Los Angeles物語:
テレビの報道に見る大谷翔平選手の人気はこれ以上ないほどに高まり、多くの人が「是非ともロサンゼルスに見に行きます」と無邪気に、言わば「テンション上げ上げ」(って言えば良いのかな?)状態で語っていたのだった。
「無邪気に」と言ったのには、それなりの理由がある。実は、正直に言えば「naiveにも」と言おうかとすら考えていたのだった。これまでの約50年の間に社用と私用(pleasure trip)で60回以上もアメリカ往復をして20州を歩いてきた私は、2011年にYM氏とSM氏と3人でLos Angeles(LA)のdown townを通過したのは、1975年以来3回目だったと思うほど「治安が悪い」と定評があるこの街を訪れていなかった。
その時でも、カリフォルニア州在住のSM氏も運転していたYM氏も「リトルトーキョーでは何時当たり屋が飛び出してくるかも分からないから避けて遠回りする」と言っていたのだ。あれから、もう12年も経っているので、LA市内の治安がどれ程安定してきたかは知らないが、テレビでは「リトルトーキョーが大谷景気を期待して賑わっている」などという場面を見せていた。「大丈夫なのか?無責任では」と叫んでしまった。
2011年には更にYM氏が主導して、現地に住んでいるSM氏ですら安全性を疑ったLA市の外れにある広大なファッション・デイストリクト(繊維・雑貨問屋街)にも乗り込んだ。街中何処に行ってもヒスパニックと韓国系の人たちが店番をしていて、大声で呼び込んでいるのが新鮮?だったが、身の危険は一切感じなかった。YM氏は嘗てカリフォルニア州内の企業にも勤務していたので、実情を心得ていたのだった。
帰ってきてから、LA駐在の経験がある元専門商社マンに経験談を語ったら驚愕の表情で「我々は絶対に足を踏み入れませんでしたし、アテンドする日本からのお客様から是非にと要望されても、固くお断りせよと指令されていたほど治安が悪いものと思っていた場所に行かれたとは」と、寧ろ我々の勇気を賞賛されてしまったのだ。我々3人は勇気があったというよりも「非常にアメリカ慣れしていたから入って行った」と言う方が正確かも知れない。
そこで、LAでの危険回避の方法にも触れておこう。その危険地帯?で単独で歩いておられる日本から来られた方と一目で分かる方に出会った。「日本からお出でになったようですが、良く危険を顧みずに足を踏み入れられましたね」と声をかけて「何で分かるのですか。精一杯にアメリカ人風の服装にして来たつもりですが」と驚かせてしまった。
その服装こそが「遠来の外国人、それも日本人」と見破る材料なのだ。簡単なことで「日本製(中国その他で作った物も含めて)の衣料品は細かい柄か、多色になっている」ので、遠目でも分かる。しかも、具体的には言いにくいが、仕立てがアメリカ物とは微妙に違うのだ。アメリカ人が好むのは細かい柄やデザインがない無地、即ち単色それも派手な色が多いのである。
ファッション・デイストリクトで見破った方のお出で立ちは将に日本風だったのだので、際立ってしまうので簡単に見分けがつくのだ。要点は「悪人どもはこういう点を見て襲うのだ」と言うこと。
長々と述べてきたが、肝心な点は「LA、それも繁華街(=down town)の治安状態には最大限の注意を払うこと、服装には上記のような点に気を配っておくこと、tip程度の支払いに必要な金額の現金だけ持ち歩くこと、周囲に気を配るのは良いが自信なげにキョロキョロしないこと」等なのだが、少なくとも現地で安全が確認できない限りリトルトーキョーには近寄らない事なのだ。
上記以外にも覚えておいて欲しい問題がある。それは、カリフォルニア州、それもLAの周辺では英語よりもスペイン語か韓国語の方が通じてしまう場合すらあるという事。現に、2011年にYM氏が予約してくれたLAの空港(LAXと言う)のGardinaのホテルは全て日本語になっていて、英語も通用する仕掛けになっていた。
要するに、LAとその周辺はここ新宿区の好ましくない国際化を更に大規模に拡大した地域だという事。大谷翔平の活躍振りを見に行きたいのだったら、17番のユニフォームのレプリカを着用して、テンションを目一杯挙げて声高らかに日本語で語り合いながら、無警戒にdown townに入って行かないことだと思う。