よう」などと言われている。無理があるくらいはお分かりではないのかな。

「説明責任」を広辞苑には「アカウンタビリティーを見よ」とあった。それは「2、企業・行政などが自らの諸活動について利害関係者に説明する責任、説明責任」とあった。因みに、1は「企業責任」についてだった。英語のaccountabilityはジーニアス英和には「経過・理由・方針などの説明;(上位の)説明責任、経営成果報告責任」とあった。私にはこのような四文字熟語が存在するのかどうか不明だった。