新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月19日 その2 是非ともロサンゼルスにドジャースの大谷翔平の活躍を見に行きます

2023-12-19 10:36:40 | コラム
Los Angeles物語:

テレビの報道に見る大谷翔平選手の人気はこれ以上ないほどに高まり、多くの人が「是非ともロサンゼルスに見に行きます」と無邪気に、言わば「テンション上げ上げ」(って言えば良いのかな?)状態で語っていたのだった。

「無邪気に」と言ったのには、それなりの理由がある。実は、正直に言えば「naiveにも」と言おうかとすら考えていたのだった。これまでの約50年の間に社用と私用(pleasure trip)で60回以上もアメリカ往復をして20州を歩いてきた私は、2011年にYM氏とSM氏と3人でLos Angeles(LA)のdown townを通過したのは、1975年以来3回目だったと思うほど「治安が悪い」と定評があるこの街を訪れていなかった。

その時でも、カリフォルニア州在住のSM氏も運転していたYM氏も「リトルトーキョーでは何時当たり屋が飛び出してくるかも分からないから避けて遠回りする」と言っていたのだ。あれから、もう12年も経っているので、LA市内の治安がどれ程安定してきたかは知らないが、テレビでは「リトルトーキョーが大谷景気を期待して賑わっている」などという場面を見せていた。「大丈夫なのか?無責任では」と叫んでしまった。

2011年には更にYM氏が主導して、現地に住んでいるSM氏ですら安全性を疑ったLA市の外れにある広大なファッション・デイストリクト(繊維・雑貨問屋街)にも乗り込んだ。街中何処に行ってもヒスパニックと韓国系の人たちが店番をしていて、大声で呼び込んでいるのが新鮮?だったが、身の危険は一切感じなかった。YM氏は嘗てカリフォルニア州内の企業にも勤務していたので、実情を心得ていたのだった。

帰ってきてから、LA駐在の経験がある元専門商社マンに経験談を語ったら驚愕の表情で「我々は絶対に足を踏み入れませんでしたし、アテンドする日本からのお客様から是非にと要望されても、固くお断りせよと指令されていたほど治安が悪いものと思っていた場所に行かれたとは」と、寧ろ我々の勇気を賞賛されてしまったのだ。我々3人は勇気があったというよりも「非常にアメリカ慣れしていたから入って行った」と言う方が正確かも知れない。

そこで、LAでの危険回避の方法にも触れておこう。その危険地帯?で単独で歩いておられる日本から来られた方と一目で分かる方に出会った。「日本からお出でになったようですが、良く危険を顧みずに足を踏み入れられましたね」と声をかけて「何で分かるのですか。精一杯にアメリカ人風の服装にして来たつもりですが」と驚かせてしまった。

その服装こそが「遠来の外国人、それも日本人」と見破る材料なのだ。簡単なことで「日本製(中国その他で作った物も含めて)の衣料品は細かい柄か、多色になっている」ので、遠目でも分かる。しかも、具体的には言いにくいが、仕立てがアメリカ物とは微妙に違うのだ。アメリカ人が好むのは細かい柄やデザインがない無地、即ち単色それも派手な色が多いのである。

ファッション・デイストリクトで見破った方のお出で立ちは将に日本風だったのだので、際立ってしまうので簡単に見分けがつくのだ。要点は「悪人どもはこういう点を見て襲うのだ」と言うこと。

長々と述べてきたが、肝心な点は「LA、それも繁華街(=down town)の治安状態には最大限の注意を払うこと、服装には上記のような点に気を配っておくこと、tip程度の支払いに必要な金額の現金だけ持ち歩くこと、周囲に気を配るのは良いが自信なげにキョロキョロしないこと」等なのだが、少なくとも現地で安全が確認できない限りリトルトーキョーには近寄らない事なのだ。

上記以外にも覚えておいて欲しい問題がある。それは、カリフォルニア州、それもLAの周辺では英語よりもスペイン語か韓国語の方が通じてしまう場合すらあるという事。現に、2011年にYM氏が予約してくれたLAの空港(LAXと言う)のGardinaのホテルは全て日本語になっていて、英語も通用する仕掛けになっていた。

要するに、LAとその周辺はここ新宿区の好ましくない国際化を更に大規模に拡大した地域だという事。大谷翔平の活躍振りを見に行きたいのだったら、17番のユニフォームのレプリカを着用して、テンションを目一杯挙げて声高らかに日本語で語り合いながら、無警戒にdown townに入って行かないことだと思う。


日本郵政と日本製鉄

2023-12-19 07:32:30 | コラム
今頃になって言うか:

日本郵政:
昨18日から郵便料金の値上げが報道され始めた。封書も葉書の値上げしない事には、大赤字が続くからだとか。しかも、来年になってから引き上げても、その翌年からまた赤字に転落するとの予測も聞かされた。

良く考えるまでもないことで、ICT化というのかディジタル化(DX?)が進めば進むほどインターネット等に圧されて、郵便物が減ることなど誰もが予知できていたことではないのか。それを、今さら取り上げて大きく報道するのも如何なものかと思う。それは、今や何百何千という品目が値上げされてしまった時代であり、何かの値上げの報道があっても、驚かなくなってしまったのだから。

郵便料金も堂々と採算点まで値上げしても良いのではないかと考えている。実際の所、2003年に七十の手習いでPCを使い始めて以来、手紙を書いて封書にして出した記憶が殆どないのだ。印刷(紙)媒体が現在のように衰退してしまっては、抵抗する術もないだろうと、今さらながら時代の流れと変化のほどを痛感させてくれた、日本郵政の値上げ公表だった。

日本製鉄がUSスティールを買収:
1960年代末期だっただろうか、アメリカの会社に移る前のことだった。会社が開催した勉強会に招いた経済問題の講師の方が、開口一番「製紙も製鉄と同様に素材産業としての寿命が尽きてしまうのもそう遠い将来のことではないという見方が、我々の仲間の中で広まってきている」と言われたのだった。我々製紙会社の一員としては「面白い話かも知れないが、奇妙なことを言うお方だ」程度に受け止めたものだった。

だが、その後何時のことだったか、世界最大なのだろうが思っていたUS Steel(USS)の存続の危機が伝えられた。だが、同じ素材産業と指摘された製紙業界は世界最大であるアメリカのInternational Paper(IP)を筆頭に未だ未だ隆盛で、中国も華々しく台頭し始めていた。USSの件は余り気にもしなかった事案だったが、かく申す私は1972年にはアメリカの紙パルプ産業界の大手だったMead社に転出していた。

鉄鋼の生産量では今や中国が世界最大となり、我が国でも鉄鋼業界の再編成が進み日本製鉄とJFEに絞られたのだろうという程度に認識していた。そして、USSも未だ操業しているのかな、くらいの認識はあった。だが、我々は他の素材産業のことなど心配していられる状態にはなく、我が方は2017年までに段階的に紙パルプ産業から完全に撤退し、IPも最早アメリカ国内には印刷用紙部門がない抜け殻のような製紙会社になってしまった。

1960年代末期にあの講師の方が、どのような根拠で「素材産業の暗い将来」を予告されたのか知らないが、製紙と製鉄についての予言は的中していたのだ。今や中国は製紙でもアメリカを遙かに凌駕する世界最大の存在になっている。飽くまでも仮定にもならない話だが、「そこに、あの60年前に衰退を予告された講師を派遣して、現時点での見通しを語っていただけばどうか」などと空想しているのだ。

思うに、これから先の経済では「何が成長する業種か」を見通すことも重要だろうが、「どの産業の寿命はどれ程だろうか」を見極める眼力こそが必要になってくるのではないだろうか。1980年代からアメリカに渡って不動産を買いまくった企業が、どれ程の高い授業料を払って撤退したかも、先行きを見通せるようになる勉強の格好の材料になるのではないのかな。